医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第49回

医学的無益(medical futility)をめぐって(4)
家族との意見対立を解消する努力

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2607号よりつづく

 米国医学界で医学的無益(medical futility)の問題が熱心に論じられたのは,80年代後半から90年代中頃にかけての時期だった。シカゴ大学のヘルフト等によると,医学的に無益と判断される治療をめぐって患者・家族と意見が対立した場合の解決策を探るために,この時期,以下の4つの試みが議論されたという。すなわち,(1)「無益」を「定義」して紛争を解決する試み,(2)経験的データに基づいて紛争を解決する試み,(3)患者・家族の決定権と医師の決定権のどちらが優先するかを(ルールとして)決めようとする試み,(4)患者・家族との対立を解決するプロセスを作り出す試み,の4つである。

 第1の「医学的無益を定義しようとする試み」が探られた背景には,確固とした「定義」を作製しさえすれば,これを個々の事例に適用することで紛争を解決することができるはずだとする考えがあった。しかし,多くの研究者が「無益」の定義を試みたにもかかわらず未だに万人を納得させ得るものは存在せず,「定義に基づく解決」は実効的なものとはならなかった。

 第2の「経験的データ」に基づく解決の試みは,「患者の状態に基づいた数字(確率)」を基準に,ある治療が「無益」であるかどうかを決めることができるはずだとするものである。この考えに基づいて,重症度分類等に基づいたシステムが種々考案されたが,一定の条件を有する患者グループ全体の予後は予測できても,ある治療が個々の症例で無益かどうかは判定し得ないという理論的限界もあり,患者・家族との紛争の実際的解決に適用し得るものとはならなかった。

 第3の試みは,「一般原則として,医師は医学的に無益と判断される治療については,患者(家族)の同意がなくとも差し控えたり中止したりすることができる」というコンセンサスを得ようとするものであったが,「ある治療が無益かどうかを医師が『客観的』に決めることができるとする考えは幻想でしかない。益があるかどうかは『主観的な価値判断』の要素が入らざるを得ないし,最終的には患者(家族)の決断に任せるしかない」という強い反論に遭い,挫折した。

 第4の試みは,「個々の事例で紛争を解決するプロセス」を築こうとするものであるが,客観的に「無益」を定義できない以上,異なる意見を持つ立場の人々が「正当な手続き(due process)」に従って紛争の解決をめざす以外に道はないと,実効的解決を図る立場である。

アメリカ医師会倫理・法的問題委員会による推奨

 例えば,アメリカ医師会の倫理・法的問題委員会は,99年に「終末期治療における医学的無益」と題する報告を発表,「プロセスに基づく方法で個々の症例における紛争を解決する」ことを推奨した。

 具体的には,(1)話し合い・調停により意見の食い違いの解消を図るためのプロセス(延命治療が必要となる前の意思確認,医師と家族による直接の調停,患者アドボケイトを交えた調停,病院内倫理委員会が介在する調停の4段階のステップからなる),(2)意見の違いが解消できなかった場合に,主治医の交替・他施設への移送など,別途の解決法をめざすプロセス,(3)上記2つのステップが失敗した後に最終的な解決をめざすプロセス,の3段階を推奨したのだった。

テキサス州「事前指示法」にみる明瞭なルール

 アメリカ医師会の上記報告は「指針」レベルの推奨にしか過ぎないが,テキサス州では,類似の考え方に基づいて99年に「事前指示法」を成立させ,延命治療の差し控え・中止をめぐって家族と意見が対立した場合の解決法について,以下に紹介するように,明瞭なルールを定めている。

1)病院は倫理コンサルテーションの段取りを書面で家族に通知する。
2)家族に倫理委員会での調停に参加することを呼びかける。
3)倫理委員会が家族に結論を書面で報告する。
4)倫理委員会のコンサルテーションで意見の違いが解消できなかった場合は,他施設への移送を試みる。
5)10日経過しても移送を受け入れる施設が見つからなかった場合,医師・病院は家族の同意を得ずとも,延命治療の差し控え・中止を実行できる。
6)家族・代理人は,法廷に受け入れ先医療施設を探す期間の延長を求めることができる。
7)法廷が延長を認めなかった場合,あるいは,家族が延長を求めなかった場合,医師・病院は家族の同意を得ずとも,延命治療の差し控え・中止を実行できる。

 家族の同意を得て延命治療を中止した医師が「殺人罪」に問われる国との違いを思ってため息が出るのは筆者だけだろうか?

この項おわり