《書 評》岩田健太郎(亀田総合病院感染症内科)
米国は理念と現実の差が激しい二重構造の国家である。だから,病院の見学旅行や「お客さん」としての滞在,偉い人の講演や文章(理念)だけでは,実際の医療現場でどのようなことが起きているのか(現実)は分からない。また,いわゆる「アメリカ紹介もの」の本は自己肯定のバイアスがかかり,この「理念の部分」を強調しすぎる傾向がある。これが,日本における米国医療へのイリュージョン(幻影),誤解を生む一因になっている。
そこで,『市場原理が医療を亡ぼす アメリカの失敗』である。
本書は『市場原理に揺れるアメリカの医療』,『アメリカ医療の光と影』(いずれも医学書院刊)で米国医療の現実を紹介してきた李啓充氏の最新作である。米国医療の現実を,特に医療経済的な側面から紹介している。単なるシステムの紹介にとどまらず,実際のケースを交えながら,テンポのよい文章で読ませてくれる。次のページをめくるのが待ち遠しく,一気に最後まで読ませること,必定だ。このあたり,作家,エッセイストとしての李氏の能力が十分に発揮されている。
医療へのアクセスが市場原理の行き過ぎによって狭められてしまう,という問題点も指摘されている。多くの無保険者。メディケイドのような「貧者の」公的保険を持つ患者の診療拒否。所得が低くなればなるほど負担が増す,「逆進性」の問題。
米国における臨床試験が,日本で信じられているように「清廉潔白,科学的」ではない,という点も本書は指摘している。多くの臨床施設や研究者は製薬会社や医療器具メーカーと結託しており,金銭やストックオプションなどの利益を得ている。患者の安全安心は後回し。このような事実は日本ではほとんど知らされることがない。
しかし,現在の米国医療はこの委員会の素晴らしい伝統を受け継いでいるとは到底言えない。患者のアクセス権すら満足にいかない状態で,市場原理にのっとり,お金を持っている人がよりよい医療を受ける権利がある。そして,多くの米国人たちがそれを是としている。マイモニデスが看破したように,科学とは多数決ではない。しかし,現実の社会では「みんなでわたれば怖くない赤信号」であり,多数派が自然にデファクトスタンダードになってしまうのが常である。米国医療の市場原理主義は長期のビジョンも理念も持たない。せっかくのシアトルの伝統もどこかへ消えてなくなっている。けれども,これが当たり前の社会になってしまっている。
そして,過剰な医療訴訟,それによって起きた医療過誤保険のもたらした悲劇についても本書は言及する。過剰な医療過誤保険のために医師は廃業や転地を余儀なくされ,そのため地域の人間は主治医を失い,いざというときの救命救急も遠隔地で,ということになる。金の都合で医師や病院ができたりつぶれたりするのだから,1990年代に米国が掲げた「プライマリケア重視の」医療などできる訳もない(本音では,米国のプライマリケア重視策は医療費抑制のゲートキーパーを期待してのものであり,本来のプライマリケアの理念を政府が本当に理解していたかは疑わしい)。
さて,ひとつ,困っていることがある。日本の保険診療における医薬品審査の現実は,遅すぎるし,また,不適切でもある。しかも,将来その改善も期待できそうにない。審査機構がアマチュア集団だからである。その現実の中で,李氏が言うように混合診療を厳禁しつつ,われわれは,どう新たな解決策を見出していくことができるだろうか? この悩みは簡単には晴れそうにない。
《書 評》稲田英一(順大教授・麻酔科学)
集中治療室に入室したクリティカルな患者は,常に急変する危険性を持っている。そのような集中治療室における当直(on call)というのはストレスが多いものである。しかし,状態が悪くなった患者を適切な処置で良好な状態へと変えられたときの喜びは大きい。適切な処置を迅速に行うには,問題の鑑別診断を手早く系統的に行うことがまず大前提となる。いたずらに対症療法だけを行っていると,本質的な異常が進展して取り返しのつかない事態になることがある。身体所見をとり,的確な検査を施行し鑑別診断を行いながら,迅速に処置を進めていく必要がある。
第II部では「検査データとその解釈」が述べられており,以下,第III部は「ベッドサイドでの処置手技」,第IV部は「輸液と輸血製剤の管理」について,第V部は「重症患者の栄養管理」,第VI部は「人工呼吸器の利用」,第VII部は「移植:救急医学的な注意点」,そして第VIII部の「よく使われる薬物」となっている。
B6変・頁640 定価4,725円(税5%込)MEDSi