〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第48回
前回,延命治療の差し控え・中止は,アメリカの病院ではルーティンに行われていると述べたが,差し控え・中止が急増するようになったのは80年代後半から90年代前半にかけてのことであった。例えば,ユニバーシティ・オブ・カリフォルニア・サンフランシスコ校(UCSF)の調査によると,ICUで死亡した患者について延命治療の中止・差し控えが行われた割合は,1987・88年の2年間に51%であったものが,1992・93年の2年間に90%に上昇したとされている(Am J Respir Crit Care Med. 155巻15頁,1997年)。延命治療の差し控え・中止が急増した時期はマネジドケアが勃興,米国医療に対するコスト抑制の圧力が高まった時期と重なることは興味深い。
延命治療の差し控え・中止例が急増する中で,前々回紹介した「ギルガン対マサチューセッツ・ジェネラル・ホスピタル(MGH)」の訴訟例のように,差し控え・中止をめぐって,治療チームと患者・家族の意見が対立することも珍しくなくなった(上述のUCSFの調査によると,治療チームから延命治療の差し控え・中止を勧告されたことに対し患者・家族が拒否した割合は4%であったという)。
こういった背景の下,延命治療の中止をめぐって,医療側と患者側のどちらの主張が正しいかの判断が法廷に求められる事例も出現するようになった。これらの訴訟では,「無益と思われる延命治療の継続を患者・家族から要求された時,医療側に,患者・家族の同意を得ないまま一方的に延命治療を中止する権利があるかどうか」が例外なく争点になったが,これまでの判決のほとんどは「医療側に一方的に治療を中止する権利はない」としている。「無益であるかどうかは最終的には患者・家族が決めること。医療側の一方的な判断で延命治療を中止することはできない」と,たとえ「医学的に無益」と判断される延命治療の中止であっても,医療側には「インフォームド・コンセント」の原則を守る義務があるとしているのである。
さらに,「ギルガン対MGH」については,病院・医師の対応に多くの問題があったことが後に指摘されたが,特に,MGHの倫理委員会が,「委員会」としての機能を果たさなかったことに厳しい批判が集中した。例えば,倫理委員会委員長(精神科医)は,患者を診ただけで「治療チームの言い分が正しい」とする判断を下したが,倫理委員会委員長というよりは,まるで「他科受診のコンサルトを受けた専門医」であるかのように振る舞ったことが問題とされた。それだけでなく,委員会として家族の主張を聞く機会を設ける努力すらせず,「一方的」に医療側の意見を支持したのだった。さらに,家族が主治医と口を聞くことすら拒否するなど,両者が「感情的」に対立していることが明らかであったにもかかわらず,主治医を変更するというオプションを検討しなかったことも批判されたのだった。
では,「無益」であると思われる延命治療の継続をめぐって家族と意見が対立した時,医療側はどう振る舞ったらいいのだろうか?
(この項つづく)