第2605号 2004年10月18日


《連載》

感染症臨床教育の充実をめざして
-学生から専門医まで

〈監修〉青木 眞(サクラ精機顧問)

第2回
〈鼎談〉

卒前教育の中で基本的臨床能力を育てる
生坂政臣  (千葉大附属病院総合診療部教授)
宮原雅人  (千葉大6年)
青木 眞  (監修者)


2601号よりつづく

■臨床教育のポイント

カンファレンスで重視すること

青木 私が,若い方と現場の病院でお話ししていてつくづく思うのは,「鉄は熱いうちに打て」ということです。「発熱患者にはともかく2,3の抗生物質を使ってから考えよう」というようなことが習慣化されていると,行動の改善が非常に難しい。やはり学生のうちから,きちんと臨床的な土台を造っていただかないと,実は健康な内科医にもなれないし,それが土台になってはじめて可能な健康な感染症科医にもなれないと思うんです。今日は,学生に対する臨床教育をどんなふうにはじめておられるかをうかがいたいと思っています。

宮原 私が学生という立場で総合診療のカンファレンスに出させていただいて,非常に重要だと思ったことが3点あります。

 まずはじめに,その疾患の頻度,男女差,急性・慢性に発症するのか,経過などをよく知ることが大事だと感じました。頻度・男女差などは,鑑別疾患にあげるかどうか,また検査前確率を考えるうえで必要になります。また経過を知ることはその疾患を肯定・否定するための判断材料になり,どれも大事なことであると感じました。

 2つ目は,その検査の感度・特異度とか,問診の感度・特異度を意識することだと思いました。つまり,medical decision makingの立て方ですね。検査・問診の感度・特異度が,先生方の判断にどのように役立っているのかを体感することができました。

 3つ目は,患者さんが発言している内容から,重要な情報をピックアップすることです。いろいろな訴えの中から,キーワードを選び,適切な医学用語に置き換えて,そこから鑑別があげられるという能力です。そういう訓練をする場が必要ではないかと思っています。

生坂 実際の診療場面で適切な診断をしていくためには,患者さんと話しながら,コミュニケーションをうまくとって情報を引き出すという,その作業にかかっています。実はこの情報収集が難しい。カンファレンスではすでに情報が得られているということが前提ですから,カンファレンスに出ていれば実際の診療で正しく診断できるかというと,それはまた別です。研修医の中には,カンファレンスでは優秀でも,実際の患者さんを目の前にすると,情報を引き出すスキルがなくて,まったく情報が取れないということがあるわけです。ただ,カンファレンスで推論できない人が,現場で突然名医になることはないので,カンファレンスでのある程度の「でき」は外来診療独り立ちの必要条件と考えています。外来は見逃すと後がないわけですから。

 宮原君の今の発言を補足すると,私たちは,とにかく病歴から考えさせるということを心掛けています。というのは,少なくとも病歴で8割ぐらいは診断できると言われていますし,一般外来で病歴だけは確実に聴取できます。なるべく病歴でつめて,フォーカスを絞った身体診察をするというプロセス,これが外来診療の基本になると思います。

 検査結果がすぐに得られるかどうかは施設によりますし,例えば,5時に来た患者さんには血液検査すらできない状況があります。もちろん大きな検査は診療所ではできません。検査には他力本願的なところがあります。そこで,自分でできる部分の技を徹底的に磨くという観点で,日々のカンファレンスに臨んでいます。

生理学・解剖学・生化学の知識を総動員する

青木 生坂先生のご著作「見逃し症例から学ぶ日常診療のピットフォール」(医学書院刊)では,自分で診たことのない病態,あるいは病気に遭遇した時に,その病気のはじまり方,進み方,体の場所について理解するために,「解剖学・生理学・生化学などの知識を総動員して,疾患の性質を絞り込んでいくようなトレーニングが必要だ」と書かれています。これは実は,どの専門に進むにしても臨床の医師にとっては必須のことです。

 学生の間,あるいは卒後1年目,2年目の研修医の時に十分こうしたトレーニングがなされていないと,その背景にある病態生理を十分に考えず,それによって与えられる鑑別診断も十分にリストアップすることなく,適当に治療したり,検査してみたりというような流れになっていきやすいのではないでしょうか。実は,そういった弊害の中に,日本の感染症診療もあると思うんです。

生坂 もちろんたくさんの症例を経験して,それを同定するというのは大切ですが,未知の疾患,診たことのない疾患もある程度の見当をつけていくためには,生理・解剖・生化学の知識が必要です。特に学生はほとんどすべての外来疾患が未知の病気ですから,私たちのカンファレンスではここを徹底的につめていきます。

 例えば今日のカンファレンスでは,溶血の時にLDH(lactate dehydrogenase)は必ず上がるけれども,AST(asparate aminotransferase)がそれほどではないのはどうしてなのかという問題を取り上げました。結局,アミノ酸代謝に必須のASTはほとんどの組織に分布していますが,ミトコンドリアを持たない赤血球はエネルギーを嫌気解糖に依存していて,嫌気解糖に必須のLDHが大量に含まれているからなんです。こういう基本的な生化学の知識を,臨床と関連づけて押さえていくということです。こうしていくと,たとえば溶血がないということを生化学検査で確かめるには,たくさんある項目の中のLDHを見ればよいことがわかります。しかし普遍的に細胞に存在しているLDHが上がっているからといって,病態の特定はできない。つまり,LDHは溶血に対して感度は高いけれども特異度は低いというふうに理解させるわけです。そういう教育をしています。

 特異度の高いものを調べたければ,臓器に特異的に分布している酵素を知っておく。たとえば肝臓であればそれはALT(alanine aminotransferase)であるし,筋肉であればCPK(creatine phosphokinase)ですね。こうやって,基本的な生化学データの読み方を臨床に結びつけてやります。

 感度・特異度のどちらがどうかということで臓器障害の疾患がある,ないを除外できたり,確定できたりするわけです。例えば感度が高いものがなければ除外できるし,特異度が高いものがあれば特定できる。そういうことを,常に確率論とあわせて考えるんです。解剖,生化,生理学的に予測される病態と確率論をあわせて,問診から“あたり”をつける。これを徹底的に訓練しています。1例に1時間,今日のケースには1時間半かけました。

青木 生化学の専門家を呼んでカンファレンスをするんですか。

生坂 いえ,基本的には,生化学はHarperのレベルです。

 こういった学習は,医者になってからはなかなかできません。知らなくても済んでしまうことが多いし,臨床,研究,教育に追われてそんな暇もない。医者の学習のリソースは,やはり患者マネジメントに直結するジャーナルになるので,病態を生理,生化学のレベルまで落とし込んでつめていく余裕はないでしょう。私は,最も時間のある学生時代に,基礎の教科書,あるいは臨床系であれば内科のHarrisonやCecilなどの本をきっちり読んでおけと言っています。専門に入るとどうしても,自分の領域のテキストや,患者さんの症状にあわせた文献を見ることになります。ですから,学生時代にそういうことに目を向かせるような指導を心がけています。

宮原 私もHarrisonを読んだことがありますが,カンファレンスに出るまでは,どういうところに注目して読んでいいかがわかりませんでした。カンファレンスに出てから,その病態生理や頻度などに注目して読むようになりました。

生坂 結局,カンファレンスでやろうとしていることは,制限のある状況で得られる情報はすべて得て,それを徹底的に解釈するということです。

 患者さんが15分で帰ったとしても,その症例をカンファレンスで議論する時には1時間以上かけます。1つひとつの患者さんの言葉について,それが発せられた理由を,病態生理,あるいは疾患に帰着させていくと,時間は足りません。

 これは,学生の教育を意図してはじめたのですが,意外に実地医家にも好評なんです。開業されていながら何時間もかけて千葉大まで来て,毎週カンファレンスに参加される方もおられます。

キーワードを選ぶ

青木 生坂先生のカンファレンスでの病歴のつめ方は,きわめて厳しいですよね。私が今まで出会ったどの指導医よりも厳しい印象です。つめすぎて,かえって普遍性を欠くようなことにはなりませんか?

生坂 病歴全部について細かくやっているわけではないんです。患者さんの話からキーワードとなる言葉だけをまず選びます。その際,2つか3つ以上は選ばせません。たくさん選ぶと逆にわからなくなってしまうのです。選んだらそれについて慎重に考察します。問診は主観ですから,「あそび」の部分があるわけですよね。なるべく「あそび」の少ないキーワードを選ばせるようにします。さらにキーワードをより普遍的な医学用語に置き換えます。今のところデータベースは英語圏のものが充実していますので,なるべく英語で言わせます。これは臨床推論の世界ではしばしば用いられている手法で,置き換えられた言葉を“semantic qualifier(SQ)”と言います1)。

 例えば,2日前からの繰り返し突発するめまいで,来院したとします。いろいろなことを訴えると思うんですが,主訴の部分をピックアップしてSQに換えていきます。「部屋がぐるぐる回るようなめまい」であれば,“vertigo”になります。次に持続時間で分類します。「繰り返し突発する」ですから“paroxysmal”です。さらに閉鎖的質問で,体位変換時に起こるめまいだとすると,“positional”という修飾語がつきます。すなわち,この症例は“paroxysmal positional vertigo”と表せるんですね。このSQで疾患はあっという間に絞り込まれます。SQに置き換えるということで,主観的な情報をより客観的に変えていく。こういう手法をとりいれています。

 この他にもいろんなアプローチがあるんですが,問診から引き出せる情報を徹底的に利用して,しかもそれになるべく普遍性を持たせることを意図しています。まずは細部にとらわれず,全体像を掴むように指導しています。

青木 実は私が感染症のレクチャーをする時にもよく似たことを言っているんですよ。初期訓練の最もコアな部分というのは,雑多な臨床像から最も意味のあるものをピックアップするようになることだと。それができるようになれば,鑑別診断はとてもきれいに出てくるんですね。つまりこれは,内科訓練のきわめてエッセンシャルな部分の話なんですね。

■「病んだ臨床の国」にならないために

総合診療科における感染症へのアプローチ

青木 私がいろいろな病院で感染症診療の現場を拝見して,よい感染症診療をしておられるなあというところには,たいてい総合内科,あるいは総合診療の部門があります。もしかすると「発熱だから抗生物質」というようなことをしない土台があるからなんじゃないかと思うのですが,そのへんをぜひお聞きしたいんです。

生坂 総合診療のカンファレンスでは,発熱をきたす,あるいは何かの症状と併せて発熱しているというケースは大変多いです。

 総合診療といわれている部門では,すぐに抗菌薬を投与する方向にはいかないで,青木先生が期待されるようなアプローチをしている施設が多いのはなぜかということですが,私たちの施設では,発熱という症候で受診された患者さんは,感染症でないパターンが少なくないんですね。心因性の発熱から,薬剤性,膠原病,その他もろもろの疾患が発熱の原因になっていますので,熱があるからすぐに感染症というわけにはいかない,ということがあります。

 もう1つは,われわれの部門は診断をつけなければいけないという責務があるわけです。とりあえず総合診療部で抗菌薬やステロイドを使ったとして,それが当たっていても,外れていても,総合診療部で完結できない場合は病状がグチャグチャになってしまう。次に診る専門医の先生方にとって,マイナスの要素を作ってしまうことになるんです。それは避けたいですから,他科の専門医へ紹介せずにこちらでマネジメントできるという判断がつくまでは,それを投与することによって診断が曖昧になってしまうような行為は,慎んでいるということがあると思います。

「思考プロセス」が売り

生坂 さらに言えば,総合診療は,思考プロセスが売りなんです。これが,われわれの最大の武器であり,アピールする部分なのです。

 この思考プロセスを端折って,とりあえず抗菌薬とか,「とりあえず○○を出して様子をみる」ということをしてしまいがちなんですが,そこにストップをかけて考える。自分でも考えるし,その考えを学生や若い研修医にも伝えていく。これがなければ,総合診療の価値はほとんどなくなってしまいます。

 「この熱の原因は何だろう? もし感染症であれば起炎菌として何が考えられるか?」と明らかにしていく。それを知ることによって,まず自分の診療が楽しくなるんです。そしてそれを聞いている研修医や学生も,そこに喜びやscientific mindを見出すことができます。もちろん培養には出しますが,その結果が出る前に,患者さんの年齢,病歴,既往歴諸々を含めて,感染巣あるいは起炎菌を予測させる。そのトレーニングを徹底的にやっているのです。予想した起炎菌と同定された原因菌が一致している場合には,この上ない喜びを味わうことになります。

 また,私たちは必ず起炎菌を予測したうえで,それをカバーするための最小目的から抗菌薬を使うということを心がけています。外来が中心となるわれわれ総合診療部の場合,疾患を治す時に「個人」を考えますが,同時に患者を取り巻く地域を考えて,そのバランスの中で治療を行います。そうすると,そこに耐性菌出現の問題を考えなければいけません。また,ある薬を処方する時に,菌は死んだとしても副作用は万が一にも起こってはいけないと考えます。副作用ができるだけ少なくて,公衆衛生的にも耐性菌出現などのリスクのなるべく少ない薬,余分な菌は殺さず,常在菌は残しておく薬,というアプローチがどうしても必要になります。

 これが病棟になると,患者さんに抵抗力がなく,万が一効かない場合は敗血症になってしまう場合もあります。したがって最初からブロード・スペクトラムな抗菌薬を使用することもあるでしょう。

 幸い外来はそこまで免疫の落ちた患者さんは少ないですから,ねらいを絞った抗菌薬を投与して経過観察する余裕があります。もしこの抗菌薬が効かなかったらこれ,というように変えることが許される状況の患者さんが多いわけです。ならば,そこを徹底的にトレーニングしようということです。ブロードに使うのはいくらでもできます。ナローに使うほうが難しい。これはトレーニングしないとできるようにならないんです。だから,難しいことを先にやっておこうということです。

青木 素晴らしい! 思考プロセスが売りだというのは,きわめてシンボリックなご発言です。実は,感染症科も,その人の臨床像から原因の臓器や微生物を,ほとんど「考えて」いくんですよね。ですから,思考プロセスが売りだというのは,一緒なのです。

 それから,先生方も常にコミュニティが背景にあるわけですが,感染症科も抗生物質を使用する時に,病院内というコミュニティや病院が存在する社会というコミュニティが念頭にある領域なのです。procedure-orientedでないという部分も,総合診療科と感染症科の,共通する特徴なのかもしれないですね。

間違えることは悪いことではない,間違え方が大事

青木 私は,病院でティーチングをはじめるときに,研修医たちに2つ約束をするんです。1つは「知らないことは知らないと言う」ということ,それから「間違えることもあるのは許してほしい。しかし,間違えるプロセスが見えるように間違えたいと思う」と言っているんです。

 私が研修医だった時に,指導医として持ちたくなかったのは,「どうしてこういう結論にたどりついたのか,どうしてこれが最終診断だと思ったかという思考プロセスを明かしてくれない人」だったんです。少なくとも私は,「どこでこけたか」ということが皆に見えるようにはしたいと思っているんです。

生坂 大切なことですね。まさにそれがないと,指導医の技術も名人芸で終わってしまうんですよね。私も,やはりそれを恐れています。総合診療的な思考プロセスを今後,日本の医療に根付かせるためには,「伝わっていくもの」が必要だと思っています。これをなんとかしようということで,指導医と参加者の思考プロセスを明らかにするためのカンファレンスを時々やっています。

 まず病歴を1行出します。そしてその1行目だけで考えられる疾患を,頻度順に3つぐらい紙に書かせます。これは指導医もやります。そして,次の病歴の1行で,鑑別が変わったら書き換えるんです。それを繰り返していって,最後にノーヒント,ノーディスカッションで答えを一斉に出します。

 そうすると指導医はやっぱり当たっているんです。これで,「できる医者の思考プロセス」がわかるんですね。病歴をさかのぼってどの行で診断がついたのかを見て,なぜその行でわかったかというのを,診断できた人に言わせます。あるいは間違った研修医が,どこで間違うかもわかります。ある情報の価値を過大評価したとか,勘違いしたとか,誤診のプロセスまで明らかになります。

 間違うということは悪くないんですよ。どうして間違えたかがわかれば。それを伝えることができれば,皆の学習になります。ですから,むしろ指導医が間違えたような症例は皆で共有しなきゃいけないですね。

問診はおもしろい

青木 臨床医が健康に育っていくためには,やはり思考プロセスが売りの人たちが医学教育のコアのところにいて育てていかなければなりません。本当は,さまざまな手技をされる分野の方も,手技そのものに磨きをかけることにのみ集中するのではなく,正しい思考プロセスの中でそれぞれの手技の位置づけを考えるようにしないと,病んだ臨床の国になってしまうのではないかと思います。

生坂 同感です。私もいま,問診に徹底的にこだわり,思考プロセスを重視したティーチングを心がけていますが,自分が研修医時代はどうだったかというと,まったくそうではなくて,やはり問診は地味な技術ですし,若い頃には派手な手技をなんとかマスターしたいと思ったものです。問診の素晴らしさをあまり教わらなかったといいますか,問診でこれほど診断できるとは思ってもみませんでしたし,診断はやはり検査というような感じだったので。「手に職をつけろ」というようなこともよく言われました。問診だけじゃ食っていけないだろうというような考え方もありましたね。

 問診,病歴,思考プロセスというと,目に見えない,非常に地味な分野ですよね。だから,なかなか普及していかないのだと思います。研修医の頃には,挿管ができるとか,IVHが入れられるというところに目を奪われてしまいますので。

 ただ,青木先生もおっしゃったように,われわれのように学生に直接触れることができる教官が,問診は地味だけれどもこんなにおもしろいんだ,こういう考え方をするとこんなに楽しいんだよということを教えなければならないと思うんですね。そうしないと,やはり派手なものに流れてしまうと思います。

青木 例えばCTスキャンなどは,人口がアメリカの半分しかいないのに,アメリカの倍の数が日本にあると聞いたことがあります。もちろん,CTが多いこと自体が悪い,思考プロセスが不十分だからCTが多いとは言いません。しかし少なくともそういう思考プロセスの中で,CTの必要性を単なる診断のための診断ではなく,本当にコミュニティにとって意味のあるアウトカムを生み出すものであるかどうかと考える人が,臨床の現場にも,教育の中枢にも,あるいは行政にもいないと,日本の医療はずっと病んだままで進んでしまうと思うんです。

 その意味で,今日はとてもいいお話が聞けたと思います。ありがとうございました。

(参考文献)
1)Nendaz MR, Bordage G. Medical Education 2002;36:760-766.


生坂政臣氏
85年鳥取大卒。89年東京女子医大大学院博士課程修了。90年米国アイオワ大家庭医療学レジデント(93年米国家庭医療学専門医)。帰国後,東京女子医大神経内科,聖マリアンナ医大総合診療内科主任医長,講師などを経て,2002年生坂医院副院長。2003年より現職。著書に『見逃し症例から学ぶ日常診療のピットフォール』(医学書院)など。

宮原雅人さん
千葉大6年。臨床実習でのローテーション中に総合診療部のカンファレンスに参加し,興味を持つ。よい研修医になるためにどういう知識が必要なのかと考えながら日々学習に取り組んでいる。

青木眞氏
79年弘前大卒。米国感染症内科専門医。沖縄県立中部病院,米国ケンタッキー大,聖路加国際病院感染症科,国立国際医療センターエイズ治療・研究開発センター医療情報室長を経て,2000年よりサクラ精機学術顧問。フリーランスの感染症コンサルタントとして活躍している。著書に「レジデントのための感染症診療マニュアル」(医学書院)がある。