医学界新聞

 

倫理教育のあり方に活発な議論

第14回日本看護学教育学会開催


 第14回日本看護学教育学会がさる7月24-25日の両日,高橋みや子会長(山形大)のもと,山形市・山形ビッグウイングで開催された。

 「いま,問われる倫理――看護学教育と実践」をメインテーマとした今回は,昨今の看護界で重要性を増してきた倫理的な課題について,教育・臨床・研究の各分野で講演やシンポジウムが企画された。海外からも,キャロル・テーラー氏(米国ジョージタウン大臨床生命倫理研究所),オードリー・バーマン氏(サミュエル・メリット大)が招かれ,時宜を得た話題に,活発な議論が繰り広げられた。


■倫理的能力の育成方法を議論

 シンポジウム「倫理的な能力をどうはぐくむか」(座長=愛知県立看護大 大島弓子氏/慶大 三上れつ氏)では,倫理的配慮のできる看護職を教育や臨床の場でどう育てていくか,立場の異なる4名の演者とともに議論された。

学生実習に患者同意書を導入

 最初に,基礎教育の立場から大西香代子氏(弘前大)が登壇。今春に看護系大学104校を対象に行った「倫理に関する授業科目」の調査結果を発表した(郵送による質問紙法で回収率41.3%)。それによると,「倫理に関して独立した教科がある」と答えた学校は8割にのぼったが,授業科目の名称や単位数,授業内容は多岐にわたることが明らかになった。大西氏は「大学によって看護倫理の捉え方がさまざまで,教育方法も手探り状態である」と現状を分析した。

 学内看護技術演習がはらむ倫理的問題についても問題提起。学生同士で体験しあう実習方法の場合,学生のプライバシー侵害(清拭など)や身体的侵襲(採血など)につながる可能性を指摘し,「(モデルを使わず)学生同士でやることについては,実習担当教員や学生の中にも賛否両論ある」と,それぞれの意見を紹介した。また,倫理実習で取り扱う患者の個人情報に関しての調査結果も報告し,「ケアにいかせるとは限らない多くの情報が収集され,実習記録として学生の自宅に保管されている」と問題点を提示した。

 一方,臨床の立場から長岡榮子氏(山形大病院)が,学生実習に際し2003年度から導入した患者同意書について説明。実習開始の1週間前に看護師長が患者へ協力依頼し,その後教員が患者に説明して同意書を取得するなどの手続き,複写式となっている同意書のサンプルを紹介した。また,看護師長から患者へ説明する際,学生実習を拒否しても患者の不利益にならないことを明確に伝えていると補足。今後の課題として,同意書取得の意義を学生が十分に理解することをあげた。

学生同士の注射は本当に必要か

 楠本万里子氏(日本看護協会)は,情報管理の立場から個人情報保護の取り扱いに関する看護者の責務について語った。最初に,OECD(国際経済協力機構)のプライバシーガイドラインや医療保健情報に関するICN所信表明に触れ,医療の主体が専門家から利用者にシフトする中で個人情報保護の機運が国際的に高まっていることを指摘。日本の動きとしては,個人情報保護法の施行のほか,日本看護協会で年内にガイドラインを公表するとの見通しを語った。また,看護学生の臨地実習における情報の取り扱いに関しては,「個人情報へのアクセス,実習記録の取り扱いなどに関してルールをつくり,実習生や患者とその家族に示す必要がある」と見解を述べた。

 文学研究科に所属する清水哲郎氏(東北大)は,すべての看護行為には倫理的な側面があると指摘。例として,滅菌ガーゼを素手で扱ってはいけない理由として,「患者さんを害するおそれがあるから」という倫理原則があることをあげた。さらに,「かたちに現れた行為と行為者の姿勢は連続的で,かたちの教育を適切に行えば心の教育となり得る」と自説を展開し,看護行為を教える時にはその意味,理由をあわせて伝えてほしいと語った。

 その後の討論では会場から質問が多数出て,活発な議論が続いた。学内で基礎看護技術を担当する教員からは「文科省や厚労省の検討会の影響で侵襲性の高い技術も実施しようという風潮になっているが,学生同士で注射をやる時には本当に必要かどうかジレンマがある」との気持ちが語られた。大西氏はこれを受け「非常に悩ましい問題」としながらも,未熟な技術のまま臨床に出て患者に害を与えるのも倫理的な問題があると話し,十分な準備のうえで,ある程度の実習を経験することの必要性を認めた。また,学生同士で実習を行う際に倫理的な問題が内在するのに気づくことが,倫理的な能力を育むための第一歩であるとの考えを示し,今後に期待を寄せた。

■倫理教育の歴史的変遷を検証

 「看護学教育における看護倫理教育の変遷」と題して会長講演を行った高橋氏は,冒頭で学会テーマと講演のねらいについて説明。日本において看護倫理教育が強調されはじめたのはつい最近であるものの,これまでも教育がなされてきたことに着目し,歴史的視点で倫理教育の変遷とその特徴を分析するとした。

看護倫理の科目が規定された戦後

 講演の中では,明治以降の倫理教育の変遷に関し,歴史的資料を交えて紹介した。第二次大戦後のGHQの指導による看護教育改革に続いて,1947年に「看護史および看護倫理20時間」が規定され,51年の改正では「看護倫理」として独立で20時間が規定されるに至ったことを説明。しかし,その後は「看護概論」に倫理が吸収され,カリキュラム改正のたびに倫理教育が強調されなくなった経過を明らかにした。

 やがて,患者の権利意識の拡大などを受けて,96年のカリキュラム改正時に,指導要領に明示された教育の基本的な考え方の中で「倫理に基づいた看護を実践できる基礎能力を養う」と記述されたことを指摘。また,「看護学教育の在り方に関する検討会」の報告書「看護実践能力育成の充実に向けた大学卒業時の到達目標」(2004年3月26日)により,倫理の教育方法と評価が具体的に示されたことを解説した。今後の課題としては,看護基礎教育機関ごとに独自の倫理教育を展開できる教育課程を検討することや,卒業時到達目標の明確化と新人教育への継続をあげた。

 最後は,「何かの出来事に出会い,自分で,自分の体で抵抗物を受け止めながら振る舞う時,はじめて経験は経験となる」という哲学者・中村雄二郎の言葉を引き,倫理教育の新たな展開へのヒントを述べて講演を終えた。

■プリセプター任せの現任教育にNO

 現在多くの病院看護部が導入しているプリセプターシップでは,さまざまな可能性とともに多くの問題点が存在するのではないだろうか。本来は「心理的支援者」であるはずのプリセプターが,「教育係」としての重責に燃え尽きを起こしているのではないだろうか――。

 佐藤紀子氏ら東京女子医大看護学部のグループがこうした仮説からプリセプターシップの現状を調査し,日本看護学教育学会の会期中,「プリセプターシップの光と影」と題する交流セッションで報告した。日本におけるプリセプターシップは,経験2年以上の看護師がプリセプターの役割を担い,新規採用看護師の職場への適応を促すシステム。最初の数か月はマンツーマン制で行う場合が多く,リアリティショックの軽減に効果的とされている。

プリセプターのフォロー必要
技術チェックリスクも再考を

 セッションの前半では,プリセプターシップに関する文献検討や,プリセプターのストレスの経時的変化に関する調査の結果が発表された。新人指導を通して自己の成長を感じるプリセプターがいる一方,多くのプリセプターが過負荷の状況にストレスを感じ,チームメンバーからの支援を必要としているとの指摘がなされた。

 その後は参加者との意見交換の場となった。「プリセプターの集合研修だけでなく,その後のフォローが必要」「相性を考えるべきか,マンツーマンの任命が難しい」「中途採用の看護師にはなじまない制度では?」など,各々の経験も踏まえた積極的な発言が続いた。

 中でも,プリセプターシップに技術チェックリストを用いる最近の傾向については,「いつもプリセプターに評価されているようで辛い」という新人看護師の声も紹介され,「ダメ出しばかりの集団では看護職がダメになる。新人のいいところを見つけていかなればならない」と,「新人から学ぶ」姿勢こそが重要であるとの意見も出された。

 最後に佐藤氏は,「現任教育は看護管理者の責任で行うもの。プリセプターに現任教育を丸投げしてはいけない」と述べ,プリセプターシップの再考を促しつつセッションをまとめた。