第2591号 2004年7月5日


寄 稿

臨床医にとっての大学院のあり方を考える

福原俊一,白川太郎(京都大学大学院医学研究科 社会健康医学系専攻)


 卒後臨床研修の必修化がいよいよ今年度からはじまったが,今回の制度改革は,その後に続く後期研修制度,ひいては大学院制度のあり方にまで影響や波紋が及ぶ可能性がある。例えば専門医の広告規制緩和の流れとともに,専門医の重要性が若手医師あるいは患者の視点からも以前にも増して加速している。

 これに伴い,一方で学位取得を目的とする臨床系大学院への入学者が減少し,研究と臨床の人材交流が減ることで,わが国の医学研究の質や量が低下するのではないかという懸念もある。このような時期に,臨床系の大学院制度のあり方について検討してみることは意義があろう。京都大学大学院医学研究科 社会健康医学系専攻教授の福原俊一氏,白川太郎氏(専攻議長)にご寄稿いただいた。


 臨床系の大学院は,医療の原動力となる最新の医学知見を生み出す場として,これまで,重要な役割を果たしてきたと言える。しかし医療を取り巻く環境の激変により,純粋な医学知見を応用提供することが即医療とは言えなくなり,患者の価値観の多様化と選択権の重視,人口の高齢化,根拠に基づく医療(EBM)に代表される,診療対象である人間集団における検証の必要性など,さまざまな要因が複雑に絡み合って医療を形成する時代となってきている。

 大学院はその多様化する医療の状況に対応できているのか,どのように対応していくべきなのか,ここでは,これまでの大学院のあり方を検証するとともに,これからの方向性を探っていきたい。

これまでの臨床系大学院の功績

 研究者の定員が少なかったわが国の医科大学における研究環境は恵まれたものであったとは言えないが,その中で,臨床系の大学院制度は,若く優秀な若手研究者を集め,講座あるいは分野としての組織力を高め,優れた研究業績を生産することに多大な貢献をしてきた。

 また,医局制度と密接に関係し,大学院を卒業した医師を臨床の現場に戻す仲介が円滑に行われてきたことで,臨床を志す医師には安心して生物医学研究を一定期間行う機会が幅広く与えられ,中には,最初は医学研究を体験する程度の動機で大学院に入ったにもかかわらず,在学中に非常に高い業績を上げ,そのまま基礎医学分野での指導的な立場を確立する者も現れるなど,わが国の医学研究の向上に一定の貢献をしてきたと言える。経済成長や国の科学研究奨励政策も手伝って研究費は大幅に増加し,「サイエンス」や「ネイチャー」などの一流国際誌に掲載される優れた論文発表も増えた。

 医学部卒業生が,将来研究者になる・ならないにかかわらず,キャリアの中で一度は生物医学研究を経験することは無駄なことではない。一般の臨床医にとっては,日常臨床に励めば励むほど,一見基礎医学研究との乖離を感じるが,例えば眼前の患者の原因遺伝子解析の理論と技術を学ぶことは,人体のしくみに立ち返って疾患を捉える訓練となり,一定期間大学院で基礎医学の研究に従事することは,その後臨床に戻る医師にとっても有意義な側面を持っていると考えられる。

 さらに,臨床現場にとっても大学院を卒業した医師が現場に戻ることで,研究と臨床の人材交流が活発になり,大学院で得られた最新の医学知見を現場に還元する役割を果たしてきたと言える。こうした意味でも大学院の「大衆化」は,多くの臨床医のキャリアパスの中で,有意義な研究を経験するという機会を与えたと言えよう。

臨床系大学院が持つ課題

 上述の通り,これまでの臨床系大学院はわが国における基礎医学研究の発展に大きな貢献をしてきたと言えるが,一方で,いくつかの課題も残した。

 第1に,臨床修練と研究を混在させてきたことがあげられる。現行では,多くの専門医制度が,大学院在籍中における臨床経験も専門医資格取得に必要な年数としてカウントできるようにしているため,臨床系大学院のシステムは,短期間で専門医と学位の両方の取得ができるという点で,資格の面からみると効率的であった。しかし,大学院在籍中は臨床に専念している期間に比べて,研究に時間をとられる分だけ,やはり臨床での経験症例数や種類などが限られがちである。今後,専門医の質を担保する基準が厳しくなる中で,経験症例数や種類ひとつとっても従来よりも多くの数が求められるようになると予想されるが,そのような基準をクリアできるか懸念する声も聞かれる。社会から医師の能力に対するこれまで以上にシビアな目が向けられている今,このような制度について再考,軌道修正をする好機かもしれない。

 第2に,臨床系大学院での研究が,基礎医学研究に偏り過ぎてきたことがある。根拠に基づく医療(EBM)の必要性が叫ばれ,医療の水準の向上をめざして,近年わが国でも診療ガイドラインの作成が進められてきたが,良質の臨床研究が十分でなく,いわゆる日本発のエビデンスがほとんど見出せなかった疾患が少なくなかった。これは,基礎医学研究で世界の中でも主要な位置を占めるわが国の状況としては,望ましいとは言えないだろう。

 もちろん,基礎医学研究の医学における重要性は今も昔と変わりない。しかし,その研究知見が医療に応用されるまでには,長い道のりが存在する。まず,動物レベル,生理レベルでの知見が,果たして人間に効果があるのか,人間の集団を対象に検証すべきであるし,効果があると証明されたとして,その後,その治療・診療法をいかに効果的にもれなく,必要な患者に適応すべきなのか,また,現場の医師に広めていくべきなのか,などの問題が山積している。

 この医療の複雑さに対応して,医学研究には多彩な研究領域が存在する。生活習慣,環境や心理・社会的要因と疾患との関連などを解析するいわゆる社会医学研究,さらに予防や治療の有効性を科学的に検証する臨床試験,現実の診療現場をフィールドとしたアウトカム研究,日々行われている医療の質を評価し改善する研究,医療の経済性の評価や医療政策に関する研究,医療情報やコミュニケーションに関する研究などといった臨床研究もある。

 このような多彩な研究領域で研究をすることは,「医学」内部からの要請であるとともに,社会からの「医学」に対する期待であり,要請であると言える。従来のように「医学」内部の価値観を中心に動くのではなく,これからの「医学」はそのような社会からのニーズへの対応,それに応えようとするアカウンタビリティを持って,社会的使命を果たし,信頼を獲得していく必要があろう。

 確かに基礎医学研究に比較し,臨床研究は結果が出るのに時間がかかり,また,国際的な論文になりにくい傾向があるが,かといってすべての臨床系の大学院生が基礎医学研究をしたいわけではないだろう。若手臨床医の間で専門医指向が強まる中,優秀な臨床研究者を輩出するためにも,彼らに大学院の魅力に気づかせ,多彩な研究領域の選択の機会を提供する必要がある。さらにこれまでの大学院では,授業・実習などのコースワークがあまり提供されてこなかった。しかし,臨床研究の基礎理論や手法が学部でほとんど教育されていない現状では,大学院で系統的な基礎教育が行われる必要があることは多くの論を待たないところであろう。

京都大学の新しい試み

 このような時代の変化,臨床系大学院の現状を認識したうえで,京都大学大学院医学研究科は,2000年に基幹分野11,協力分野3,寄附講座1からなるわが国最大の公衆衛生専門大学院である社会健康医学系専攻(School of Public Health,以下SPH)を設立した。京大にSPHが設置された理由は,まさに前段の複雑化した医療・医学と社会のニーズとの間を埋めるインターフェースとしての役割が求められているからに他ならない。

 京大のSPHは専門職大学院として,徹底的な講義・実習を行っており,年約36科目(1科目15コマ)にわたるコースワークを提供し,学生の授業評価によるフィードバックも実施してきた。これほど多くの系統的なコースワークを提供する大学院は全国にも例がなく,非常にユニークな大学院専攻と言える。もちろん京大のSPHはこれまでの臨床系大学院との連携も視野に入れており,臨床研究にとってもっとも重要な生物統計,疫学の手法,医療倫理,医療の質評価などの専門家を擁している。

 さらに京大SPHでは,臨床医が臨床の現場に足を置きつつ臨床研究にかかわるための特別コースとして,「臨床研究者養成プログラム(Master of Clinical Research,以下MCR)」を2005年度に開設することになった。これは臨床経験のある医師(歯科医師)に特化した1年制の専門職学位課程で,実質4か月の集中授業・実習の履修で修了に必要なほとんどの単位を取得できるようになっている。もちろん,1年間のプログラムで提供できる内容には限界があるが,臨床研究の基礎を系統的に学ぶことで,今後現場から研究を発信して医療の質やアウトカムの改善につなげようと志す臨床家にとっての第一歩となるよう,修了後も継続可能な個別指導(メンタリング)など綿密な構成が練られている。自らの臨床経験に根ざしたリサーチクエスチョンに回答を与える臨床研究を志す方の応募を歓迎している。

●京大大学院医学研究科社会医学系
専攻臨床研究者養成プログラム
学生募集中

 京都大学大学院医学研究科社会医学系専攻では,下記の要領で2005年度臨床研究者養成プログラム(Master of Clinical Research:MCR)の学生を募集している。
出願資格:臨床経験のある医師あるいは歯科医師
特徴:1.集中的な授業・実習,2.個別研究指導(修了後も継続可能)
出願期間:2004年8月2日17時必着
試験日:一次選考(書類審査)8月中旬,二次選考(学力試験,面接)9月1日
連絡先:〒606-8501 京都市左京区吉田近衛町 京都大学大学院医学研究科教務係(大学院担当)
 E-mail:mcr@pbh.med.kyoto-u.ac.jp
 URL=http://office.med.kyoto-u.ac.jp/nyuusi/daigakuin/
 仮設HP=http://epikyoto.umin.ac.jp/mcr/