医学界新聞

 

名郷直樹の研修センター長日記

11R

寝坊する研修医

名郷直樹   (地域医療振興協会 地域医療研修センター長
横須賀市立うわまち病院
伊東市立伊東市民病院 臨床研修センター長


前回2585号

△月×日

 気楽なようで気楽なセンター長,とりあえず「何もしない」ことがセンター長の仕事である,そう勝手に決めて,週に2回の内科外来以外は何もしない日々が続く中,事件発生である。気楽なようでシビアな研修,まだまだ道は遠い。

 研修医の1人が出てこない。病院の官舎に電話をしてもつながらない。携帯電話は電源が入っていないようだ。連絡もない。ローテート開始からまだ1か月にならないというのにいきなりこれだ。一体どうしたんだ。ただの寝坊ならいいのだけれど。同じ1年目の研修医たちもいろいろ連絡をとろうとしているようだが行方が知れない。官舎のドアをノックしてみたものの中から返事もないという。

 「おい死んでんじゃないだろうな」

 「そんなことはないと思いますが」

 幸い今日は土曜日,あまりガタガタせずに少し様子を見るか。午後からみんなで探してみよう。そう思ってはみるものの,何もしないでもいられない。まあ正確にいえば,何もしないができない。何もしないこともできず,かといって何かできるわけでもなく,ただ余計なことをするくらいなら何もしないほうがいい,なかなかよくならない慢性疾患の患者と同じだ。

 そんなこんなで午前11時をまわろうかという時,突然ドアが開く。

 「寝坊してすいませんでした」

 何だ,ただの寝坊か。心配して損したな。1年目の研修医の何割かがうつ病だなんて発表もあったから,ちょっと余計なことを心配しすぎか。ああよかった,よかった。本人もずいぶんバツの悪そうな顔をしているし,もう十分反省しているようだ。ここはあまり何も言わないほうがいいだろう。

 「受け持ち患者さんはどう?」

 「今から急いで回診に行ってきます」

 「行ってらっしゃい」

△月○日

 事件が再び起きる。また寝坊か? 今日はちょっと状況が違うようだ。早朝,受け持ちの患者さんが亡くなったらしい。その時のコールにも応答せず。また10時を過ぎても出勤していない。

 今度は10時半を過ぎて,突然研修センターのドアが開けられる。今度は言葉を交わすひまもなく,白衣を羽織ってまた部屋を飛び出していく。

 夕方になって,別の研修医から大体の様子を聞いた。受け持ちの悪性リンパ腫の患者さんが,化学療法後に胃潰瘍から出血して急激に容態が悪化,ここ数日はほとんど家へ帰れないような状態で,ちょっと家へ帰って寝たところで寝過ごして,患者さんの臨終に立ち会うことができなかったらしい。

 話を聞いて,寝坊もOKだ,そう思う。白衣をつかむなり飛び出していった様子からして,もう十分研修医自身へこんでいる。患者さんの臨終に立ち会えなくて,一番無念だったのは研修医自身に違いない。そんなことを考えて,「患者の立場で考える」,そんな言葉が頭をよぎる。患者を診ずに研修医ばかり見ていたから,自分自身が患者の立場という視点を失っているのかもしれない。こんな状況は,研修医の立場で考えるようなことじゃない。患者の立場で言えば,研修医自身がどうかなんて重要じゃない。でもそんなふうに考え直すべきではないかと思っても,どうにもしっくりこない。

 半日がたち,帰宅して,夕食を終え,もう一度振り返ってみる。

 患者の立場で考えなさい,口では言うが,そんなことができている医師はいるのだろうか。あるいは,こう考えたほうがいいかもしれない,本当に患者の立場に立って考えることが必要なのだろうか。あるいはもっと端的に問うべきか,患者の立場とは何かと。

 「患者の立場と言っても,自分のことがきちんと管理できないようでは,患者さんに迷惑をかけるだけだ」,そう言うのはたやすい。でもそれって結局自分の立場が重要ということだろう。どういう治療をするか,どういう医療を提供すべきか迷った時には,「自分の家族だったらどうするか,そう考えなさい」,そう言う医師がいる。でもそれも自分の立場で考えるということだろう。患者の立場に立ったように見せかけて,結局自分の立場を優先するようなら,それは最悪じゃないか。多くの患者の立場に立った医療なんて,見掛けをうまく取り繕っているだけではないのか。今まで自分がやってきたことだって,そんなことだ。自分自身は朝寝坊なんてことはなかったかもしれないが,患者の立場に立っていたから寝坊をしなかったわけじゃない。むしろ逆だ。

 「患者の立場に立って考えなさい」,これからはそんなことを決して言わないように気をつけたい。患者の立場に立つ,そんなことはできない,できないことを要求してはいけない。そうはっきりと理解する。研修医に必要なのは患者の立場に立つことではない。自分の立場で全力を尽くすこと。ただ患者の立場に決して立ってはいない自分自身をきちんと認識すること,それだけ。

 本当に何もわかっちゃいない。私自身。

 そんな研修医がうらやましく,また頼もしく感じられる。それでも次はやはり寝坊しなくてすむように,なんとかバックアップができるといいのだが。適切に注意することもできず,かといって適切にほめることもできず,うろうろするばかりの自分。「適切」とは何か,「適切」なしかり方,「適切」なほめ方がわからない。わからないけど,次の時にはこう言いたい,もちろん次はないほうがいいのだが。

 「よく寝坊するまで頑張った。でも今日はゆっくり休みなさい。明日は遅刻しないように。ね!」


名郷直樹
1986年自治医大卒。88年愛知県作手村で僻地診療所医療に従事。92年母校に戻り疫学研究。
95年作手村に復帰し診療所長。僻地でのEBM実践で知られ著書多数。2003年より現職。

本連載はフィクションであり,実在する人物,団体,施設とは関係がありません。