医学界新聞

 

シンポで「健康」とは何かを議論

第39回日本理学療法学術大会開催


 さる5月27-29日,第39回日本理学療法学術大会が,半田健壽会長(東北大学病院診療技術部リハビリテーション部門技師長)のもと,仙台市の仙台国際センター,宮城県スポーツセンターにおいて開催された。今回のテーマは「病気・障害,そして健康…理学療法学の近未来に向けて」。今大会は演題数が1000題を超え,7つの分科会に分かれて研究発表と活発な討論が行われた。本紙ではテーマにも掲げられた健康に関するシンポジウム「健康の視点」を紹介する。


 わが国の理学療法士は有資格者約4万1000名,日本理学療法士協会会員は約3万5000名を数えるが,本大会は同協会の主催する学術集会であり,秋に行われる協会員の生涯教育を目的とした全国研修会と対を成すものである。

 日本理学療法士協会では専門領域として,(1)理学療法基礎系,(2)神経系理学療法,(3)骨・関節系理学療法,(4)内部障害系理学療法,(5)生活環境支援系理学療法,(6)物理療法,(7)教育・管理系理学療法の7つを定めているが,今大会は7つの分科会ごとに研究発表と討議が行われた。最終日にはそれら7つをまとめるパネルディスカッション「理学療法学の発展に向けて」(司会=弘前大保健学科 對馬均氏)があり,総括として半田大会長による大会長宣言が行われた。今大会の演題数は1000余題と過去最高で,一般演題はすべてポスター形式であった。

混迷する健康観

 シンポジウム「健康の視点」(司会=東北文化学園大 長崎浩氏,松田病院 渡邉好孝氏)では,鷲田清一(阪大大学院文学研究科),波平恵美子(お茶の水女子大文教育学部),辻一郎(東北大大学院公衆衛生学分野)の3氏が予め壇上に着席し,およそ30分ずつ口演し,その後討論が行われた。

 鷲田氏は「健康と現代社会」と題して口演した。冒頭,司会の長崎氏の趣旨説明を受けて,「健康か否かの二者択一はやめるべき」「健康という観念が人をdisableにする」と述べた。米国には健康モラリズムという考えがあり,正しい自己管理を怠ったから,あるいは道徳的な意識が足りないから病気になると考えられている。氏は「病は治すのではなく,それと付き合うべきもの,それを生きるべきもの」と述べた。

 また,現代社会の資格主義と専門主義について,「できる」を前提にした資格社会がいかに一面的であり,結果として「自分探し」という病を生んでいるか,ケアの専門化がいかにケアされる人を受動的にし無力化しているかを述べた。

 波平氏は専門の「医療人類学」あるいは「文化人類学」について,比較という方法を用いて,同時代の別の社会,あるいは同じ社会の過去を振り返ることにより,別の角度から現代社会を見つめ直す学問と説明。自身のフィールドワークを交えながら,「世界の健康観」について口演した。1946年に発表されたWHOの健康の定義は,戦争により焦土と化した世界にとって,定義というよりは目標,目標というよりはイデオロギーであった。イデオロギーを個人の身体で実現するのは間違いではないか,と波平氏は問題提起した。

 到達すべき具体的な目標は,強迫的な心情につながり,人は「できる」ことを楽しめなくなってしまった。情報に汚染されるように,人々は自分の中に基準を作り,社会全体が不安に陥ってしまっている。そんな時,現代医療にほとんど接することがない地域の人々と我々を比較することによって,多様な健康観が浮かび上がってくる。氏は「健康とはあくまでも主観的なもの」と述べた。

 辻氏は「健康寿命」とその向こうに何があるかについて口演した。日本人の平均寿命は過去50年間に男性が約20年,女性が約22年延びた。ところが,これからの50年では男性が約3年,女性が約4年半しか延びないと言われている。癌,心疾患,脳血管障害のすべてを克服したとしても延びる寿命はせいぜい5-6年という。日本人の平均寿命は生物学的に限界に近づいている。そうである以上,これからの医療は「延命」以外の目標を掲げざるを得ない。そこで登場したのが「健康寿命」という視標である。

 健康寿命は,あるレベル以上の健康状態での期待生存年数と定義される。一般的には日常生活活動に障害のない生存期間とすることが多い。氏は健康寿命を延ばすための高齢者の運動トレーニングから多くを学んだと言う。身体のためにはじめたトレーニングにより,メンタルな面が改善し,QOLが向上する。健康とはQOLそのものであると述べた。

健康観の修復

 口演後の討論では,司会の長崎氏が国民の健康に対する関心の持ち方をどう思うか,近代医学は健康問題から人々を解放することをめざしたはずなのに自縄自縛になっていないか,とシンポジストに尋ねた。

 鷲田氏は健康がいろいろな犠牲の上に成り立っており,健康を自由な観念として取り戻す必要があると述べた。

 波平氏は何のための健康かと問われた時に,自己実現あるいはより充実した人生のため,などと答えるようになったのは実は非常に新しい考え方であると指摘。従来自分のためという考えはなく,すべてが家族や他者のため,他者に迷惑をかけないための超個人的な健康であったと述べた。自分のためだけの健康というのはある意味不幸であり,もう一度誰かのためという目標を設定してみてはどうかと提言した。

 高齢者の運動トレーニングの効用のメカニズムを問われた辻氏は,トレーニングによって高齢者のセルフイメージが変わることを指摘。それによってコミュニケーションが増し,メンタルな面の改善につながるとした。

理学療法への期待

 最後に理学療法士への一言として,鷲田氏は自分の知識,技術を一時的に棚上げしてでも,相手にとって何がよいかを考えてほしい,専門・非専門間のコミュニケーションのあり方は大きな社会問題であり,専門性とは何かという問題から目をそらさないでほしいと述べた。

 波平氏は脳卒中の後遺症を抱えながらも外出する人を見かけることが多くなったと指摘。まさに隔世の感があり,医療技術とりわけ理学療法の貢献が大きいのではないかとしたうえで,この間できるようになったことをもっと宣伝すべきではないかと述べた。

 辻氏は介護予防の観点から,地域で活躍する理学療法士を熱望。専門職・利用者間のコミュニケーションのあり方については,利用者を無力化しかねないパターナリスティックな関係を改善する必要があるとした。最後に司会の渡邉氏が全体を総括してシンポジウムは幕を閉じた。