第2587号 2004年6月7日


座談会

総合診療イノベーティング

小泉俊三氏
佐賀大学教授・総合診療部<=司会>
箕輪良行氏
聖マリアンナ医科大学教授・救急医学
山本和利氏
札幌医科大学教授・地域医療総合医学
尾藤誠司氏
国立病院東京医療センター室長・総合診療科


■「総合診療」の現在

「狭間的な領域の診療」に

小泉<司会> 本日はそれぞれ異なる立場から総合診療に携わっておられる先生方にご出席をお願いしまして,総合診療の今後の新しい展開,展望についてお話ししていただきたいと思います。

 まず,自己紹介も兼ねまして,先生方が直面しておられる問題点などをご指摘いただけますか。

山本 私の所属する講座は,他の専門講座より後からできたこともあって,どうしても他の専門医が診ない狭間的な領域の診療になってしまうということがあります。

 現場で実際に必要とされる「何でも診る」,「commonの疾患を診る」ということにおいては,大学よりも第一線病院で学生実習を行うことによって,学生中心の教育を突破口にして,何か新しい動きが見えてこないかということに期待しています。

 また,地域に必要なジェネラリストの研修を推進する新しい臨床研修制度が,これまでの臓器別病棟の再編につながるかもしれないという期待も持っています。

小泉 病棟診療に後から参加したという事情があって,十分に機能していないということですか。外来診療に関しては,「最初に必ず総合外来を受診していただく」という形にはいかないのでしょうか。

山本 マンパワーの問題や,既存のシステムの問題がありますので。

「アカデミック・キャリア・パス」,「ロールモデル」,「EBM」

尾藤 総合診療をどのような場で実現しているかという観点からは,大学病院,地域の大病院,小さな病院,診療所に分けられると思いますが,私はその中の大病院の総合診療科で働いています。私が総合診療の道に入った頃は,そうとう強い意識が必要でした。同僚がキャリアを積んでいくので,不安になったりしていました。

 しかし,総合診療に対する認識も深まり,また時代の流れもあって現代の若い人たちはあまり自分探し的な考えを持たず,自然に入っている時代になってきたというのが私の印象です。これはとてもよいことです。

 ただ病院の総合診療科ですと,「アカデミック・プライマリ・ケア」ということに関しては,かなりがんばらないといけない。まだサポートと努力が必要だと思います。

 大学ではアカデミックなことができますが,なかなか現場のことがうまくいかない。一方,一般病院では現場のことはうまくいくけれども,それがアカデミック・キャリア・パスとして通用するかというと,まだ若い人たちは自信がない。

 病院に勤める人も,もう少し自然にアカデミック・キャリアを積みながら,患者さんとも他の医療スタッフともよい関係を築くことができるとブレークスルーが出てくると思います。

小泉 尾藤先生がおっしゃるように,いまの若い人が尾藤先生の若い頃に悩んだようなことをあまり悩まなくて済んでいる理由はどこにあるのでしょうか。

尾藤 1つは,やはりロールモデルの問題だと思います。私も含めて,現在40歳前後の人間が,病院の中で最初からジェネラルとしてのキャリアを積んできて,生き生きとしています。そういう姿を見るのは,おそらく理屈よりも重要だと思います。

 それからもう1つ,EBMという考え方が普及したことがあると思います。他の科とのカンファレンス,例えば消化器カンファレンスの中でも,「ポリープの予後についての疫学的なコンサルテーションは総合診療科の人に聞いてみようか」というようなことになります。そういうことが自然な流れになってきて,若い人たちに総合診療というものがよく見えるようになってきていると感じます。

「新研修制度」と総合診療

箕輪 少し話がずれますが,総合診療に関しても,「質が問われる時代」になってきたように思います。おそらくそれが今後の大事なテーマの1つで,それを実現するために,いまお話が出たEBMや臨床研究などのアプローチ,あるいは教育の質のアップということもあるでしょう。

 『総合診療ブックス』というシリーズが成功しているのは,切り口はバラバラですが,すべてに「質が高い」と思われる何ものかがあるからだと思います。

 先ほど尾藤先生が,ロールモデルということをご指摘なさいましたが,今回の臨床研修必修化に伴うマッチングでも,大学病院ではなく,市中の研修病院のほうを多くの人が希望しました。そういうのは時代の流れに若い人たちが敏感に反応していることは間違いありません。

 ただ,それを捉え切れているかというと,そこがやはりアカデミックといわれている大学の課題であると思います。私は今春から大学に移りましたが,「大学は駄目だ」と30年言い続けてきた人間で,立場が逆転しました。大学で魅力的なプログラムを作って,人を集めるためにはどうしたらいいかというのが最大の課題です。

 大学は現在強い危機感を持っています。いまのしくみのままでいったら,数年後にはいい医局員は集まらないということもわかっています。それを軌道修正する必要がありますが,守旧派もいてなかなかうまくいかない。従来のシステムを何とか壊すことなく生き残りたいわけです。旧帝大などの確固としたところのほうが難しいかもしれませんが,軌道修正をしないとおそらく潰れるのではないでしょうか。

山本 行動力のある人が全体を見渡せる病院長や学長の立場になると,いま先生が言われたことがトップダウンで一気に改革の方向に進む可能性はあると思います。

箕輪 ただ,お話ししてみると,そこに誤解があることに気がつくのです。市中病院の専門医の先生の誤解の1つは,総合診療と今回の新しい臨床研修を混同してしまっていることです。総合診療医を作ることが,新臨床研修の目的のように誤解しています。またその一方で,私たち総合医の側にも誤解があって,「新臨床研修は,総合診療にとって追い風である」というように捉えているところがあります。

尾藤 いまのお話は重要なポイントだと思います。これまでは,大学を卒業すると,研究か臨床かという問題がありました。また,臨床の中でも,例えば「カテーテル一筋」などのような求道的な臨床と,それ以外のより一般的な臨床という区分けがありました。そして,大学では,研究をする人と,求道的な臨床をする人が活躍できる舞台が整っています。

 しかし,まずフラットに臨床の現場に出てみて,求道的な臨床もあるが一般的な臨床もある。そしてそれも,病院の中でやるものもあれば,医療機関の外に出て行くものもあります。そういういろいろなことを純粋な目で見ることができるという意味では追い風だと思います。ただ,カリキュラムそのものは,別に総合診療医を育てるためのものではありません。それは意識とか,気づきの問題なのではないかと思います。

「救急医療」と総合診療

箕輪 先ほど山本先生が地域の話をされましたが,実は救急医療でも何を用意しなければいけないかというと,地域ベースの考え方しかないのです。昭和40年代からはじまった救命救急センターが,日本の救急医療を支えて,向上させたことは間違いありませんが,どうも極端なモデルが強調されすぎて,高度な外傷治療を推進ということが重要視されすぎた結果,病院側の発想になってしまった。

 しかし,当然のことながら,どこの地域にも救急医療は必要です。地域にしかるべき救急病院があるということが,地域のニーズに応えるわけです。実際に,救急車で運ばれる患者の9割は軽症ですが,この9割の人たちを診るのも救急です。これは総合診療の範囲ですが,その人たちを適切に診ることが不可欠です。

 いままでは重症の患者を診ることができれば,軽症の患者も診ることができると喧伝されていました。けれども,重傷の救急患者さんを診ることと,軽症の人たちを診ることはまったく異なります。そういう人たちを診ないと,地域のニーズに応えられない。救急医療の総合診療的な内容は,地域の中にあるわけです。それを研修医や救急医療を支える人たちに理解してもらう必要があります。

小さくても,日々の実践に裏づけられた事実だけを!

箕輪 そういう点からも,臨床研究の重要性を痛感します。臨床研究のかたちで,地域の中の救急で扱うもののなかからサイエンスを生み出すしかない。論理を積み重ねて,データを積み重ねていく仕事ですから。

 雑誌『JIM』の今年の4月号「開業医の魅力に迫る」の巻頭言に松村真司先生が,「今の時代に必要なことは,大きな声でスローガンを叫ぶことではない。小さくても,日々の実践に裏づけられた事実だけを,誠実に,そして冷静に伝える勇気を持つことである」と書かれていますが,私は非常にいい言葉だと思います。やはり私たちの仕事は,それしかないと思います。派手な疾患,あるいは病態がドラスティックなものばかりを集めるような仕事を,学会は追いかけてきたのですが,飽きてしまうし,行き詰まるし,またボリュームも知れています。

 それは,いままでプライマリ・ケア学会,総合診療医学会,家庭医療学会というところでやられてきたものだと思いますが,日本がアメリカと違うのは,分業化を徹底しないで,オーバーラップしてやってきたことだと思います。

「北米型のE.R.」

箕輪 キーワードの1つとして考えられるのは,「北米型のE.R.」です。北米型のE.R.は,30年の長い歴史を持っていますが,非常によくできています。

 具体的に言うと,「ディスポジション(disposition)」という考え方です。E.R.や救急の総合で診る時に,「オブザベーション・ユニット(observation unit)」と言って,入院でもなく,外来に戻すのでもなく,そこにいろいろな形の共通ユニットを作り,自分たちで観察するのです。そして,そこに自分たちの情報収集の場を作り,そこからデータを作るのです。そういう方向があると思います。

「clinical pearl」とは,「暗黙知」とは何か

山本 総合診療医の立場をひと言で言いますと,患者さんのニーズに対して変容して,診療に当たれる能力だと思います。

 それは,尾藤先生がいつも言われている「臨床問題解決能力」ということになると思いますが,私がその枠組みとして考えるのは,「科学的な能力,態度,実践法としてのEvidence Based Medicine」と,「哲学的・人間的なものとしてのNarrative Based Medicine」の2つです。最近,その2つを結びつけようと考えて,Narrative Based Medicine関係の本を読んでいて「治療的直観」という言葉と出会いました。まさに大事なのは直観,「暗黙知」みたいなもので,いま言った両者をつなげる何かがあって初めて成り立つと思うのです。

 実際のところ,患者さんは医師と出会った最初の時点で,かなり「暗黙知」的なものを評価して,「いい医者」とか,「悪い医者」と言っているのではないかと思います。そこのところに,昔から言っている「clinical pearl」みたいなものが入ってくるのかもしれません。漠然としていますけれども,そういう言葉に表せないから「暗黙知」なのですが。

尾藤 山本先生が言われた「clinical pearl」というのは,例えば「いい塩梅」ということです。「あの先生,いい塩梅で診療しているな」というところですが,「いい塩梅」というのは,たぶん何かの論理で,そしてその論理的なものを,箕輪先生もお話しになったように楽しんでいくということは,総合診療医のキャリアの中で大事なことだと思います。

「理解し合った医療」を

尾藤 また,箕輪先生が先ほど言われた,日本なりのいろいろなものがオーバーラップして,曖昧な感じになっていることですが,これも臨床にとって大事なことで,曖昧なものを医療から排除していくと,専門分化されたものになっていきます。

 でも,曖昧ではないものは,医療においては非常に少ない。曖昧なものだらけで,曖昧なものをうまく整理し,なるべく妥当なところに落ち着けていく。鑑別診断などはその典型だと思います。いわゆる内科診断学というのは,曖昧さをいかに整理していくかであって,その本流は,曖昧な中でいかに医学的な論理をしっかりしていくかということです。こういうものは古典的ですが,総合診療の根幹だと思います。

 「総合診療ブックス」のシリーズの中の,『総合外来 初診の心得21か条』は,主訴をベースとして,曖昧な中でどのように整理していくか,という論理的な思考を出していて,いい本だと思います。さらに言うのであれば,現代の医療に大きく欠けているものは,コンテクスト(文脈)を意識した医療だと思います。具体的には患者の側に立った医療でないといけない,安全でないといけない,そして理解し合った医療をしないといけないと思います。いままでの単なる診断と治療というところから,さらに理解し合える医療という,もう1つ難しい課題が出てくると思うのですが,それはとてもエキサイティングだと思います。

 これまでよりもさらにエキサイティングな頭の使い方,いい塩梅の出し方というものを,うまく各論的にわかりやすく出すことができると,総合診療の本質的な部分をエッセンスとして出せるのではないかなと強く感じています。それから,総合診療のキャリアの中で大事なのは,やはり外来だと思いますので,外来診療の面白さを,いかにわかりやすくパッケージングできるかということが大事だと思います。この本を読んで,特に痛感しました。例えば救急外来は,アピールする場であると思います。今後のアイデアとしては,例えば再診外来で,高血圧で太っている人の健康管理の面白さというものを伝えられるような本がうまくできると,いいのではないかというのが各論的に思っているところです。

「パッケージ化」の重要性

尾藤 「パッケージ化」という話が出ましたが,先ほど山本先生が言われたように,院長のレベルになると全体が見えてきて,総合診療的な志向になってくる。例えば「クリティカルパス」や「インディケーター」というものも,管理学としてではなく,コメディカルも含めて皆で「よりよくしよう」というような視点で考えていくと,管理者の目ではなく,現場の目で出していけます。

 米国の一般内科学会では,「health services research」というのはかなり大きなフィールドになっていますから,より質の高い医療,効率性のある医療,同じ質でより安全な医療ということを,われわれがエビデンスを出すことも含めて考えたり,パッケージしていくようなことが,テーマの1つだと思います。

箕輪 いまの話のパッケージング化,標準化ということはとても大事です。私たちがACLS(advanced cardiac life support)などの救急蘇生のパッケージングされたコースを運営していて気がついたことは,パッケージングされたものを開発する過程がEvidence Basedであると同時に,それを普及する活動が組織的で,人を巻き込む力があって非常に魅力的ですね。ナースや救急救命士の人が入ることができる。そこで共通言語が生まれ,誰でも使用可能になっていく。ディシジョンやオーダーを出す人間が誰であっても,受ける側が共通言語で受けられる。標準化されたものを,皆で供給できる過程が非常によくできている。これはいいモデルになると思います。

 私たちは,それを別のところで適応できないかといろいろ試みました。例えば心臓治療のように常に対象が明確で,使えばそこに診療報酬が発生して,患者のアウトカムにすぐにつながる。そしてまた自分も満足感が得られるということですと,パッケージングしやすい。しかし,医療面接のコミュニケーションの力をパッケージング化していこうとしても,それが診療報酬につながり,患者さんに対するアウトカムにつながるかということについて確たるものがみつかりにくいです。

 ところが,先ほど尾藤先生が言われたサービスの範囲で患者の満足度ということを考えますと,満足した患者さんは,必ず「あの先生はいい先生だ」と評価してくれますから,それが広がってリピーターを増やし,口コミによって初診患者が増えることになって,必ず経営にフィードバックされるはずです。そういうことが,最近見えてきた。従来,非常にパッケージングしにくいと思っていたものが,実はしやすいことが,この頃わかってきたように思います。もっとパッケージング化を進めなければいけないという気がするのです。

 言い方によっては単純な思考になる危険性はありますが,先ほど山本先生が言われた「Evidence Based Medicine」や「Narrative Based Medicine」についても,パッケージング化をしなければいけない部分があるのではないでしょうか。そういうことを持ち込んでもいいのではないかという気もします。最後は,「治療的直観」とか「暗黙知」というようなところが出てこないといけないような気がするし,経験と知識の融合みたいなところがあるのでしょう。そこにはすぐにいけそうもないのですが,そのへんで少しパッケージング化し,標準化するのも,1つの面白い試みかなと思います。

■「総合診療」の新展開

「リーダーたち」への期待

小泉 今日のテーマを踏まえて,新展開という観点から言えば,1つには,先ほど尾藤先生がおっしゃったように,ロールモデルができあがりつつあって,その人たちのプロとしての総合診療そのものが支持されているという現実があります。

 若い人たちにとって,充実感・満足度が高くて,元気よく活躍している先輩がいるという環境ができてきました。そういう意味では,総合診療を担っている現場の人たちが,常に縁の下の力持ちでつらい思いをしているだけではないという認識は大きいですね。

 数年前(1999年4月)に,雑誌『JIM』で「必見・総合診療のリーダーたち」という特集がありましたが,現在はさらにその裾野が広がっていると思います。そういう人たちが注目されるようになると,ますます元気が出るでしょう。

 先ほど「医療面接」の話が出ましたが,OSCEをはじめとする教育技法などもそうとう変わりましたね。ACLSなどもその典型ではないかと思いますが。

箕輪 ご指摘のように,特にACLSはパッケージング化が進んでいます。単純化されすぎて,もっと複雑な込み入った話がいっぱいあるわけです。それを進めるために,「複雑化した話をしよう」と,一歩進めてパッケージング化しています。

 北米の医師たちは非常に論理的だと思います。パッケージ化しやすいところはパッケージングを徹底する。すると,やはり複雑な話が残る。しかし,その複雑な話もパッケージング化できるはずだと果敢に進めています。大変に大胆です。非定型的なACLSであるけれども,ACLSの共通の原因がある。それは単純化されたACLSの中では切り捨てられたわけです。

小泉 もう1つは,EBMで重視している有病率や事前確率の背景には疫学的な基本的考えがあります。疫学的なものの見方は非常に大切なのですが,伝統的内科診断学との違いを出そうとするあまり,疾患の病態生理について,総合診療医は拒否反応を示していると思われているフシがあります。本当はそういうことはありません。

 話が戻りますが,臨床医にとって推論するというところはかなり大事な気がします。この間,コミュニケーションの問題をいろいろ取り上げてきましたが,コミュニケーションの次に,共用試験も「OSCE」などに代表される基本的臨床技能という考え方が注目を浴びるようになってきています。その次くらいに疫学的なことも頭の一方に入れつつ,「診断推論」の問題を考えるべきで,その中に病態生理も含まれるべきだと思います。それこそ「いい塩梅」,バランスの取れた臨床決断能力を磨くためにも大事なことだと思います。

総合診療イノベーション

小泉 それでは,最後に本日ご出席いただきましたリーダーの方々に今後の総合診療に寄せる期待をひと言ずつお願いします。

尾藤 総合診療の役割は,働く施設や地域の特性によって大きく変化するのは当然で,「これが総合医療だ」とか,「これはプライマリ・ケアじゃない」とかにはこだわらないニーズ・オリエンテッドの姿勢が大切かと思います。ただ,総合医療/プライマリ・ケアのめざすものははっきりしていて,それは,患者さんも,家族も,地域もコ・メディカルも,そして自分自身も満足できるような医療の実現です。

 総合診療が扱う,予防医療,慢性期ケア,診断プロセス,医療倫理,医療サービス,教育などの各論的なテーマは,すべてその目的に直接帰着していくはずです。その道筋は,臨床能力,そしてよいヘルスケアを育む道筋といってよいかもしれません。

 めざすものさえブレなければ,総合診療医が現場で,そして学問的にもかかわらないといけない健康に関連するテーマは山のようにありますので,アクセスしやすいテーマ,肌に合ったテーマの中で,総合診療医/プライマリ・ケア医どうしの協調的な交流がもっと活発になるといいですね。

 もう1つは,以前から言っていることですが,問題解決能力というものを1つの柱として,ジェネラリストが自分のキャリアを自然に,しかもわかりやすく築いていけるような環境整備をめざしたいと思っています。

山本 医療の現場で,総合的な見地で診療を統合するだけでなく,社会に対しても総合的な見地で発言し,行動していくことが重要だと思っています。

箕輪 新臨床研修で「総合」の味覚を覚えた若い医師たちが,大学,病院,診療所という場や慢性,急性のセッティングの違いを越えた経験,知識,技能を高め,ジェネラリストとして育ってほしいと思うのと同時に,育つのをサポートしたいと思います。

(おわり)