医学界新聞

 

【海外研修記】

オーストラリアにおけるクリニカルパス

堀江健夫(前橋赤十字病院総合診療部)


 日本クリニカルパス学会が主催する海外研修会が第4回を迎え,南は熊本から北は新潟まで9施設,総勢17名での研修が2004年2月16日からはじまった。4日間にわたる研修の中で,シドニー周辺の4つの病院と,州保健省,教育機関を訪れ,オーストラリアにおける医療制度とその課題,そしてクリニカルパスを含めた病院・行政の新たな取り組みについて学ぶことができたので述べたい。

オーストラリアの医療制度

 オーストラリアは人口1960万人で,世界第6位の大きさを誇る国土を持ち,3つの時間帯がある。1901年に連邦制が開始されてから,州によって異なる医療制度が存在している。

 オーストラリアの医療制度は英国のNHS制度にならい,一般医(General Practitioner; GP),専門医(Specialist),公的・私的病院,メディカルセンターなどがあり,GPをゲートキーパーとしたアクセスに制限のある医療サービスを提供している。公的医療システムであるメディケアは消費税による財源確保を行っているが,医療費はGDPの8.5%に達しており,増大する医療費の抑制が必至な状態である。

 人口10万人あたりの病床数は日本の1210床にくらべ,オーストラリアでは450床と少なく(1995年),病院数も日本に比べ1割程度と極端に少ない。急性期病院での在院日数は公的医療サービスでは平均4日と米国を上回って短い。人口密度は日本の100分の1で,国民の多くは海岸沿いに生活している。内陸部は孤立しており,都市部との医療格差が顕著であるなどの特徴がある。

 「我々の医療制度は危機的な状況を迎えています」。研修中に何度,この言葉を耳にしたであろうか。現在,オーストラリアでは医療の質の格差以外にも,病院でのケアコストの高騰,深刻な看護師不足が社会問題となっている。ニューサウスウェールズ(NSW)州では過去5年間で5500もの病床が削減されており,病院側も生き残りをかけて,統廃合が進められているという。同時に入院する患者はより重症化してきた一方で早期の退院が求められ,患者にとっても満足のいくケア・治療を受けることが困難になっている。

病院におけるクリニカルパス

 私たちが訪れたシドニーはNSW州の州都であり,人口は州人口の60%,400万人の住む大都市で経済・文化の中心地として知られている。

 今回訪問した4つの病院(St. Vincent's Hospital, Sydney Children's Hospital, Westmead Hospital, Royal Alfred Hospital)は3次医療提供を行う教育病院として地域医療の中核を担っている。DRGへの対応策として発展がもたらされたパスであるが,各病院ともに,入院件数・医療コストの上位20のDRG疾患群に対して積極的なクリニカルパスの導入を行っている。

 その中の1つ,St. Vincent's Hospitalは平均在院日数3.7日,326床の病院である。同院でのクリニカルパスの取り組みは1994年からであり,多職種による運営形態を基盤とし,現在58のパスが用いられている。クリニカルパスの目的として同院では以下の5点をあげている。

1)効果的なケアをタイムリーに提供してさまざまなリソースを活用する。
2)効果的なケアの提供を導くための要因を突き止める。
3)バリアンスの説明や分析を可能にする。
4)最善の業務を推進し,ケアの取り組みにおいても質の改善を推進する。
5)患者がケアや治療に参加することを可能にする。  特に患者参加について,最近になってオーストラリアで積極的な取り組みを行うようになったという。パスに関しての研究も盛んで,同院では膝・股関節置換術を受けた患者に対しての治療パスの有益性についての検討を行い,在院日数の著しい短縮,自力歩行までの期間の短縮,再入院率を含む合併症の減少を報告している。

 パス導入が成功した背景には,現場任せのパス運営でなく,病院幹部レベルのサポートを得られたことが重要であったという。また,パスの管理・運営を統括する専任のコーディネーターの存在も見逃せない。彼らは現場スタッフのチーム結成からパスの作成・実施を支援し,さらに質改善へつながるバリアンス解析を行い,各部署にフィードバックをしており,多忙な現場スタッフを支えている。

州政府・教育機関での試み

 クリニカルエクセレンス研究所はNSW州政府が2001年に設立した組織で,現在臨床業務の改善を目的とした6つのプロジェクトが進行している。

 その中の1つであるTASC(Towards A Safer Culture)プロジェクトはオーストラリア医師会の協力のもと,リスクの高い急性冠症候群と脳梗塞に対して,救急外来でのクリニカルパスを導入してアセスメントやケアの標準化により疾患の見逃しを防ぎ,迅速な治療導入を行う目的ではじめられた。このプロジェクトの導入によって入院延べ日数の減少,薬剤の適切な使用が行われるようになった。4つの病院で試みられたこのプロジェクトは,現在NSW州の29病院で拡大されている。科学的根拠に基づくクリニカルプラクティスを多職種の医療チームにより,病院のローカルレベルに適したパスに導入すること,集積されたデータを基にして改善を行うこと,病院だけでなく,医師会,保健省がプロジェクトを支持してくれたことがTASCを成功に導いた鍵であったという。

 NSW州では政府機関である保健省においても医療サービスの向上にむけてさまざまな試みが行われている。同省では新たなフレームワークとしてクリニカルガバナンスを導入している。クリニカルガバナンスとは高水準のケアをもたらす努力と説明責任を柱にしており,なかでもクリニカルガイドラインとクリニカルパスはエビデンスを臨床業務に導入するための重要なツールとして活用されている。このクリニカルガバナンスによって財政面だけを追求してきた院内改革が,コストと質をあわせた改革にシフトしてきているという。

 興味深かったのは同省ではClinical Service Frameworkとよばれるもので,専門家と医師・看護師・コメディカル・患者からなるワーキンググループによって最新のエビデンスに基づき呼吸器疾患,心不全,癌の慢性期のケアについて州政府が期限を明記した行動計画に基づき,予定されたアウトカム(患者中心の医療,総合的ケアの提供,回避可能な入院を減らす,QOLを改善,疾患予防,良好なガバナンスを維持)を達成するものである(http://www.health.nsw.gov.au/sd/igfs/hp/csf/にて閲覧可能)。この枠組みはガイドラインとは異なり,各医療機関においての実施義務と,年2回の保健省への実績・進捗状況の報告義務がある点が特徴である。

 最後に訪れたシドニー工科大学のDuffield教授らは看護師の作業量と患者アウトカムの関連についての研究を行っている。全豪最大のプロジェクトの1つとして1200万ドルの予算がついたこの研究は,近年看護師の労働力不足によって患者アウトカムが悪化することが科学的に明らかになりつつある中で,豪州においての看護師のおかれる職場環境,スタッフの数,Skillmixの現状を調査し,実際の入院患者のアウトカムとの関連を調査するものである。Primary surveillance systemとして,24時間患者の安全を見守る看護師の適正な配置についての政策的影響を与えるものとして期待されている。

 フルタイムの看護師の数が減少し,パートタイムの看護師が増えており,本来は正規看護師業務を補うための看護助手が,人手不足により看護師の業務を代行する事態が起こり,ケアの質の低下が指摘されているが,クリニカルパスは彼らの教育にツールとして活用されている。

地域全体でパスを検証

 広大な国土での医療サービスという点では日本とは異なるが,何よりも病院のみならず,医師会,行政,研究機関がそれぞれ問題意識を持ちながら,新しい枠組みを導入し,協力してプロジェクトを行っていき,その結果から得たものを次に生かしていくという実証的な姿をみた。ベストプラクティスを提供するためのパスという1つのツールから,病院を越え,地域医療サービスの中で医療の質をどのように改善させていくか大いに参考になった研修であった。

 今回の海外研修の機会を与えていただいた諸先生方および,研修団長の阿部俊子先生,パス学会事務局の中山さん,アフターファイブを楽しく過ごさせていただいた参加者の皆さんに感謝申し上げます。