第2585号 2004年5月24日


【シリーズ】

この先生に会いたい!!


伊藤 淳さん(藤沢市民病院2年目研修医),
田村正徳氏(埼玉医大総合医療センター教授)に聞く


<なぜ田村先生に会いたいのか?>

 大学6年の秋に,1通のメールが届きました。表題は「国際医療協力に関心のある医師と医学生の皆様へ」。差出人は田村先生でした。僕は学生時代にいくつかの国際保健の現場を見学しましたが,卒業を控えてもなお臨床と国際保健を両立させる具体的な将来像を描けず,軽い焦りを感じていました。焦りは今も続いています。メールには,国際保健に取り組んでいく医局の方針が書かれていました。それ以来,一度じっくりお話を伺いたいと思っていました。

(伊藤 淳)


シュヴァイツアーに憧れて

伊藤 先生は高校時代から大学時代を,どのように過ごされたのですか。

田村 高校時代はごく普通の田舎の,いい意味でいえば純朴な学生でしたね。僕が医者になろうと思ったのも,非常に単純なきっかけでお恥ずかしいですが,高校時代にシュヴァイツアーの伝記を読んで感動したからなんです。

 大学時代はちょうど東大闘争の時期で,1967年から学生運動が全国的に展開して,その渦中に僕もいました。安田講堂事件は非常にショックでしたが,そのあとストライキも解除されて授業が再開された。でも僕には素直に大学に戻って勉強することに納得できない気持ちがありました。それで1年休学して,山谷のドヤ街で過ごしたり,南アルプスの山小屋でアルバイトしたりしたんです。雨の日は読書三昧でした。

 その時に読んだ本の中に,松田道雄先生の本がありました。松田先生は京都の開業医ですが,第二次世界大戦の頃に左翼的な運動をして,警察から目をつけられて大学に残れなくて開業した先生です。開業しながら,いろいろな社会運動を続けて執筆活動もされた。その先生の本を読む機会があって,「ああ,こういう生き方もあるんだ」と思ったんです。別に政治的な運動をしなくても,1人の医者として自分の信念を訴えつづける生き方があるんだと思ったんですね。松田先生が小児科の先生だったので,自分も松田先生のようになりたいと思って,復学して小児科医になる道を選んだわけです。

伊藤 小児科以外は,まったく考えなかったのですか。

田村 考えなかったですね。松田先生が小児科の先生だったからという理由と,子どもが相手であれば,自分もそんなに悪いことはしないだろうと,自分への戒めみたいなことも含めて,子どもを相手にする医者になろうと思ったんです。

小児ICUから新生児ICUへ

伊藤 東大小児科はどんなところでしたか。

田村 当時の東大小児科は,学生運動をしたような人たちがたくさん入っていて梁山泊のようでした。僕みたいな考え方を持っている医者でも受け入れてくれて,東大小児科の関連病院で研修を積むことができました。そのなかで,日本の小児ICUが非常に遅れているということを痛感したので,小児集中治療をちゃんとやれるパイオニアになろうと思って,トロントの小児病院へ留学しました。

伊藤 カナダで臨床をやるのに,ライセンスの問題はどうなっているんですか。

田村 僕が行った頃は,ECFMG(Educational Commission for Foreign Medical Graduates)という,アメリカの外国人医師のための試験に合格していればよかったので,1年目はそれでよかったんですが,僕がむこうへ行っている間に法律が変わって,MCCEE(Medical Council of Canada Evaluating Examination)という,カナダ独自の外国人医師のための臨床資格を取らなければいけなくなった。むこうで試験を受けて合格したので,そのまま続けて臨床ができました。

伊藤 先生のご専門は新生児医療だったと思いますが,カナダで学ばれた小児集中治療を日本で行なうことはできなかったのですか。

田村 そうです。東大が新しい病棟をつくることになっていて,僕が帰ってくる頃には新しい病棟に小児ICUができているはずだったんですが,工事をはじめたら弥生式土器が出て,建設がストップしたままでした。国立小児病院には小児ICUが新しくできていましたが,看護師さんが足りなくて,せっかくできた小児ICUが物置になっていたんです。それで,僕が学んだ小児ICUを実践できるところがなくて,仕方なく新生児ICUに入って仕事をはじめたんです。そしたら,それが自分の専門になってしまった。でも結果的には,おかげで新生児医学に新しい分野を開拓することができました。

国際医療協力と阪神大震災

伊藤 1990年の湾岸戦争の際,先生は中東へ行かれていますね。

田村 そうです。僕が国際医療協力にかかわりを持つようになったのは湾岸危機の時で,当時のボスが僕のところに来て,「難民の中には子どもも多いようなので誰か志望者を探してくれないか」と頼まれたわけです。その時期に,日本政府が湾岸危機に派遣するための医療先遣隊員を募集していたんですね。だけど,誰も応募する人がいなかったので,東大からどうかという話がきたようです。

 僕は病棟医長をしていたので,若い人に誰か行かないかとあたったんですが,誰も手をあげてくれなくて,それならと…。そのへんが,僕もオッチョコチョイなんですが,小児ICUのトレーニングを受けてきて間もなかったということもあって,小児ICUの技術があれば,難民キャンプとか戦闘地帯での医療援助が,子どものためにできるんじゃないかと単純に考えたわけです。

 サウジアラビアとヨルダンに行ったんですが,そこで僕は国際医療協力の厳しい現実を知りました。日本政府としての活動が難しかったこともあり,国境なき医師団とのかかわりができたのもその時です。

伊藤 長野県立こども病院時代,阪神大震災の医療チームにかかわっておられますが,先生は主に子どもを診られたんですか。

田村 いえ,あの時はもちろん子どもも診ましたけど,圧倒的に多いのはお年寄りでした。冬でしたから,インフルエンザが流行していたこともあって,気道感染症のお年寄りが多かったです。

 その時までに僕が国境なき医師団や空飛ぶ救急援助隊(JMTDR)でトレーニングを受けてきたことが,そこでいちばん役に立ちました。この日のためにいままでのトレーニングがあったのだと思うくらいでした。僕にとっては非常に貴重な体験になりました。

教室の運営方針

伊藤 埼玉医大総合医療センター小児科として,国際医療協力に積極的にかかわるという方針を先生は掲げていらっしゃいますね。具体的にどのようなことに取り組まれるのですか。

田村 経験上,国際医療協力に関心を持っている若い人は決して少なくないことを知っていました。中年のドクターでも,そういう人はいる。だけど,そういう人を受け入れてくれる臨床系の教室はほとんどなくて,仕方なく公衆衛生学の教室に行ったり,国連やNGOといったところへ個別に入って,独学で臨床をするしかないわけです。そういう人には,うちの医局員として小児科医として研修を受けてほしい。うちは大学病院の周産期センターとしては,全国でいちばん大きな規模ですし,小児救急も重要な仕事の1つになっています。救急は1次から3次までやっています。

 それらのトレーニングを受けることは,少なくとも発展途上国での医療活動をするには大変役に立つと思うので,周産期と小児の救急を中心とした勉強をして,小児科医としてある程度一人前になったら,国際医療協力に応募する。その時には,派遣先の身分や待遇などを医局が窓口となって交渉するようにしたいと思います。

 国際協力には,政治的・経済的にいろいろな問題がからんできますので,個人として応募する場合には制約が大きいし,危険を伴うことも多い。医局が窓口となって対応したほうが相手方との交渉も,いざという時に日本へ帰ってきた時の受け皿の保証にも有利だと思います。帰ってきた時には大学にポストがあれば受け入れるし,そうでなければ関連病院で小児科医として働けるところを紹介するようにすれば,行く人も行きやすいですし,一方では小児科教室としてもやる気のある若い人たちが入ってきて,活気のある医局になるんじゃないかということで,国際医療協力に参加できる小児科教室という方針を打ち立てたんです。

国際医療協力と臨床

伊藤 学生時代にいくつかのNGOやJICA,WHOを見学して感じたことですが,国際保健で広く求められる専門性は公衆衛生や社会開発,医療政策であり,個々のプロジェクトでは母子保健や感染症の知識,緊急援助のノウハウなどが必要とされ,そして個人の能力として交渉力が不可欠であると感じました。いま病院で働いている自分の生活と照らし合わせても,臨床医と国際保健活動家の間には大きなギャップがあるように感じられます。数年後の自分が,小児科医という仕事と国際保健の仕事を両立できるのか不安なのですが…。

田村 国際医療協力の分野や内容にもよると思うんですよね。たしかに発展途上国の保健プロジェクトの責任者を任されるとか,そこの顧問みたいなかたちでやっていく場合には,臨床能力よりもむしろプロジェクトを企画したり組織化する能力が求められると思うんですね。ただ,そういう能力がある人ということであれば,別に医者である必要はないわけです。

 現地の医療レベルがどの程度であるかとか,医者をはじめとする医療スタッフの能力がどの程度か,現地でほんとうに求められている医療的ニードは何か,といったことを見極める力があれば,その政策提言や実際のプロジェクトの進め方について検討する場合に大変役に立つはずです。だから,プロジェクトの責任者もしくはアドバイザーが臨床医であるならば,より現場に即した政策や戦略を提言できる可能性が高まると思うんです。そういう点からも,臨床能力をしっかり身につけることが必要条件だと思います。

 また,援助の内容が,たとえば難民の緊急援助というようなことであれば,当然そこでは臨床医としての知識と技術が問われるわけです。大災害が発生した直後は外科系の臨床能力が問われると思うんですが,ソマリアの難民キャンプで僕が感じたのは,比較的長期に続く難民医療援助の中では,小児医療が非常に大きなウェイトを占めていることでした。それには対象となる患者さんに子どもが多いということが1つあるけれども,それだけではなくて,非衛生的な環境で体力の低下した人たちが集団生活していると命とりになるような疾患としては麻疹などの感染症が圧倒的に多いわけです。そうした感染症を日本の日常診療でいちばん診ているのは,基本的には小児科医なのです。

 あと栄養指導の問題とか脱水の治療にしても,いまの日本の臨床の中では小児科医がかかわることが多いわけです。また,予防医学に関しても予防接種をどのように遂行するのかをいちばん熟知しているのは小児科医です。それに保健衛生の教育プログラムにしても,僕らが小児科医として日常的に行なっている母親教室や育児指導や保健所検診などが,まさにそこでのベースになるわけです。

 ですから,小児科的センス,もしくは小児科の技術を体得していれば,発展途上国における医療援助の時には非常に大きな強みになると思います。ただ,それだけでいいかというと,それだけで済むのは,難民キャンプの中だけの活動ということになるかもしれません。たとえば,ラオス全体でどのようにポリオを撲滅するかというようなプロジェクトの責任者になった場合には,ポリオの予防接種の仕方を知っていれば済むというわけではありません。活動を普及させるためのトレーナーをどうトレーニングするかとか,必要な予防接種の調達資金をどこから持ってくるかといった能力も問われるわけですから,臨床医としての能力にプラスαのことが要求されるわけです。

 しかしその場合にも,小児科医としての臨床的な知識と経験はプロジェクトを成功させるのに大いに役立つものだと思います。公衆衛生学的な知識はもちろん大事なものですが,それだけでやれるものと,そうじゃないものとを比べてみると,やはり臨床医の人が,さらに公衆衛生学的な知識や教育論,プロジェクトの立案能力というものを備えているほうが,より幅広い医療協力ができるんじゃないかと思います。

医学生・研修医へのアドバイス

伊藤 最後に,国際医療協力に興味を持つ学生や研修医にアドバイスをお願いします。

田村 まさに,いま伊藤君が言ったことにつながるのですが,国際医療協力というのは,単に医学的な知識と技術を持っていれば済むというものではなくて,それ以上に,保健衛生の知識,医療チームの組織力や統率力,教育・指導能力,そしてそれを遂行するための実行力と体力が必要とされます。将来,国際医療協力をめざすのであれば,ただ医学的な知識や技術を身につけるだけでは不十分だと思います。

 その意味では政治や社会問題も含めて広い視野の勉強が大事だと思います。もちろん語学力もそのうちの1つに入りますが,むしろ学生のあいだには,細かい病気の名前や治療の仕方を覚えることよりも,もっと広い視野を持って,社会学や生命倫理やチーム医療といった問題について勉強してほしいと思います。逆説的な言い方ですが,技術的な勉強をするひまがあったら,もっとほかの人文科学の勉強もしておきなさいというのが僕の提言です。

伊藤 今日はどうもありがとうございました。


 田村正徳氏
1974年東大医学部卒。東大小児科学教室入局。82-85年The Hospital for Sick Children(カナダToronto市)小児ICU部のchief clinical fellowおよび呼吸生理部のresearch fellowとして勤務。帰国後,国立小児病院(現国立成育医療センター)新生児科副部長を経て,89-93年東大小児科学教室講師。93-2002年新設の長野県立こども病院にて,新生児科部長,総合周産期医療センター長,副院長を歴任。02年秋より埼玉医大総合医療センター小児科主任教授兼総合周産期医療センター長として現在に至る。


伊藤 淳さん
藤沢市民病院2年目研修医。2003年横浜市大医学部卒。学生時代に国際保健学生フォーラム,日本イラク医学生会議,アジア医学生会議,笹川記念保健医療財団国際保健協力フィールドワークフェローシップなどに参加。学内サークルでは海外医療研究会,東洋医学研究会の代表を務めた。高校時代から「世界中の子どもたちの健康問題にかかわりたくて」小児科医をめざす。座右の銘は「この瞬間を100%生きる!」