医学界新聞

 

〔レポート〕 (全2回)

訴訟社会米国における医療過誤のリスクマネジメント

〔前編〕 医療過誤訴訟のリスクを下げるには?

岸本暢将氏(ハワイ大学・内科研修医)


先輩医師のアドバイス

 ハワイ大学内科でレジデントをはじめて3年目,今年がレジデント最後の年である。地域による差はあるが,米国の内科研修医は,3年間の初期研修終了後,その過半数はホスピタリストという入院患者のみを受け持つ,いわば病棟専門医になったり,グループ診療に加わることになる。それと同時に,指導医などに守られていたレジデントの頃に比べ,格段と責任が重い身分になるのである。

 「地雷を踏まないように,常に自分を守ることを考えて診療をしなさい」。これは,ある開業医が,将来開業をめざす医師たちに向けてアドバイスした言葉であるが,この言葉はいまの訴訟社会米国を反映している。米国では医療過誤による訴訟を恐れることにより,医師に(1)必要でない検査を念のために行なう,(2)必要でない専門科へのコンサルトを念のために行なう,(3)必要でない侵襲的な診断学的検査をする,(4)医学的判断では薬剤特に抗生物質は必要ないと考えられるが,念のためにそれらを処方する,などの変化が見られるそうである。

 さらに最近のThe Center for Studying Health System Changeからの報告では,開業医が「医療過誤危機」を恐れるあまり,患者を外来で治療するより,救急室に送ったり,病院に入院させることが多くなっているそうである。

高騰する医療過誤保険

 米国のある州では2002年のはじめの3か月で驚くことに,2700万ドル(30億円)以上が医療過誤に対する賠償金として確定し,これに伴って,医療過誤の保険が高騰,結果として医師不足を引き起こしたそうである。同様に,ある郡では年間の保険料が2800ドルから10万5000ドルにまで高騰し,6人いた産婦人科医が3人に減った。ある州の胸部外科医は,あまりにも医療過誤保険料が高いために,外来を一般外科に転科したそうである。このような状況で,患者,弁護士の中には,医療過誤訴訟で一角千金“Jackpot justice”を狙うものもいるようで,司法制度ではもはや何が正しくて,何が正しくないかを決めることができないのではないかという疑問が生じている。

 以上のような状況のなかで,今年度のハワイ大学臨床研修開始日,全科臨床研修プログラムオリエンテーションにてDavid Karp氏より「医療過誤について,どのように訴訟のリスクを下げるか?」という講演が行なわれた。講演は1)訴訟が増えている背景,2)患者が医師を訴える理由,3)高価なコミュニケーションエラーの防止法,4)インフォームドコンセント・リフューザル,という構成であった。

訴訟が増えている背景

 訴訟が増えている背景としては,(1)患者の権利保護,プライバシーの増加,(2)コンピュータテクノロジーの発達(電子カルテ,Palmなどのポケットコンピュータ,E-mailによる患者とのコミュニケーション),(3)患者がインターネット情報をより信頼,(4)医師・薬剤師を通さない薬剤の売買の増加,(5)医師以外で患者ケアを行なう人の増加,(6)デイサージェリーなど外来で行なわれる手術・侵襲のある検査の増加,(7)インターネットを使った医療の増加,がある。

なぜ患者は医師を訴えるのか

 米国では誤診(癌,心筋梗塞,骨折),投薬ミスが最も高い賠償金額となっている。ハワイ州の訴訟の内訳は,(1)不適切な治療・処置(全体の30%):特に手術,救急処置,術後モニター,出産後・出産前ケア,精神病評価にて,(2)誤診あるいは診断の遅れ(全体の28%):特に癌(乳〉大腸〉メラノーマ〉肺〉直腸),(3)その他(全体の25%):インフォームドコンセント,監督ミス,性的な問題,適切な検査を怠る,検査結果を伝えなかったなど,(4)薬剤に関するもの(全体の13%):処方・投薬ミス,薬剤モニターミス,投薬開始の同意をもらっていないなど,となっている。

高価なコミュニケーションエラーを防ぐには

 訴訟になるケースの特徴としてミスコミュニケーション,コミュニケーションのエラーがある。(1)医師が患者に重要な情報を言い忘れる,(2)医師が患者に伝えたつもりの情報・指示が患者に理解されていない,あるいは,受け入れられていない,(3)重要な患者情報がコンサルト医に伝えられていない,などが見受けられる。

 コミュニケーションで重要なことは,なぜ病院にきたか,どのような症状か,何が問題なのかなど,患者さんが訴えたい情報を聞く時間を十分にとることである。しかし,米国医師会誌の報告3)で,264人の診療面接を録音した調査では(1)患者が話しはじめて23秒後に医師は話を中断する,(2)その中断は,患者が医師にもっとも伝えたい問題を話している時に起こることが多く,全体の28%の患者しか,自らの病状をすべて話すことができなかったことが明らかになっている。

 また,医師は患者が理解していると思っていても,患者は医師の言葉を理解していないことが認められる。例としては,「B型およびC型肝炎の検査は陰性でした」「胸部X線検査は陰性です」「深夜以降NPOにしてください」「下肢を上げてください」「軽い動作はOKです」など医師・看護師など医療関係者には理解できても,患者には理解できない指示がたびたび見受けられる。コミュニケーションエラーをなくすためにも医学用語はあまり使わず,患者が理解したかどうか確認を取りながら病気,治療方針の説明を行ないたい。

 その他,ミスコミュニケーション,コミュニケーションのエラーを防ぐために(1)解決されていない問題点をその後の診療でしっかりとモニター・フォローする,(2)患者の訴えを決して無視しない,(3)検査結果はわかり次第,直ちに患者に伝える,(4)他のコンサルト医などと十分な情報交換をする,(5)患者の電話には必ず答える,(6)患者に薬剤,検査,手術について説明し,何か問題があれば報告し,再診にくるよう伝える,(7)診察の最後に「何か質問はありますか?」と必ず聞く,などの注意が必要である。

インフォームドコンセントとインフォームドリフューザル

 「成人した人間はみな,自分の身体に行なわれるあらゆる行為に対し決定権がある」(Hon. Nathan Cardozo, Justice. New York State Supreme Court, 1914),「すべての患者は,手技・治療を拒否する権利を持っている」。すべての内科・外科的治療,診断あるいは治療のための手技の前に患者あるいは患者の後見人より,以下の項目に関して説明し同意を得ることが義務付けられている。(1)治療・手技が行なわれる状態・病名,(2)行なわれる治療・手技の概要,(3)行なわれる治療・手技により得られる(期待される)結果・効果,(4)提案された治療・手技とは別に,選択可能な治療・手技についての説明と期待される結果・効果(すべての治療・手技を行なわないという選択肢も含む),(5)(提案された治療・手技時,その他選択可能な治療・手技時,すべての治療・手技を行なわない場合,それぞれについて)考えられる合併症,致命率,(6)はじめに提案された治療・手技ではなく,その他の選択可能な治療・手技を選んだ場合の利点。これらの説明と同意のあと,同意書に患者よりサインをもらい,医師もサインをし,そのサインした同意書のコピーを患者に渡す。また,診療録に話し合われたこと,患者が同意したことをしっかり記すことは単なる同意書より重要である。

 同様に,すべての患者は,治療,薬剤,手術,コンサルト,検査,入院を拒否する権利を持っている。多くの米国裁判所では,患者が拒否した場合に,医師はその拒否により起こりえる危険について患者に説明する義務があるとしており,それに患者が同意した場合,患者の決定は,「インフォームドリフューザル」となる。

リスクを下げる診療録

 最後に同意書の診療録記載例を紹介する。

【診療録記載例】

私は,患者(or後見人)………に,[治療or手技]の目的,利点,考えられる危険に関して説明を行なった。この危険は,出血,感染症に限らず,[周囲………組織,………臓器;その他の損傷]も含まれる。また,その他の選択肢[………],すべての[治療or手技]を行なわない場合,それによる利点と危険についての説明を行なった。私は,すべての患者(or後見人)………の疑問に答え,患者(or後見人)………はその危険を理解し,同意をした。

 以上,今回の講演についての概略である。昨今では米国にいても日本からの医療紛争に関するニュースが毎日のように飛び込んでくる。そのような状況の中で,今回のリスクマネジメントに関する講演は,とてもタイムリーかつ,参考になる点が多いと感じた。しかしながら今後の日本の医療において,患者中心ではなく,あまりにも自己防衛に徹した形で医療行為を行なうようなスタンスは,米国に追随してほしくない点であると個人的には願ってやまない。


●参考文献
1)Medical-Legal Issues. In More Than Medicine, A Supplement to Resident&Staff Physician:2002 Spring/Summer.
2)Medical Insurance Exchange of California, Claremont Liability Insurance Company.
3)Marvel MK, et al. Soliciting the Patient's Agenda: Have We Improved?. JAMA. 1999;281:283-287.


岸本暢将氏
1998年北里大医学部卒業,1998-2000年沖縄県立中部病院内科研修,2000-2001年在沖縄米国海軍病院インターン,2001年-2004年6月ハワイ大内科研修医。2004年7月からニューヨーク大Hospital for Joint Diseasesにてリウマチ学専門医研修開始予定。著書に『太平洋を渡った医師たち』(医学書院,共著),『アメリカ臨床留学大作戦』,『米国式 症例プレゼンテーションが劇的に上手くなる方法-病歴・身体所見の取り方から診療録の記載,症例呈示までの実践テクニック』(以上,羊土社)などがある。