第2580号 2004年4月12日


短期集中連載 〔全4回〕

ボストンに見るアメリカの医学・
看護学・医療事情の現況〔4〕

日野原重明(聖路加国際病院理事長)


2579号よりつづく

【12月30日(月)】 Part.II

ベス・イスラエル・ディーコネス・ メディカル・センター外来部門にて

  午後3時からRabkin先生の案内で,最近改造されたベス・イスラエル・ディーコネス・メディカル・センターの一部にある外来部門を見学した。ここでは各専門科に分かれて外来診療が行なわれているが,内科の診療には前述した「ナース・プラクティショナー」も参与している。
 内科の内視鏡部門では「day surgery」が導入され,午前中に胃・腸のポリープ摘出や胆嚢摘出が行なわれ,夕方には退院する。外科部門ではさらに「day surgery」が多く導入されており,朝早めに外来にきた患者の胆石摘出,鼠経ヘルニア,また初期の乳癌患者の手術などが行なわれている。その他,眼科では白内障や緑内障の手術,耳鼻科でも「day surgery」が多い。
 これにはアテンディングの上級医師にレジデントがつく。また,これも前にも述べたような「physician's assistant」という,高等学校卒業後,3年のコースを修了した有資格者の助手が,病歴作成,検眼鏡検査を行ない,また術直後の患者の病態を細かく観察し,記載して医師の業務を援助している。
 この外来部門の一部には,職員や患者のための運動療法のために広い部屋があり,リハビリテーションに用いられるように四方鏡張りの大広間もあった。

バーチャルな教材による学習

 また,この外来部門の一部には,医学生やレジデントのために,一般注射や脊椎穿刺や気管切開術のための「virtual simulator(模擬装置)」があって,それらのツールを使って練習ができる。そのほか,コンピュータ画面上での模擬患者の病歴や診察所見からの診断術の練習がなされ,「仮想患者(virtual patient)」と称されるCDも活用されている。自己学習室も用意されており,内視鏡の使用のシミュレーションは,physician's assistantが医学生,レジデントの模擬実習を指導していた。私も教えられるままに胆石摘出の操作を行なってみたが,慣れない者でも大変楽に装置を操作できるのにはわれながら感動した。
 Rabkin先生は,数年前に30年間の院長を辞しておられるが,専門技師との協力のもとに医学生の教育のためのviratualな教材を次から次に開発しており,このため毎日出勤しておられる。

Thomas Delbanco教授室を訪れる

 次に,「Primary Care and Prevention」部門の責任者であるThomas Delbanco教授の部屋を,午後4時に訪れた。
 ここは20年ほど前に,内科総合臨床の部門として開所された。新しい外来棟から離れた古い病棟の一部に,プライマリ・ケアを中心とした外来診療が行なわれており,60名のスタッフが働ける数多くの診察室がある。ここでは,上級医がレジデントを指導して診察がなされていた。
 この部門の責任者であるDelbanco教授は,1971年にこの病院のスタッフとなり,「Hospital Based Primary Care医療」のティーチング・プログラムや,レジデントのための総合内科の課程を作った。また,彼はアメリカの「Society of General Internal Medicine学会」の発足に貢献した。現在も理事の1人でもあり,さらには最近では「Narrative Based medicine」をも重視し,患者と医師との人間関係に留意した診療を医学生に指導しておられた。
 彼の部屋の壁には,シュバイツァー博士の写真がかけられていた。音楽好きのシュバイツァー博士と同様,彼もまたヴァイオリンの演奏を趣味とする。その隣には,彼が持っている立派なヴァイオリンを写した写真の額が飾られていた。
 私は2003年のクリスマス・イヴには,東京の聖路加国際病院チャペルで,帰国中の小澤征爾氏と一緒にクリスマス礼拝をもったが,Delbanco教授は小澤氏指揮下のボストン交響楽団の定期演奏には欠かさず出席しているそうである。「小澤氏が,年齢とともに円熟しているのを感心している」と述べておられた。

Delbanco教授のカルテを拝見

 ベス・イスラエル・ディーコネス・メディカル・センターは,全病院におよぶ電子カルテ制をとっていない。
 しかし,彼がこの日の午前中に診察したチャートを,画面で私に見せてくれたが,すべて電子化され,出勤前に自宅のコンピュータでそのチャートを一覧できるようにもなっている。
 この外来部門で,Delbanco教授自身によってとられた詳しい病歴と問題(プロブレム)リスト,所見や検査データが経時的に出される画面を見せてもらったが,その立派さに驚嘆した。患者のプロブレムが美しく連記され,また薬の処方が,長い期間を通しての外来診療中にどのように変わったかという一覧表をも目の前に見せられたが,手書きの整った在来の病歴よりははるかに見やすく整理されていた。
 あまりにも立派なので,「ぜひプリントアウトして日本にもって帰りたい」と頼んだが,後日E-mailで送ってくれると約束してくださった。ちなみに,自分の診察は「まったくpaperlessだ」と言っておられた。また,彼の話では新患の1人の診察時間は平均約30分,再診は10-15分程度であるという。文章は一部dictationで作文されるとのことであった。
 また彼は多趣味であるうえに,予防医学的立場から患者をクラブに入会させて,指導する会社「Picker Institute」を国際レベルで計画していることを聞いた。

『JAMA』の「Conference with Patients and Doctor」

 Delbanco教授は,「私は『JAMA』誌に連載されている『Clinical Crossroad』の欄の『Conference with Patients and Doctor』の記事を提供しているが,読んでいるか」と尋ねられたので,私は「主な記事と,時おり『A Piece of My Mind』を読んでいる程度で,それは知らない」と答えると,すぐに秘書に過去3回のカンファレンス記事の別刷をもってこさせた。
 これはベス・イスラエル・ディーコネス・メディカル・センターの内科のグランド・カンファレンスの記録である。毎回指定されたdiscusserを中心としたものであるが,これには,毎回他大学の各科の教授が担当して発言されている。
 このコラムの編集は,Delbanco教授の他に3人の医師が担当されている。このカンファレンスの内容を文章にまとめてJAMA誌上に掲載するにあたっては,マネージング・エディターであるJAMA専属の医師が責任をもって行なっているとのことであった。
 この症例検討は,依頼された討論者の発言が中心に行なわれるが,最初に患者の受け持ち担当医が症例の大要を簡潔に述べ,討論者に担当医が質問し,これに応える形式で進行する。さまざまな臨床経過や合併症,鑑別診断も検討されるが,その入院中の費用や家族の間の問題について,また病名告知のタイミングやその他の倫理的問題も取り上げられている。
 さらには,このケースのマネジメントに関する「recommendation(勧告)」が列記され,最後にフロアーからの質問に答えた記事が載せられている。そして数多くの文献,その中の一例には94もの参考文献が掲げられていた。私がいただいた別冊のタイトルは,「死期の近い88歳の老婦人」「73歳の難聴をもつ老人」などであった。
 これは,全人的医療の観点から取り上げられた新しい形式の症例検討カンファレンスと言えよう。

Clifford女史との再会

 この連載の冒頭に少し触れたが,ベス・イスラエル・ディーコネス・メディカル・センターの看護部長であり,また副院長でもあったJoicy Clifford女史とは,20年もの長きにわたる知己である。
 Clifford女史は「プライマリ・ナーシング」をアメリカの病院で最初にはじめられた方で,多くの著作を持ち,また私の紹介で,日本には何回も講演に来られているのでご存じの人も多いと思う。
 現在,アメリカではナース不足が叫ばれているが,その理由を専門家に聞きたいと思っていた。事前にRabkin先生にお願いしたところ,私のボストン滞在スケジュールの予定の中で空いているのは,最後の日の夜だった。
 そこで,夜の7時から私が宿泊しているエリオット・ホテルの隣りの「ハーバード・クラブ」の食堂でClifford女史とそのご主人,およびラブキン夫妻とで会食をすることになった。

アメリカの「ナース不足」の現況

 アメリカでは,大病院は1床に2人のナースが勤務することが以前は普通であり,したがって500床の病院では1000人のナースをもっていた。しかし,Clifford女史の説明では,2-3年前まではR.N.の資格を有するナースが確かに1000人いたので「プライマリ・ナーシング制」が行なえたのだが,今はナース不足のためにそれは実現不可能ということであった。
 現在,病院勤務のナースの年齢が高くなり,退職したあとのナースの席を埋めるためには,看護大学出の若いナースだけでは補充ができず,高校を出ただけで病棟の現場で訓練を受けた「Nonproffessional Nurse's Aid」がナースの空席を補っているのが現状だと言われる。
 余談だが,病棟には入院患者ごとの与薬の処方がプログラムされた「与薬配当用の機械(medstation system, 2000, pyxis社)」が置いてあり,ボタンを押すと患者ごとに処方通りの薬が一揃いが出てくるので,間違った与薬は避けられるとのことである。
 さらに,アメリカでは看護大学の数が多いが,定員に満たない学校もあるそうである。また,看護学校に進学を志望する学生も少なくなったとのことである。
 世の中が好景気になると,長時間拘束され,そのうえ待遇も必ずしもよいとは言えないナースという仕事を避ける人が多いという。以前だとナースを志願した人たちが,コンピュータ関係の勉強を希望するものが多いこともナース不足の原因の1つと言われる。一方,今まではトップクラスの男子学生が医学校を志望したが,現在は彼らはコンピュータサイエンスの研究所や会社勤務であるという。
 そこで,アメリカの看護大学では外国からの学生の留学を大歓迎し,また,ナース不足を補うため,外国の看護学校を出たナースにアメリカに来ることを勧め,入学後にはあまり無理なくナースの資格が取得できるように援助する企画が多く見られる。

The Institute for Nursing Health Care Leadership

 Clifford女史はベス・イスラエル病院とディーコネス病院が合併したあとの後任院長とは必ずしもうまく働けず,今は副院長を辞してRabkin先生などの強い応援で,次のような学習システムの受講を外国ナースに働きかけ,彼らに短期間でナースとしての高い専門的知識および技術を教え,中堅となる専門ナース不足を補っているのである。
 その研修機構としては,「The Institute for Nursing Health Care Leadership」というプログラムがある。これはハーバード大学医学部の教育病院の1つであるベス・イスラエル・ディーコネス・メディカル・センターの中にある「Carl J. Shapiro記念教育・研究センター」の事業の1つで,そのセンターの責任者の1人であるRabkin先生などの強力な援助で,アメリカ国内や国外のナースの専門ナース養成の卒後研修が行なわれている。
 この活動には,次の3つがある。
(1)看護が他の医療専門家と共に行なう共同研究の援助。(2)看護職のリーダー養成課程。(3)国際看護活動(外国からのナースを受け入れ,近代看護のエッセンスの知識と技能を修得させる短期の学習コース)
 この学習には,ハーバード大学の教職が所属する5か所の教育病院や外来・訪問施設が学習の場として提供されている。
 この中の,看護職リーダーとしての資格を与えるコースは,この講座でもっとも重点的に考えられており,その内容としては,次の4つがある。
 (1)臨床看護見学(2-4週間)。(2)短期の研究グループの形成(3-5日間)。(3)外国で働くナースのためのコンサルタントによる指導。(4)短期のフェローシップ(6か月間-ボストン滞在は少なくとも4週間を義務化し,後のコースはE-mailまたはその他の方法で通信教育を行なう)。
 今までこのプログラムに参加した外国からの研修者の出身国は,オランダ,コロンビア,中国,イングランド,スコットランド,日本,フィンランド,韓国,メキシコ,台湾,南アフリカ,シンガポールなどである。この中で東洋人としてはフィリピンと韓国からのナースが特に多い。
 また,専門ナースとしての臨床研修の内容としては下記のものが選択できる。
a)外科病棟/手術室
b)クリティカルケア
c)救急センター
d)分娩および母子サービス
e)腫瘍学
f)神経学/脳神経外科学
g)循環器病
h)その他の希望領域
 さらに「国際看護活動」のためには,次の3つのコースが用意されている。
(A):学習コース(最小4週間 授業料7,500ドル)内容:看護管理,看護教育,感染予防,看護の質的管理 
(B):臨床見学コース(授業料5,500ドル=4週/20日,1,500ドル=1週/5日)
(C):密な研究コース(授業料1,000ドル=5日コース)特殊なテーマで濃縮した授業(1-2週間のコース)

再びRabkin先生に感謝する

 夕食中の会話で,Clifford女史のご主人は戦争直後に東京の横田基地に勤務し,その後,政府に関連した国際的な調査機関の要職を経た方であり,驚くべきことに,母国語以外6か国語が話せるということを知った。
 食後,このエリオット・クラブの各室を案内された。
 ここはハーバード大学の総長を30年間務めて1909年に引退されたDr.Eliotの名のついたクラブであるが,ハーバード大学の過去の貢献者の大きな肖像画がたくさん飾られてあり,その説明を受けたあと,午後9時に隣りのエリオット・ホテルに帰った。

 翌日12月31日は,出雲教授に送られてボストン空港を午前11時に発ち,翌1月1日午後4時に成田着で帰国した。
 空港ではTBSのカメラグループが私に密着して取材したが,帰宅前に聖路加国際病院に寄り,3名のPCU入院患者を見舞い,留守中の理事長室の机の上のたくさんの書類を持って午後8時に帰宅した。

*  *  *  *

 冒頭にも述べたように,5日間の私のボストン市滞在のすべてのスケジュールを3か月前から丹念に計画してくださったベス・イスラエル病院前院長のRabkin先生の細やかなご配慮に私は言い知れない感謝を覚えた。

 なお,この原稿の大半は,帰途の機上で記したものであることを付記する。

(了)