医学界新聞

 

NURSING LIBRARY 看護関連 書籍・雑誌紹介


「永遠の課題」と格闘する,圧巻のカンファレンス

「排泄学」ことはじめ
排泄を考える会 著

《書 評》川島みどり(日赤看護大教授,健和会臨床看護学研究所長)

 患者になった時,看護師に頼みにくいことのトップが排泄介助であるという研究がある。頼んだ時のナースの反応に由来するのか,患者自身の羞恥心なのか,その理由は定かではないが,病人や高齢者にとって,「下の世話」を他人に委ねなければならないことは,人によっては「死ぬほどいやなこと」でさえあるというのは珍しいことではない。
 この世に生まれて生きている以上,誰もが避けられない営みである排泄。看護にとっても排泄援助は永遠の課題であるといってもよいだろう。

「専門知」のあり方へ反省を迫る

 看護師として排泄のメカニズムの知識はいちおう学んだ気にはなっていても,これに影響を与える心理・社会的諸因子についての知識を十分に持ち合わせていたとはいえない。そればかりか,本書を読むほどに,看護師としてマスターしていたはずの排泄援助技術そのものが,なんと浅く上滑りであったのだろうと反省することしきりである。
 排泄といえば生理学的欲求の代表のように理解されている。しかし本書は,社会的存在である人間の排泄は優れて社会的な行為であるという認識のもとで,「人が願うところで排泄するのは基本的人権のひとつ」であると位置づけた。
 排泄に問題を持つこと自体が「排泄権」を脅かされているとの理念は,排泄に関するこれまでの根深い無知と偏見のみならず,医学や看護学領域で専門家を自認していた者への警鐘とさえいえよう。排泄への専門知があってもそれが必ずしも正しい対応につながっていたとはいえないのだ。そのことが新たな「学の確立」を提唱する契機になったという「排泄を考える会」のメンバーらに同意したい。

「ジッパーの位置」まで目配りできていただろうか

 第1部のQ&Aによる基礎知識は,現有の自己の知識を確かめるうえで貴重だが本書全体の2割程度であり,大部分は第2部の事例編で構成されている。
 15の事例はそれぞれに排泄上の問題を抱えて当惑し,苦しみ,悩んだ事例ばかりである。圧巻は,医師や看護師,工業デザイナーを交えたカンファレンスの内容である。どの事例からも,「ふーん知らなかった!」「そうだったんだ!」という新しい知識や発見を多く入手できる。
 「最近歳のせいか尿洩れがするんです」という,一見尿失禁と区別しがたい,排尿後滴下の症状の熟年男性がいたとしよう。それに対して,ジッパーの位置やブリーフの布の重なりも要因になり得ることを知ってアドバイスできる看護師がどれほどいるだろう。まさに,排泄援助が「身体上の問題だけではなく体位や排尿後の後始末,そして衣類や生活習慣,文化の影響」を知ったうえで行なう必要を示唆している。事例に寄り添いつつ読み進めると,随所にこうした発見がある。

印象深い必読書,お奨めしたい

 「古くて新しく,当たり前が当たり前ではない,奥が深くて幅が広い,まるで哲学か宗教のよう」な排泄ケアの,なにより大切なのがそのプロセスである,とのあとがきを読みながら,看護師として排泄学を究め,排泄に関する正しい知識を普及する責務を痛感した。評者にとっては今年の“ことはじめ”として印象深い書であった。
 人間を尊重すると自負するなら,医師も看護師も介護従事者も,ぜひ必読の書としてお奨めする。今後,「排泄を考える会」のホームページ上での相談や討論も展開していただきたい。
B5・頁208 定価(本体2,600円+税)医学書院


系統的に解説された初めての透析看護の教科書

透析看護
日本腎不全看護学会 編集

《書 評》波多野照子(八幡総合病院・看護部長)

 ようやく1本の矢が放たれた。日本腎不全看護学会は日本透析医学会と日本腎臓学会の協力を得て,2004年1月に「日本透析療法指導看護師」制度を発足した。本書『透析看護』は,その教科書である。
 腎不全看護に関する書物は数多く出版されているが,看護師が主導的に系統的に記した初めての専門書である。透析療法を受ける患者へ,質の高い根拠に基づいた看護を提供するための指針となるであろう。

「日本透析療法指導看護師」認定試験のためのわかりやすい教科書

 I-III部で構成され,I部の専門基礎科目は,“末期腎不全トータルケア概論”ではじまる。透析療法の歴史では,腎臓の機能をどこまでも追究し,切磋琢磨して人工腎臓の発展に寄与した過程がうかがえて興味深く読める。腎臓の機能,治療法の選択とインフォームドコンセント,現状と課題,ケアネットワークを網羅する。さらにグローバルな観点から,患者へ的確に援助できる看護師の役割が記される。「透析室には看護がない」といわれなき言葉に傷つきながらも身を投じ,たゆみなく専門性を追い求め努力を続けてきた人の足跡も感じる。
 腎不全患者の身体機能に関しては,保存期腎不全から透析療法の原理,各膜透析療法と合併症,さらに小児,高齢者,糖尿病性腎症などの透析治療から腎臓移植を論じる。そして患者を理解するためにセルフケア理論,危機理論や家族理論,ストレスコーピングなどを利用した解説がされている。患者教育に関しては,コミュニケーション技術,カウンセリング技術によって患者へ自己管理の指導がしやすいよう具体的に示されている。
 また,透析室を脅かす医療事故に対するリスクマネジメントについては,fail softを基に機器の設計や開発,各施設の透析操作マニュアルで教育されるが,なお減少しない発生しやすい事故を分析している。同様に,感染予防の組織化から操作上や感染症者への対策が具体的に示されている。体外循環に頼る透析は患者の安全を守り,安心を与えることが大切であり,事故,感染防止の基本としたい。
 II部の専門科目では,エキスパートナースが身につける必要のあるプラッドアクセスの管理,透析機器の準備と管理から至適透析までの看護技術を詳細に述べ,実際的である。透析患者の腎臓移植に関する情報提供のためにも,腎臓移植患者の看護についての記述があれば,さらに充実した内容となったと思われる。
 III部では,“事例のまとめ方”が解説されている。認定看護師の受験資格の要件に,提出事例があるが,このまとめに必要な要素が説明されている。普段からこのような視点を持って看護を行なうことをお勧めする。

腎不全看護の標準化,向上のために

 科学的な看護が唱えられて久しいが,根拠なく経験的に伝えられている臨床場面がある。本書は,認定看護師の教科書としてだけでなく,看護師1人ひとりが慢性腎不全の医療に関する知識と技術を身につけて,日本の腎不全看護が標準化され,看護の向上が期待される書である。ぜひ一読し,身近に置いて活用してほしい。
B5・頁404 定価(本体3,800円+税)医学書院


「精神的な緊急・救急事態」に遭遇しうるすべての看護師のために

精神科臨床における救急場面の看護
マーティンF.ウォード 著
阿保順子,田崎博一,岡田 実,佐久間えりか 訳

《書 評》小林 信(北里大助教授)

増加する「精神的な緊急・救急事態」

 私がかつて精神科病棟(第3次精神科救急の指定施設であった)に看護師として勤務していた経験からすると,「精神科臨床における救急場面Psychiatric Emergency:以下PE」という言葉は,著しい興奮や錯乱といった急性の精神症状に伴い自傷や他害の恐れがあり,時には犯罪的な要素が関連したり警察官が同行するような精神疾患を有する患者とその場面を連想させる。
 しかし本書におけるPEとは,もちろんそのような場面も含まれてはいるが,むしろ前日や数時間前まではそうでなかったのに,ある出来事や環境の変化,看護師の対応などの刺激によって,急に自分自身のコントロールを失い,自殺を含む自傷や他者への言語的・身体的暴力などの反応を示す患者とその場面を表わしているということがわかる。そしてそれは,精神科病棟にのみ固有の場面ではなく,どんな領域のどんな臨床場面にも起こりうることであり,PEは「精神的な緊急・救急事態」とも言い換えることが可能である。
 最近,そのような場面が増えてきているとよく耳にする。知り合いのある看護師は,食事制限が必要な患者にその必要性を説明したところ,突然「バカにするな!」と怒鳴られ,いわれのない罵詈雑言をあびせられ殴られるのではないかという恐怖を感じたと言っていたし,別の看護師は身体的不調の検査目的で入院した若い女性が,検査前夜にカミソリで自分の腕に傷を付け「こうしないと安心できない」と言ったことにたいへん衝撃を受けたと語っていた。
 医療技術が進歩するに伴い克服できる疾病や障害が増えてきている反面,その治療によって患者に身体的・精神的苦痛を強いる場面が増えてきていることも否めない。とすれば,PEが発生する要件や状況も確実に増えているということである。
 本書のタイトルから,精神科以外の看護師が「私には関係のない領域の本である」と感じてしまうことがあるのなら,それはとてももったいないことだ。特に本書に挙げられているようなPEのハイリスク集団と接する機会の多い看護師や,患者からいわれのない暴力の脅威を感じたことのある看護師には,ぜひ一読されることをお勧めしたい。
 なぜそのような事態が起きたのか,どのように予測できたのか,その時にどのように対処すればよかったかをチームで話し合ったり共有するのに助けとなることは間違いない。また厚労省の人口動態統計で明らかなように,自殺が死因の第6位であり,ここ数年は3万人を突破していること,無作為で突発的な暴力事件が世間を騒がせることが少なくないことなどを考えれば,もはやPEは看護職者や医療従事者のみの関心事ではないのかもしれない。

PEへの積極的な支援システムを待望

 この中で扱われているような事例に遭遇するのは,精神科の臨床がもっとも多いのも事実であろう。私自身患者の暴力に曝されたり,自傷行為に遭遇したことが幾度かある。ぶつけようのない怒りや自分を責める気持ち,同僚に対する不信,無力感,自信喪失などの感情は,今思い出してもたいへん苦痛である。実際,その感情をうまく乗り越えることができなくて仕事を続けられなくなったり,その後の対人関係全般に長く引っかかりを残した看護師も知っている。そしてそのような状況はどうも増えつつあるようだ。
 本書は最後に,PEとその看護は起こったその時のみの対応だけではなく,またPEに陥った患者本人のみならずそれにかかわった看護師にも継続的・組織的な支援が重要であることを強調している。精神科において,PEが生じた後,原因を追及するだけのカンファレンスで終わってしまったり,お互いがそのことを口にしなくなるのをただ待つ,酒の席で愚痴をこぼすのに任せるのではない,PEに関する積極的な支援システムの構築が急務であるとの思いを強くした。
A5・頁280 定価(本体2,800円+税)医学書院


「健康日本21」を住民主体の事業にするために

地域づくり型保健活動の考え方と進め方
岩永俊博 著

《書 評》新井宏朋(山形大名誉教授/日本健康福祉政策学会理事長)

 これまでの公衆衛生学の研究と実践活動は,疫学という学問が理論的基盤になっていた。疫学は「明確に規定された人間集団の中で出現する健康関連のいろいろな事象の頻度と分布およびそれらに影響を与える要因を明らかにして,健康関連の諸問題に対する有効な対策樹立に役立てるための科学」(『疫学』日本疫学会編)と定義されている。
 健康問題が,急性感染症や結核など自然科学的な課題中心であった時代には,このような分析的な方法で原因を究明し,原因を取り除くことによって問題を解決することが可能であった。しかし最近の地域の保健活動では,解決しなければならない健康課題が,社会通念などの人間の価値観や生き方あるいは生活をとりまく環境のあり方にまで広がってきており,従来の学問の枠組みだけでは十分に対応できなくなっている。
 このような状況に対し,本書の筆者である岩永俊博氏らの「地域づくり型保健活動」では,WHOの世界的な健康福祉政策「ヘルスプロモーション」を基盤とした,新しい保健活動に対応した考え方を提唱している。本書は,地域づくり型保健活動の考え方から具体的な進め方までを解説したものである。

ヘルスプロモーションを 基盤にした保健活動の考え方

 WHOのヘルスプロモーションの枠組みでは,これまでの専門家主導の公衆衛生から脱皮した住民,専門家,行政のパートナーシップ,住民能力や地域能力の助長,健康を支援する環境整備などが強調されている。岩永氏らはこのヘルスプロモーションを実践する基礎的な思考方法として,ジェラルド・ナドラーと日比野省三の両氏が提唱した「ブレイクスルー思考」を導入した。ブレイクスルー思考は疫学とまったく逆の発想のもので,現在の問題点を深く追求するのではなく,将来のあるべき姿の追求から出発する。
 つまり地域づくり型保健活動では,住民と専門家,行政の担当者が一緒になって,その地域で実現をめざす健康の将来像を考え,それをみんなで共有するところから開始する。理想とする健康の将来像について,参加者みんなで実際の生活をイメージして話し合い,その理想とする将来像のイメージを具体的に箇条書きにするのである。
 そして,その理想の姿を実現するために必要な条件,さらにその条件を実現するための下位の条件,そしてその条件を実現するための具体的な行動や事業などについて話し合い,目的関連図として書き出す。また具体的に表わした将来像の上位に置かれる目的,さらにその上位の目的もみんなで話し合って確認する。このようにして,みんなが協力して活動する事業が,複合した三角形の図で表わされる。
 次にこの具体的な事業を出発点とした目的の流れに基づいて実施計画書を作成していく。こうすることによって健康の理想像実現のために,誰が(住民が,専門家が,行政が)いつ,どこで,具体的に何をやればよいかが,すべての人に共有されることになる。
 現在,岩永氏と保健所・市町村の保健師さんたちで結成されている「地域づくり型保健活動研究会」はこの考え方に基づいた活動を全国的な規模で展開している。本書は,同研究会によるわが国の実践事例に基づいて作成されているのが大きな特徴である。「健康日本21」の活動を,厚生労働省のトップダウンの事業ではなく,住民主体の事業とするための重要な提言として,本書を推奨したいと思う。
A5・頁240 定価(本体2,800円+税)医学書院