医学界新聞

 

あなたの患者になりたい

あなたも物語の登場人物

佐伯晴子(東京SP研究会・模擬患者コーディネーター)


 「突然ですが,今のあなたを語ってください」と言われたら誰でも戸惑います。でも,最近あなたの身の上にはどんなことがありますか? とりたてて何もないかもしれませんが,何もない平坦な生活の中であなたがどう生きているかを語ることは可能でしょう。さて,その話にどんな人や物が登場しますか? 真空の中で生きている人はいませんので,その話には特定の人や物が出てくるはずです。それと出会って触れてぶつかって何かが起こったり,あるいはともに穏やかにすごしたりするのです。
 人にしろ物にしろ,相手と遭遇することでそれまでの静かな水面に波が立ち,流れが変わることもあります。波立つ理由は,人それぞれです。その人にとって何が大事であるかで受けとめ方が決まるわけですから,同じできごとについても価値観が異なれば,木の葉一枚動かない無風状態かもしれませんし,暴風雨になるかもしれません。
 あなたに好きな人ができたとします。当然その人はあなたの毎日の物語に登場するでしょう。実際に会うことがなくても,その人を思うことはあなたの生活で大きな場所を占めているはずです。あるいは,ことあるごとに対立する相手がいるとします。またかと心の中でつぶやき,イライラを抑え我慢し,ため息まじりに一日の仕事を終えるかもしれません。そんな時は,思い出すたびに相手の顔が浮かんで,なおさら気分が悪いですね。
 自分の心の動きに大きくかかわる人物の存在は,その時点のあなたがどう生きているか,というお話の主要な登場人物になります。相手の言動で一喜一憂し,相手の反応を予測し,あるいは期待して私たちは行動します。相手が向ける視線,ちょっとした仕草はもちろん,明らかに他の人に向けての言葉にまで自分のことが含まれているのではないか,と気にな ることがあります。相手は何も意図していないことであっても,自分と関係があるように感じてしまうのです。

患者さんにとっての「あなた」という存在

 さて,患者さんが医療者の言動で一喜一憂するのは誰が考えても当然でしょう。一方,医療者には,病気が何か,治療がどう進むかが重要です。1人で何人もの患者さんを担当する場合は,名前や顔ではなく,症例として記憶されます。患者さん1人ひとりの細かな事情までいちいち記憶していたのでは身が持ちません。ただ,おぼえておいていただきたいのは,あなたが主要な登場人物として,その患者さんの物語の中にずっと生きているということなのです。それほど意識したわけではないあなたの微笑みを患者さんは何度もうれしそうに家族に話しているかもしれません。また,普段の穏やかさとは違うきつい口調を思い出しては眠れずに悶々としているかもしれません。
 いずれにしても,身体具合が気にかかり,専門家に身を委ねる患者さんにとっては,今を語るのにあなたという医療者の存在は想像以上に大きいといえます。主演は患者さんですが,助演者として苦労と喜びをともにし,できれば一緒に夢を追いかけて,そのどちらもが輝くことができればいいでしょうね。ぜひあなたに出演をお願いします。

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●単行本発行のお知らせ
 本コラム『あなたの患者になりたい』は,今回で終了させていただきます。ご愛読ありがとうございました。本コラムをまとめた同名の単行本が発売されておりますので,書店等でご覧ください。

(「週刊医学界新聞」編集室)