医学界新聞

 

〔座談会〕元気の出る精神科リハビリテーション

野田文隆氏<司会>(大正大学教授・精神科医)
上野容子氏(東京家政大学助教授・豊芯会地域生活支援センター・精神保健福祉士)
小松正泰氏(全国精神障害者家族会連合会理事長)
佐藤美紀子氏(陽和病院・看護師)


 現在わが国では,精神病院の在院日数が長いこと,また受け入れ条件が整わないために「社会的入院」を余儀なくされている患者が非常に多いことが指摘されている。
 精神病院入院患者が退院後も円滑に地域に戻り,安心して生活するためには,入院時から医療スタッフによる働きかけが重要となる。本座談会では,こうした精神科リハビリテーションに対する取り組みについて,医師,看護師だけでなく,患者にかかわるさまざまな視点から議論する。


野田<司会> 現在,精神科分野ではどちらかというと治療学のようなことが非常に注目されていて,薬物療法であったり,現場の救急など,とりわけ統合失調症のようなものに関して,最前線にあるものは治療だと考えられていると思います。しかし,患者さんの生活を見つめると,病気との闘いはそこだけで終わるわけではありません。治療のあとの人生のほうが長いですし,そこからのリハビリテーションをいかに元気にやるかということが非常に重要だと思っています。
 私は東京都板橋区にある東京武蔵野病院で10年,精神科リハビリテーションの病棟を中心に仕事をしていました。ですから,リハビリテーションには非常に興味を持っていますし,重要なことだと思っています。
 そのような思いもあって,私は,共著者(寺田久子氏)と『精神科リハビリテーション・ケースブック』(医学書院)の中で,現場ではどんなことが行なわれ,かかわっている専門家,家族はどのように考え,どういうふうに困り,どうそれを切り抜けるのかについての極めて具体的なヒントを出したいと思いました。
上野 私は,今東京家政大学で,精神保健福祉士(PSW)を養成するための精神保健福祉分野の授業を受け持っていますが,3年前までは,東京豊島区にあります民間の社会福祉法人豊芯会というところで,専任のPSWとして25年働いてまいりました。その前は,やはり民間の単科の精神科病院で5年,PSWとして働いていました。
 地域で精神障害のある人たちがその人らしく生きていくことをサポートする中で,逆に私自身が非常に元気をもらってきた,エンパワーされてきたかなというふうに思っております。そして,現在はそのように実践してきたことを,これから新しくこの分野に入ってくる若い人たちに,少しでも伝えてお役に立てればいいかなと思っているところです。
小松 私の場合,長男が30年ぐらい前に統合失調症を発症しまして,それ以来,入退院を繰り返し,暴力,ひきこもり,そして今はかなり強い強迫性障害があります。
 私は1994年に家族会(川崎市泰山木の会)に入り,その翌年から川崎の連合組織「あやめ会」の会長を務めております。
 私が家族会に入ってわかったことは,家族会の過半数の子どもはうちの息子と大同小異で家から出られない,作業所があっても行けないということで,いろいろな社会資源があってもそれにかかわれないでいるわけです。親はなんとか社会参加させようと思って焦りますが,葛藤が深刻化するばかりで,たいへん難しい現状があります。
佐藤 私はいま,練馬区にある陽和病院という精神科の病院に勤めている看護師ですが,そちらへは昨年移籍しました。それまでは,東京武蔵野病院のリハビリテーション・ユニットで野田先生にご指導をいただきながらリハビリテーションにかかわっていました。
 先ほど野田先生もおっしゃっていましたが,看護職というのは,どうしても症状の改善,治療というところに視点を向けがちなのですが,東京武蔵野病院で教わったことを他の施設でも活用して,効果的なリハビリテーション活動ができたらいいなと思っています。

患者にとってのゴールとは

野田 精神科リハビリテーションというものには,イメージがあるようでないところがあるように思います。そこで,皆さんがお考えになっている精神科リハビリテーションというものを通じて,精神に病を持つ人たちにとってのゴールとは何か,というところをお話ししていただけますか。
佐藤 病院の看護師のチームでは,退院することではなくて,患者さんが地域でその人らしく生活を営むことがゴールだというコンセンサスを得ていますね。
野田 ごく普通の生活に戻るということが,院内の1つの仕事として捉えられているわけですね。上野さんのように地域にいるソーシャルワーカーにとっては,どうでしょう?
上野 私は病院にも少し勤務していたのですが,病院に何年も入院していると,自分の生活にかかわることができなくなってしまう患者さんがいます。こうした自分の生活を自分で構築することができない人たちが出てくることを,とても問題に感じていました。
 PSWは,よく「自己選択・自己決定」という言葉を口にします。これを支援するのは本当に難しいのですが,そこをゴールとして一生懸命やってみたいと思っています。
 また,無責任な言い方に聞こえるかもしれませんが,挑戦や失敗も人間にとって必要で,患者さんがそういう体験を積み重ねることが,リハビリテーションにおいて効果があるのではと思います。
野田 小松さん,家族会としてはどうお考えですか。会の方々や,ご家族を見ていて,どのように思われます?
小松 私の息子の場合ですが,ちょっとピアノを弾けるんですね。そういったことに集中して,そこに楽しみを持つとか,友だちができて交遊が深まるとか,何か生きがいを持つことができれば,まずそれが目標かなと思っています。ただ,その機会を与えてくれるような制度やシステムがないということが問題ですね。
野田 そういう現実はありますね。私も専門職として,こういう病を持つ人たちは暮らしにくいと思います。それをなんとか暮らしやすくするための総体としての援助が必要だと思います。例えば,患者本人が部屋にこもって音楽を聴いている毎日で「暮らしやすい」と言っているからそれでいいということではなくて,周りの家族や,友だち,社会のすべてが,その人を見ていいと思える,皆が暮らしやすいような“落としどころ”探しが必要なのではないかと思います。それが実現していくと,その人が自己選択・自己決定できるようになるということも含んで,暮らしやすくなるのではないかと思うのです。そうしていけば,援助をする人も元気が出るし,援助される人も元気が出るのではないでしょうか。

■専門職にできること

野田 では,専門職のかかわり方について佐藤さん,どうでしょう?
佐藤 まずは,意思決定する時の患者さんたちの個別的な背景が理解できないと,意思決定も理解できないと思います。ですから,看護側としては,なるべく患者さんの個別的な背景を観察したうえで,なぜそういう考えを持っているのかをできるだけ明確にするようなことからはじめます。患者さんの症状のモニタリングを通して,その人がありのままでいながら,どんなサポートがあったら生活できるかを考え,それがリハビリの糸口となり医療チームへの最初の提案をする,ということでしょうか。
野田 地域におけるPSWとして,上野さん,どうでしょう?
上野 退院した患者さんの生活のサポートをする場合には,もちろん医師の協力が不可欠ですが,場合に応じてPSWがリーダーになったり,もし具合が悪くなったら医師がリーダーになりということで,患者さんご本人の状態やニーズにあわせてリーダーになる専門職は違うのだろうと思いますし,もしかすると専門職ではない人がリーダーになるべき場合もあると思うのです。
野田 実際には病棟では看護師さん,地域ではPSWの人がいちばん患者さんを見ているわけですが,指示系統は医師から出ていくことが多く,それがリハビリテーションを阻んでいることが多分にあると思いますね。
小松 私どもの「あやめ会」では,まずひきこもる人の家庭訪問からはじめました。
 初めのうちは会話もできなかった人も,訪問するうちにだんだん話ができるようになり,一緒に外出できるような人も出てきました。そうすると,今度は出かけやすい場所が必要になりまして,「窓の会」活動というものをつくりました。
 活動メニューには個別訪問や「音楽病室」,「窓を開けて友だちを作る会」などがあります。それから,「ぶらっと(寄る)会」としてフリースペースを設け,また「パソコン教室」などをやり,もっと元気な人は,ボランティアと一緒に出かけてカラオケやボーリング,ハイキングに行ったりしています。さらに,「あやめ会」の仕事を手伝う制度も作り,事務所の留守番,書類の印刷や発送,パソコン教室の助手をするなどがその内容です。そういうものを全部入れると,年間1000件を超える利用があります。もちろん全部がうまくいっているわけではなく,治ったと思って退薬したため再入院に至ったケースもありますが,この活動に対し,私たち主催者としては確かな手応えを感じています。
野田 精神科領域にあるネガティブな雰囲気とは,「できない」ということを前提にした考えから生まれているような気がします。例えば上野さんの豊芯会の活動もすごいと思うのですが,もっと「できる」「できるんだからやろう」というような気運が起こってくればいいと思います。できるものを見つけて伸ばしていくこと,小松さんのやってらっしゃる活動みたいなものをもっと結集していくことはできないかなと思いますね。
上野 当団体で行なっているショートステイで,長期入院の人たちが退院に向けて1人暮らしの練習をしていた時に,佐藤さんが武蔵野病院のリハビリテーション・ユニットの婦長をされていまして,看護師さんが夜間に不安で眠れない方々の電話を受けてくれるようにしてくれたのです。これは,私,一生忘れないことです。
 こうしたサポートのおかげで,私たちのほうもショートステイで受ける患者さんたちが多少不安定でも,あるいは1人暮らしをしたことがなくて不安だという人でも「ちょっとチャレンジしてみよう」という気になるので,対象者をすごく広げることができましたし,私たちのほうのサポートスキルも高まりました。今でも,その体制をとっていただいています。
野田 リハビリテーションにおいては,こうしたいろいろな方面からの働きかけが必要だと思います。最初はもちろん患者さん本人と専門職とのかかわりからはじまりますが,次は家族を含んで,その次は地域,さらには行政を含んだ話にしていってというふうに,1つのことをどこまで広げていけるかによって,リハビリテーションの深さがずいぶん変わってくると思います。
 以前,東京武蔵野病院で家族会をやっていた時に,最初は「家族心理教育」のようなことをやっていたのですが,ほかの障害の人たちの家族とディスカッションをしてみたらどうだろうということで,知的障害や身体障害,ダウン症の方々のご家族をお呼びして,いろいろ議論をしていただきました。そうすると,精神障害者のご家族の方々が「今までそういう発想はなかった」というような新たな発見を得て,家族会自体が皆で考える場へと育っていったということがあったのです。ですから,発想を逆転させるというか,少し考え方を広げていくと,息苦しさがだんだん取れるのではないかと思えて,とても興味深かったですね。自分たちだけで固まることはないんだ,ということに気づくことで,リハビリテーションの地平がどんどん広がっていく気がします。

地域の“支える力”

野田 上野さんは地域生活支援センターの仕事をされていて,何か地域の方々に対するアプローチはされているのですか。
上野 最初,地域の方たちは「あそこはバザーをやるから手伝おう」とか「何かしてあげなくちゃ」という気持ちで来ていたのですが,そうするうちにセンターは特定の人の施設ではなくて,自分たちにも使えそうだということに気づきはじめたのですね。例えば老夫婦が,生活保護を受けたいけれど役所は敷居が高いから,と相談に来られるようになりました。
 そうやってセンターに来る人たちが増えてくると,当事者の人たちとそこで日常的に接する機会が増え,「お菓子があるから一緒にお茶を飲みませんか」となったり,毎日話をするようになります。そうなってくると地域の方たちが,ただお世話するという感覚ではなく,お互いが助け合うという関係を意識しはじめるようになります。
 そうすると,当事者の人たちも自分たちはお世話されているばかりの存在ではないことを少しずつ意識するようになり,その関係がお互いの市民意識を高めることにつながっていくのでは,と期待しています。
野田 本当は病院が退院した人の面倒までみるというのは正しい姿ではありません。地域に,その面倒を見てくれるような力があればいちばんよいわけです。それから医療側にも,患者さんを病院から出す時に,地域での生活を後押しするようなことがもっとできると非常にいいのですが。
上野 身体をはじめとする精神科以外のリハビリテーションというと,何か課題やプログラムがあって,それに向かって本人が努力していかなければいけない,そのためのトレーニングであるというようなイメージがあるのかなと思います。でも,精神障害の方たちのリハビリテーションというのは,そういうことばかりではないわけです。そこのところが,まだきちんと認識されていないのかなと思いますね。
野田 そうですね。例えば退院したらデイケアや作業所に行くことがリハビリテーションだと考えている人はずいぶん多いと思います。中味を問わずに処遇的な問題として捉えているのですね。ですが,さきほど小松さんが言われたように,例えば家に1人で引きこもっていて,どうしても出てこられない人に対しては,どうするべきかを個別に考えていく必要があります。
 ただ,そういうことを考えていくにはなかなか難しい現実があります。医師は医師の全能性を信じ,看護は看護の独自性を主張し,ソーシャルワーカーは「生活をみるのは私」,OTは「技術をみるのは私」と言いはじめると,いくらチームを作ってもそれぞれが勝手にやっていることになります。一度自分の専門性を取り払い,その人がどうしたらいちばん幸せかというところから考えなければいけないと思いますね。

■元気の出るリハビリテーションへ向けて

佐藤 私は今も看護職として医療現場にいますが,病院は医療ということで制約条件もあり,行ないたいリハビリ支援が困難なこともあります。病院という施設とは別に,地域との中間施設として教育機関のようなものがあったらいいなと思っています。病院内での生活を見ただけでは,どうしても患者さんの持てる力を見逃してしまうことがありますし,患者さんもまた,地域により近い環境でのリハビリが望ましいと思います。その中間的な施設――病棟ではなく自宅でもない――,看護師だけで支えられるぐらいの施設があって,病院の敷居が高いと思っている患者さんや家族が,そこで症状コントロールや生活スキルを身に付けていただくような支援ができたらいいなと思っています。
野田 それはおもしろい発想ですね。上野さんはいかがですか。
上野 私は大学へ行ってから「やっぱり現場はおもしろいなあ」とつくづく思っています。
 小松さんがおっしゃったように,まだまだ家から出られない人もいらっしゃるのですが,作業所や授産施設といった施設はもしかしたら要らないのかなと,私はこの頃思ったりするのです。というのは「べてるの家」の活動からすごく刺激を受けたのですが,健康な人で,精神障害の当事者たちと一緒にいることになんの違和感もない人や関心のある人たちと一緒に仕事起こしみたいなことができたらと思います。
 私たちは長い間,作業所には定員20人,スタッフが3人でお弁当を作って…というふうに考えてやってきたのですが,生産性の点からいって,採算を取るのは非常に難しいですね。そこにいろんな人がボランティアで入ってきてくれているから,なんとかできるようになってきたわけですが,それをもうちょっと進めて,小さなNPOみたいなもので,例えば当事者は3人しかいなくても,健康な人が5人いて,「この仕事をするのにこの人数は最高」というようなグループで,いろいろな仕事起こしができるといいなと思います。
 というのは,能力的に優秀な人ばかりならできるというわけではないということを,お弁当づくりの仕事を一緒にやって思ったことがあるのです。メンバーの中にすごくこだわりの強い30代の男性がいて,こだわり出したら手が止まってしまって,次の仕事にいけないのです。そこで,その人には次の日の調味料をきちんと計っておくという仕事をしてもらうことにしました。というのは,朝の忙しい時間帯にスタッフがその仕事をやっていた頃は,必ず「酢がない」「砂糖がない」と大騒ぎになっていました。その時にたまたま彼がいて,「あ,そうだ! ちょっと頼んでみようかな」と思ったのです。
 頼んだところ,彼は次の日からやってくれるようになったのですが,ものの見事にどの調味料もきちんと計ってくれました。
小松 そういうことは間違えっこないですものね(笑)。
上野 今まで私たちは無意識に,その人のこだわりが強いということをマイナスに受け止めていました。それから5年ぐらい,彼はずっとそれをやってくれています。今は,一覧表まで作って,これはいつぐらいに購入すればよいかということもわかるようになっています。
野田 まさに適材適所ですね。
小松 そういう人たちに適する仕事というのが,ないわけではないんですよね。ただ,そういうやり方で仕事を斡旋していくのはずいぶん大変だから,なかなかできていないということだと思います。
上野 そうですね。その人をよく見て,どこでどういう力を発揮してもらえるかということですね。その人をよく見ること,それが支援のスキルなのかなと思います。
佐藤 でも,そこが病院という大きな器の中では見えないのですね。看護側もそういうトレーニングをして,そういうふうに患者さんを見ようと思っても,なかなか無理なところがあります。
 今あるデイケアや作業所というのは,こちらが必要で作ったようなものですが,もっと小さな集団で,患者さんたちが自分の意思で活用できて,気がついたらそこで何か学べていた,というようなものがあったらいいだろうと思います。
野田 ご家族,そして家族会として小松さん,いかがでしょうか。
小松 いつも思うのですが,医師に,もっと患者さんが社会参加する動機づけをしてほしいです。ただ投薬だけをしているお医者さんがあまりにも多い。患者さんはやはり主治医を信頼していますから,例えば一言,「作業所へ行ってみたらどうでしょう」など言ってくれるとよいのですが。
 全家連としては,厚生労働省にもっと実際的な,家族の困っていることそのものを訴えていきます。もちろん,今までそれを十分にしてきたかという反省は強くあります。それから,各地方においても家族会が医療機関や行政にもっと勇気を持って働きかけていかなければいけないと思います。そうすれば,社会も変わってくるのではないでしょうか。
 私たちは,精神科リハビリテーションに力を入れている施設などをもっと世の中に紹介しようと思っていますし,機関紙『月刊ぜんかれん』(購読などのお問い合わせは全家連事務局:TEL03-3845-5084まで)などを通じて,情報がもっと行き渡るように努力していきたいと考えています。
野田 これから先,おそらく病院から長期在院がなくなって,いわゆる急性期にシフトしていくと思いますし,それは正しい姿だと思います。ただ,出口のところできちんと退院後の精神科リハビリテーションを考えないと,“回転ドア”になってしまって,やっぱり患者さんは戻ってきてしまい,それが慢性化してしまうことになります。
 私は発病と同時に精神科リハビリテーションの動きを起こすべきだと思います。専門職の中にもそういうスキルが必要なので,それが広がっていくことがとても大事で,そうなることが私の夢の1つですね。お医者さんが,薬だけ出していてほかのことを知らないというのではいけないし,知らなかったとしても,チームの他の人と情報を共有しながら「こういうふうにしましょう」ということができるようになっていかなければいけないと思います。
 皆さんのお話を聞いていて思うのは,ものごとをクリエイティブ,創造的に考えなければいけないということです。いつも固まった見方をするのではなくて,こっちが駄目ならあっちをやってみようとしたりすることですね。精神科リハビリテーションというのは,非常に知恵の必要な分野で,それだけにおもしろい,専門職にとってチャレンジのしがいのある分野です。この分野に興味を持ってくれる人が増えてくれるといいなと思います。今日は貴重なお話をありがとうございました。



野田文隆氏
 東京大学文学部,千葉大学医学部卒業。ブリティッシュ・コロンビア(BC)大学精神科,東京武蔵野病院精神科勤務を経て現職。BC大学Adjunct Professorも兼務。専門は精神科リハビリテーション,多文化間精神医学。
「当事者が心理的,社会的に回復していく過程に寄り添うのが精神科リハビリテーション。自らの人生画面を見るような仕事と思います」



上野容子氏
 日本社会事業大学卒。小平市の松見病院勤務にPSWとして勤務。小岩保健所,小平保健所のデイケアのグループワーカー,豊芯会/ハートランドにおいて作業所,グループホーム,授産施設,ショートステイ事業,地域生活支援センターの開設・運営に携わり,現職。駒澤大学,法政大学,立教大学非常勤講師。
「精神保健福祉領域における専門職の市民化,社会化を推進したい」



小松正泰氏
 慶應義塾大学理工学部中退。三菱電機ビルテクノサービス(株),東京支店冷熱部門エンジニア。高松支店長。本社冷熱副本部長。取締役大阪支社長。顧問。川崎市単位家族会“泰山木の会”に入会。川崎市精神障害者家族会連合会(あやめ会)会長。全国精神障害者家族会連合会理事長兼務。川崎市において,ひきこもる精神障害者を支援する『窓の会』活動を約4年間継続中。



佐藤美紀子氏
 学校法人文恵高等看護学院卒業。東京武蔵野病院看護部師長。三井記念病院非常勤講師を経て現職。
「精神に障害を持つ人に対して「その人らしく地域での生活を再獲得できるように支えること」を担う者として,自分にでもできるとは何かを常に模索していきたい。そのために,さまざまな人々との出会いと学びを大切にしたい」