医学界新聞

 


名郷直樹の研修センター長日記

4R

机と椅子で十分だ! その2

名郷直樹  (地域医療振興協会 地域医療研修センター長,
横須賀市立うわまち病院 臨床研修センター長)


 連載開始からあちこちで,「読んでますよ」とお声掛けいただきとってもうれしいです。ただ読者の皆さんから,「大変なことになっていますね」,なんて言われるのですが,大変なのは私ではなく,今回初めてその名が明かされた丹谷郷先生です。どうもこの日記がフィクションだという部分が伝わっていないようです。名郷本人は大変楽しくやっております。心配御無用です。では今回も,センター長日記,お楽しみください。
(連載開始から4か月にして日記の進みはまだ1週間,この1年のことを書き終えるのは10年後か?)


前回2551号

△月□日  引越しから1週間,出勤初日から3日が過ぎ,今日は4日目。初めて外来に出た。内科の初診外来である。病院の外来は10年ぶり。内科の外来は生まれて初めて。信じられないかもしれないがそうなのだ。卒後18年目にして初めて立つ内科外来。そんな医者はそうはいないだろう。
 私は内科じゃないか? 僻地医療専門じゃないか? だめじゃないか!
 ダジャレが出るのも不安の裏返しか。そんな不安の中,内科外来へと向かう。
 白衣を着るのは約10年ぶり,ノートパソコンをかかえ,聴診器を首にぶら下げ,いざ診察室へ。
 「おはようございます。4月からここへ赴任しました。丹谷郷です。丹頂ヅルの丹に,山谷の谷,郷ひろみの郷で,ニャゴウといいます。よろしくお願いします」
 3月までいた僻地の診療所診察室に比べると半分以下の広さ。患者用の椅子が丸椅子で,医師用の椅子が背もたれ肘掛つきだ。よし,これは反対にして使おう。丸椅子が私だ。椅子の位置を入れ替えて,丸椅子に腰を下ろす。腰を下ろしたとたんに,看護師さんの質問が降りかかる。
 「先生,何科の専門なんですか?」
 「あー,僻地医療が専門なんだけど……」
 会話はそこで途切れる。失敗した。私は内科の臨床医として赴任したわけではない,教育専任で赴任した,それをまず理解してもらわないと何もはじまらない,そんな気持ちが裏目に出た。赴任初日のゴタゴタが尾を引いている。とりあえず一般内科とか言っておけばよかった。うそも方便というじゃないか。
 診察開始の時間までまだ少し時間がある。ちょっと落ち着こう。血圧計,舌圧子,ペンライト,打鍵器,眼底鏡,診察道具を確認し,持って来たノートパソコンで「UpToDate」(電子媒体の診療リファレンス)を立ち上げる。診療所の外来の時の気分を取り戻そう,そんなことを無意識のうちにしている自分に気がつく。
 しかし,なかなかそうはいかない。オーダリングの端末は,その中で最もどうしようもないものの1つだ。いろいろな備品の中で,オーダリングのパソコンの端末だけがやたら立派で目立つ。診察をはじめる前に,まずこれと格闘する必要がある。昨日1時間ほど説明を受けたのだが,さっぱり使える気がしない。使える気がしないだけならいいのだが,実際も使えない。最初の患者さんを呼び入れる前にいろいろいじるのだが,その患者さんのオーダリングの画面が出てこない。
 「すいませーん。使い方教えてくださーい」
 最初から看護師さんに迷惑かけっぱなしである。あー,診療所の外来はよかったなあ。

 老いるとは,振り返る時間が長くなることである

 誰が言ったか知らないが,うまいこと言うもんである。しかし老いてる場合じゃない。さあ,診察をはじめよう。
 「○○さん。6番診察室へお入りください」……
 10人ほどの新患の診察を終えて,もうぐったりである。時刻ももう12時。診療所の外来より10倍疲れる。診療所時代もたまに旅行者などで知らない患者さんが来るとずいぶん緊張したのだが,ここの病院では,すべての患者さんに対してまだそんな状態である。診療所の時よりもっと緊張しているかもしれない。10年以上に及ぶ診療所での実績も,ここでは何の役にも立たない。むしろ邪魔しているかもしれない。
 僻地診療所に赴任する若い医師の多くは,いろいろな検査ができなかったり,できてもすぐに結果が出ないことを不安に思う。当然のことだけど。そして,内視鏡の検査をやったりすると,見つけた早期胃がんのこと,急性期の胃潰瘍のこと,そんなことが印象深く記憶に残る。そういう若い医師にとって,検査のできない診療所から何でも検査のできる病院への移動というのは,ある面ストレスを減らすところがある。
 しかしそんな医者に対して,自分がまったく違うところにいるということを,今はっきりと自覚する。ほとんど検査のできない診療所から,なんでも検査のできる病院に移って,それを便利に感じるどころか,ストレスに感じる。今日診察した全身倦怠感の患者さん,胃が痛いという患者さん,診療所なら何も検査せずに済ませただろう。いろいろ迷った挙句,検査をすることにした。検査ができなければこんなふうに迷うこともないのに。咳が出て,のどがいがらっぽいという患者さん,咳止めと鎮痛剤を処方した。診療所で診ていれば,何も処方しなかったに違いない。処方したとしても1剤にとどめただろう。
 机と椅子で十分だ。検査なんかできないほうがやりやすい。薬も余計なものは処方できないほうがいい。それが今の自分の正直な気持ちだ。
 しかし,そんな自分の気持ちを冷静に考えてみてちょっと憂うつになる。自分の都合でなく,患者の立場で自分の守備範囲を変えていく,患者に合わせる医療が地域医療だ,そんなことを言っていた自分が恥ずかしい。「患者に合わせる」,そう簡単に口にする言葉じゃない。机と椅子で十分,そんなところで働きたい。そんな環境じゃないとストレスに感じるというのは,結局自分の都合ということではないか。あらゆる検査ができる,どんな薬も処方できる,そんな環境でも最善の判断がストレスなくできる。そんなふうに私自身がなれるだろうか。自分自身の修行すらまだまだこれから,教育専任なんて言ってる場合じゃない。内科外来をきちんとやれというのは正論か? まあいい,しばらくは週に2回内科外来だ。



名郷直樹
1986年自治医大卒。88年愛知県作手村で僻地診療所医療に従事。92年母校に戻り疫学研究。
95年作手村に復帰し診療所長。僻地でのEBM実践で知られ著書多数。2003年より現職。

本連載はフィクションであり,実在する人物・団体,施設とは関係がありません。