医学界新聞

 

あなたの患者になりたい

難しい患者――見方を変えてみれば

佐伯晴子(東京SP研究会・模擬患者コーディネーター)


 医学教育の研修会やワークショップで必ず出る質問に「難しい患者をやってくれますか」というのがあります。怒っている人,何度も同じことを言って困らせる人,ちょっと怖い雰囲気の人,気が動転してまともに話せない人などのことです。実際の医療の現場は,待ったなしの真剣勝負。患者さんやご家族との衝突も少なくありません。原因は「難しい患者」だそうです。もちろん本当に医療を悪用したり暴力沙汰もあるのでしょうから,医療者の悩みには私も心が痛みます。

「難しい患者」とは?

 ただ,実際にそのように一方的に患者さんに非があるだけなのでしょうか?「難しい患者」という表現を聞くたびに,私の中にすっきりしないものが残ります。まるで自分がそう呼ばれているようで,悲しくなってしまいます。ひょっとして患者さんのおかれた状況が容易ではなく,医療者自身に試行錯誤が求められる時に,言い換えれば「難しい状況」を患者側の勝手な問題とされていないでしょうか? それと同時に患者さんは「難しい先生」「話のわからない人」と感じているとしたら,お互いに残念な出会いですね。
 『認められぬ病』(中公文庫)を著した生命科学者の柳澤桂子さんは,病気として診断されるまで30年近くも,難しい患者,問題患者として「扱われ」たとのことです。自然の神秘を畏怖し真実を探求する科学という道の,ひとつの枝である医学の現場で柳澤さんが出会った医療者の態度は,患者さんの声に耳を傾け一緒に考えるものとは違ったようです。医療者の頭にない症状は正規の病気としては認めらず,探求の対象にはされず,症状はわがままのせいとみなされ,病める人として寄り添ってもらえなかったのです。

その「医療」はどこを向くのか?

 ところで,難しい患者,問題患者とみなす時,医療はどこを向くのでしょうか。忙しい現場であるのは事実だと思います。次から次へと患者さんを「さばく」医療をする上で,効率を悪くする患者さんは迷惑な存在と感じても無理はありません。だから素早く対処できる技術を習得するためにSP(模擬患者)実習を,という発想ですね。
 しかし,「怒っている人」には怒る理由があります。今までの経緯で何がその人を怒らせたかをじっくり聴いてみて,その上で適切な対応を考えるわけにはいかないのでしょうか? 何に対して不満や納得のいかないことがあるのか,話す機会がなければ解決する道すら開けません。同じ質問を繰り返して困らせるのは,質問の意図にあわない答えばかりが返されていたり,疑問や不安が置き去りにされているのではないでしょうか?
 いわゆるコミュニケーションのとりにくい人,やりにくい人という見方も,角度を変えると,ある状況を迎えた人がこの病院,この医療者だったらと期待をもって問題を投げかけているのだと思います。手に合うものだけを扱うのも医療の1つの形かも知れませんが,最初からふたを閉めてしまわずに少し目を向けてもらえたら,難しいとお互いが感じたことが少しずつ溶けていくのではないかと私は思います。

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●単行本発行のお知らせ
 本コラム『あなたの患者になりたい』は,読者からの要望に応え,単行本化されました。ぜひ書店等でご覧ください。

(「週刊医学界新聞」編集室)