医学界新聞

 

〔連載〕
かれらを
痴呆
呼ぶ前に
「ボディフィールだー」出口泰靖のフィールドノート
    その3
  急いては「わかること」をし損じる?(1)の巻
出口泰靖(ホームヘルパー2級/山梨県立女子短期大学助教授)


2548号よりつづく

 前回,すぐさま受容しようとしたり共感しようとしたりせず,「わかろう」と強迫観念にかられなくてもええじゃないか,みたいなことを述べました。
 疾病を診断するといったように,ハッキリと白黒をつける,真実をつきとめることも時と場合によっては必要なのでしょうが,こと人とやりとりしたりすることにおいては,急いてはことをし損じるように,急いては「わかる」ことをし損じる場合があるようです。
 また,「わかる」ことを急ぎすぎているだけではなく,1つの問いには1つの答えしかないということを学校教育のなかで教え込まれてきた僕たちは,「わかる」ということの幅を自らせばめているのかもしれない,とも思います。
 僕たちは飽くなき「急いて事を知る病」に侵されてしまい,「わからないまま」でいる状態に耐えられない身体になっているかもしれません。今回から数回,僕がそれを強く感じたフィールドワークでの体験を紹介したいと思います。

「解けない謎」もある?

 6,7年前,痴呆専用棟でボランティアとしてフィールドワークをしている頃のことです。ゆきさん(仮名)という,夫が戦死してから旅館で給仕をしていた女性の不思議な言動について紹介します。
 ゆきさん,席を立ってウロウロ。どうしたのか聞いてみると,浜田さん(仮名,男性の入居者)を指さして「あの人,タバコ吸っているから灰皿をさがしてんの」。
 ナヌ? 彼はタバコもくわえてもいないし,第一ここ痴呆専用棟では誰もタバコは吸わない(吸ってはいけないらしい)。「タバコなんか持ってないですよ」とさすがにこの時は「本当のこと」を言ってしまった。でも,またすぐに灰皿を捜しはじめ,「ないので買いに行く」とまで言い始めた。僕はゆきさんを浜田さんの側へ連れて行って,「ほら,タバコなんか持ってないですよ」と言ったら,「そんなことはない,右手に持っているじゃないか」と言う。(フィールドノートより)
 さらにこんなこともありました。
 ゆきさん,ガラスケースの前に立ち,何やら思案をしている。僕「どうなさいました?」。ゆきさん,うさぎの置物を指さし,「そこにパンがあるだろ」と言う。「ゆきさん,パンお好きなんですか?」「ああ。夕飯の前には必ずパンを食べるんだよ」。
 以前もこういうことがあったので,さすがにそれほどは驚かないが,ホントにうさぎの置物がパンに見えているのだろうか,という疑いは晴れないので,こんな質問をしてみる。「これ,なにパンなんですか?」「ああ」「食パン?」「ああ,そうだね」。
 うーむ,ここんところは曖昧だ。ホントに食パンに見えるのかいな。しかし,この場合,ホントにパンに見えているかどうかは問題ではないのかもしれない。問題は,もっと別の次元なのかもしれない。(フィールドノートより)
 当初,僕は,ゆきさんが浜田さんがタバコを吸っているように見えたり,うさぎの置物をパンだと言ったりするのは「なんでだろ~」と謎を解きたくてしようがありませんでした。
 これらは医学的には「妄想」や「見当識障害」「幻覚(幻視)」などの症状で説明がなされるのでしょう。
 後になってから,ゆきさんは給仕の仕事が終わると,タバコを1本だけ吸うという習慣を持っていたり,パンについても「夕食の前にパンを食べる」とフィールドノートにも書いているように,給仕の仕事で小腹が減るとパンをかじっていたことがわかりました。ゆきさんの言動には,そういったゆきさん自身のタバコやパンにまつわる思いが何らかの形であらわれていると考えられます。
 しかし,だったら今なぜタバコなのか?パンなのか? ゆきさん自身がタバコを吸いたいのか? パンを食べたいのか? いつまでも「なんでだろ~」という思いが駆けめぐっていました。
 思えば,その時の僕は,「いま,ここ」にいるゆきさんの気持ちをおしはかるよりむしろ,彼女に対する応対の難しさから,はやく自分がその難しさから解放されたいがために,その謎を早々に解き明かしたかったのかもしれません。

「わかりつくす」のは野暮?

 「なんでだろ~」に答えが出ないこともあれば,意外な答えをもらって戸惑うこともあります。
 脳性マヒで手足に障害がある女性と話していたときのことです。今までは施設に入所して暮らしていたのですが,施設から出てヘルパーの介助を受けながら一人暮らしをはじめた方でした。
 身体障害者がそうした行動や生活をすることを「自立生活」といいます。僕はその人に「どうして自立生活したかったんですか?」と質問してみました。それはある種の「調査屋」根性からでた質問でした。この人にとっての「自立生活とは何なのか」ということをその人の口から聞きたかったのです。そして,その答えは「誰だって人には言えないけど1人になってやりたいことっていっぱいあるでしょう?」というものでした。
 僕は一瞬,質問をはぐらかされた,と思いました。理念的とまでいかなくても,「自立生活」に対する彼女の具体的な考えや思いが聞けることを期待していた僕にとって,この答えはある意味で期待はずれなものでした。ただ,僕の身体感触はミョーに腑に落ちる感覚にとらわれました。「『1人になる』ってことは『人には言えないことができる』ってことでもあるんだ」と。それだけ障害者は自らの行動や生活のほとんどを他者に知られてしまうってことなのでしょう。
 彼女が自立生活に込める思いは決して僕が期待していたような高尚なものではなく,僕らが普段何気なくやっているささいなことこそが希求されているんだと思いました。かえって僕の根掘り葉掘り聞き取ろうとする「調査屋」根性が露呈されて恥ずかしくなってしまったことを覚えています。

「問いかけ」で終わること

 突然ですが,今大ブレイク中(?)のお笑いコンビ,テツandトモの「なんでだろ~」が受けているのはなんでだろ~?
 僕は,彼らが結局謎解きをするわけではないのはおもろいな~と思っています。聴衆に「なんでだろ~」を喚起し,「わからないまま」の「なんでだろ~」状態の感覚のままでいる,それが「はやくわかりたい強迫症」という病いを持つ僕らにとって新鮮な身体感触なのかもしれない,と僕は思うのです。