医学界新聞

 

連載(43)  微笑の国タイ……(21)

いまアジアでは-看護職がみたアジア

近藤麻里

E-mail:mari-k@dg7.so-net.ne.jp    


2545号よりつづく

【最終回】「らしさ……」

路地に立つ美しい人

 現在では,“バンコクの歓楽街”と言うより,“観光客の夜のバザール”になっているパッポン通りのはずれにある路地を,真夜中にタイの友人たちと歩いていました。
 薄明かりの路地の角に,きれいな女性が立っているので,
 「あんなふうに綺麗になりたいものだわ」 と話しかけ,その美しさと清楚さに見とれていると,
 「やっぱり気づかないんだ。今の人は,男よ。日本人はあまり慣れていないものね」
 と,みんなでクスクス笑いだすのです。
 どうやらタイの女性たちには,その性別がすぐにわかるらしいのです。
 タイのバンコクやいくつかの観光地では,女性の姿をして登場する男性によるショービジネスが,派手に行なわれています。入場料が高いので,この時の私はまだショーを見学したことはありませんでした。

女子学生と仲良くしている人

 大学の新学期の授業初日,日本語講師として2年目を迎えた私は,もうすっかり馴染んだ教室へと足を運びました。女性用のトイレを通りかかった時に,楽しそうな笑い声が聞こえてきました。
 女性トイレの手洗い場には,丸刈りの頭に白い粉と口紅をつけた男性の服装の学生が,5人の女性たちと話をしていたのです。私の視線に気づいた学生たちは,ちょっと楽しそうにしています。
 女性用のトイレを,男性かもしれない人が使用しているという状況を理解できずにいると,
 「彼は,男性です」
 と,一人の学生が教えてくれます。
 「そうなの,ありがとう」 と平気な顔で答え,“タイでは,よくあることよ”と自分に言い聞かせましたが,その驚きをやはり隠せずにいたのでしょう,
 「日本には,彼のような人はいないのですか?」
 と聞かれてしまいました。
 授業が始まると,彼は教室の前から2列目に座り,私は視線を外すのに苦労しました。しかし,クラスメイトの彼女たちは,自然体のままに(つまり,性差を意識せず)彼の存在を受け入れているようなのです。
 そして,半年間の講義での付き合いで,いつの間にか彼を自然に受け入れている自分にも気づいたのです。ですからもちろん,女性用のトイレで会っても驚かなくなりました。

違いや区別

 もちろんタイでも,明らかに男性と女性で違っていることもあります。よく言われるのが,農村部における家族や親への責任感は,女性が圧倒的に強いことです。それは,男性が婿入りし,女性がその家を継ぐことにも影響しているようです。家計を助け,両親や兄弟姉妹の面倒をみるために,女性たちは都会や外国にまで出稼ぎに行くほどの重い責任を感じているのです。
 ところが,どんなに努力しても,女性は,仏門に入り僧侶になることは絶対にできません。あくまでも,“寄進”や“お手伝い”という仏教を支える側なのです。ですから,タイ社会で尊敬と信頼を集めている僧侶になれるのは,男性だけなのです。

女性教員との話

 このような話を若い大学教員である女性たちと,講義の後で話していると,
 「タイでは,小学校から大学まで,学校の先生は女性がとても多いのよ。日本はどう?」
 と聞かれました。
 「日本は,同じくらいかなあ,いや少し,男性の方が多いかな」
 と答えると,まあ気の毒にといった表情になりました。どうやら日本では,まだまだ女性の社会進出が,タイほど進んでいないと思われたようです。
 「でも,最近は女性の議員もずいぶんと増えてきているのよ」
 と,あわてて説明しました。そうしないと,このままでは日本は,私のこの発言で,女性差別の残る封建的な社会であると結論付けられては大変です。
 「タイでは,政治や軍は,ほとんど男性で占められていて,女性の議員は本当に少ししかいないのよねえ」
 と,残念そうに話すのでした。アジアの女性も,政治の世界にもっと参加していかないとね,などとみんなで話し合ったのです。
 さて,女性たちでこのような話をしてから,すでに,15年以上の月日が流れました。現在,タイでも女性議員の人数は,かなり増えてきたと聞いています。
 タイの普通の生活の中では,一見ゆるやかに捉えられているように見える性差も,明確に線が引かれている場もあります。しかし,このような“ゆるやかな”という捉え方とは,私たちの文化や価値観から見て,ということなのです。
 ですから,タイからすれば,ゆるやかも何もこれが普通であり,逆に日本や他の国々が,どうしてそんなに男女を区別するのか,また,それがなぜ差別に繋がっていくのかという疑問が沸き,私たちに聞きたいことがたくさんあるのかもしれない,と思ったりするのです。


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 3年半にわたり掲載してまいりました「いまアジアでは」は,今号を持ちまして最終回となります。長い間,皆様に応援していただき,本当にありがとうございました。