医学界新聞

 

〔インタビュー〕森川嗣夫氏   JFE健康保険組合川鉄千葉病院・整形外科部長

もうひとりのサッカー日本代表


 世界中が熱狂した「2002FIFAワールドカップ」から1年──。あの時,チームドクターとして,日本代表チームとともにワールドカップのピッチに立った医師がいた。
 日本中の期待を背負った大会で,合宿を含めると1か月間にわたり,選手たちをサポートしてきた。「やってることは病院のほうが大変だけど,精神的にはワールドカップのほうがずっと疲れた」という森川氏に,代表合宿や試合時の出来事,日本代表のチームドクターになった経緯などをうかがった。


GoかNoか
医師として難しい判断

──選手がケガをする場面を,ワールドカップ日本代表のドキュメントフィルムで観た時に,通常の医師と患者の関係にはない,GoかNoか瞬時に判断する難しさが,スポーツ医学にはあるのではないかと思いました。
森川 あの時は,普通のスポーツ選手というだけじゃなくて,ワールドカップの本番なので,その判断はいっそう難しかったところがあります。大会に入れば,選手をなるべくいい状態で出してあげたいという思いがあります。早く処置をして,障害を最小限に抑える一方で,実際に出られるかどうかという判断をしなければならないことがあります。
──特に,森岡選手は1試合目(ベルギー戦)でケガをして,次の試合に出られるかどうかが微妙な状態でした。
森川 そうですね。あの時点でいろいろと調べたのですけれども,はっきりした原因はわからなかったのです。彼の場合は,走ると足がしびれて感覚がなくなるという主訴だったので,プレーはちょっと難しかったということです。
──スポーツ選手の場合は,本人も自分の身体(からだ)についてはよく知っています。ドクターが駄目だといっても,選手がどうしても出たいという時に,その兼ね合いがなかなか難かしいだろうと…。
森川 でも,サッカー選手はプロなので,最近はわりと自分の身体について慎重ですね。こっちが「いいよ」と言っても引いちゃう人もいます。逆のパターンもありますが。
──スポーツ選手としての,今後のキャリアを考えて,ということですね。
森川 そうです。自分で「できない」と言う選手もいますしね。

トルシエ監督はPT資格保持者

──他にもワールドカップにスタッフとして同行したトレーナーがいらっしゃいましたが,あの方たちは,PTですか。
森川 PTの資格は持っていなくて,鍼灸とマッサージの資格をもっています。3人のうち,1人はサッカー協会の専属のトレーナーで,もう1人はトレーナーを養成する学校の講師。もう1人は自分で治療院を開業している人で,みんな日本体育協会のアスレティックトレーナーの資格は持っています。
──フランス人のメディカルアドバイザーは医師ですか。
森川 そうです。整形外科の医師です。あの先生は,トルシエ監督が呼んできました。
──かなり多職種の方がかかわっていますが,役割分担はどういうふうになさったのですか?
森川 トルシエ監督になってから,ずっとそのメンバーでやっていますから,役割分担もだいたいはっきりしていました。お互いの気心も知れているので,まったく問題はなかったですね。
──監督から,仕事の指示はありましたか。
森川 特に細かい指示というのはないです。選手のケガ,あるいは病気の時に,どういう状況であるのか,実際にその選手がプレーできるのかどうか確認する。いちばん問題なのは,ケガを抱えている選手がプレーを続けて,その状態が悪化するかどうかということです。痛いけどプレーしても悪化しないような状況であれば,あのワールドカップではとにかくやらせる(という方針でした)。もしプレーして悪化するような状態であれば,もう使わない。それは,トルシエ監督自身がPTの資格を持っているので,こちらの説明を十分理解してくれて,逆に彼のほうから,「MRIをやったか」といった話もありました。

中田,小野,稲本の“黄金世代”をみてきた

──先生がサッカーのドクターになった経緯をお聞きかせください。
森川 私は,中学校の頃からサッカー部で,大学までサッカーをやっていました。ずっとサッカーが好きだったということと,大学を卒業して整形外科に入って,スポーツ整形をやりたいということがあって,それがうまく噛み合ってサッカーチームのドクターになったわけです。日本サッカー協会のスポーツ医学委員会というのがあって,私もそのメンバーなのですが,そこは先輩から紹介されて入りました。
──先生は,サッカー協会のスポーツ医学委員会に所属されて,トルシエ監督の時に代表スタッフに選ばれたということですか。
森川 いえ。サッカーの世界大会というのは,男子に関していえば4つのカテゴリーがあります。1つはU17(Under17:17歳以下)の世界大会,ユース(20歳以下),それからオリンピックは23歳までで,A代表のワールドカップは年齢制限なし。十数年前から,それぞれのカテゴリーに2-3人の担当ドクターを決めていたんですね。その頃,僕はU17やユースのチームをみています。その選手が成長していくにつれて,ドクターも一緒にシフトしていく方式です。だから,僕がスタッフになった頃は小野選手とか稲本選手,中田(英)選手は中学生から高校で,その時代から彼らをみています。フランスワールドカップが終わったあとの1998年に,私がA代表のスタッフになって,彼らもA代表に入ってきたということです。だいたい,ワールドカップが終わるとスタッフが交替するというシステムになっています。
──その方式は,選手を若い頃から継続的にケアしていこうということで,協会が考えたわけですね。
森川 そうです。
──同じスタッフにみてもらえれば,選手としても安心感がありますよね。ドクターとしてかかわって,印象的な選手はいましたか。
森川 やっぱり中田(英)選手は,フィジカルも強いし,精神的にも強いなということを感じました。ベルギー戦のあと,わりと強い捻挫をしてけっこう腫れていたんですが,メディカルで判断してOKならば,痛くてもいけるということになって。実際,練習を別メニューでやったこともあるんですが,全体練習に入ったらもうぜんぜん痛い素振りもないし,試合でもそんな様子は見せなかったですね。彼は強いです。
──以前は線が細い印象がありましたが。
森川 今の中田選手はゴツいですよ。筋トレとか,フィジカルトレーニングをみていても,きちっとやってますね。取り組み方が他の選手とは違います。イタリアに行って,かなり強くなりました。

スポーツ医学をめざすには

──将来,スポーツ医学をめざす若い人が,学生のうちに勉強しておいたほうがいいことはありますか。
森川 特別どうすればいいというのはないと思うので,学生時代は好きなスポーツを一生懸命やって,全般的な勉強をすればいいのではないでしょうか。スポーツへのかかわり方はいろんな科によってあるので,整形外科だけじゃなくて,内科でもかかわり方はあるし。眼科でチームにつくというのはちょっと難しいけれども,サッカー協会でも眼科の健診はやっていますし,歯科の先生にもやってもらっています。特にこれからは,自分の興味のある分野でスポーツにかかわるチャンスはあると思います。
──スポーツにかかわるには,どうしても整形外科というイメージがありますが,それだけじゃないんですね。
森川 帯同してピッチにつくとなると,やはり整形外科がいちばん可能性が高いですが,この前のワールドカップでもそうなんですけど,チームに1人だけじゃなくて,整形外科医と内科医とか,複数のドクターが来ている国が多かったです。今後は,いろいろな科が重要になってくるのでないかと思います。
──ありがとうございました。



森川嗣夫氏
1955年生まれ。81年,千葉大学医学部卒業。同附属病院,社会保険船橋中央病院,国立習志野病院を経たのち,83年に千葉大学大学院医学研究科修了。その後,国立静岡病院,St. George's Hospital Medical Schoolなどを経て,現在に至る。また,日本整形外科スポーツ医学会評議員,日本サッカー協会スポーツ医学委員会委員も歴任。今も大学サッカー部OBチームで,FWとしてグランドを駈け回る。