医学界新聞

 

連載(42)  微笑の国タイ……(20)

いまアジアでは-看護職がみたアジア

近藤麻里

E-mail:mari-k@dg7.so-net.ne.jp    


前回,2541号

【第42回】聖なる“白い糸”

 タイの田舎を訪問し,バンコクに戻ってきた旅行者の手首には,必ずと言っていいほど“白い糸”が巻かれています。
 この糸には,健康や幸福を願う気持ちが込められています。ですから,タイでは家に滞在したり,結婚式に参列したりすると,必ずこの糸と出会うことになるのです。

タイの結婚式

 友人の結婚式に,タイで何回か参列しました。バンコクで暮らす若者は,ホテルで現代風のウエディングドレスなどを着た結婚式を行ない,あまり日本と変わらないなあと思っていました。しかし,田舎に出かけて行くと,ある程度伝統に則った,昔ながらの結婚式を見ることができるのです。
 新郎新婦が参列者の前にようやく出てくるのは,親戚一同と家の中でさまざまな儀式を終えてからなので,午後も随分過ぎた頃になります。
 2人が席に着くと,僧侶が聖なる“白い糸”を大きな輪にして,新郎,新婦2人の頭の上にふわりと巻きつけるのです。その“白い糸”を辿っていくと,その端は聖水の入った鉢に結びつけられ,さらにその先は僧侶が握っているのです。そして,このまま読経をするという手順になっているようです。
 この時の聖なる“白い糸”は,1本の糸を用いています。そして,参列者も2人がテーブルの上で握っている手首に,順番に白い糸を結びつけて,お祝いの言葉をかけるのです。
 「ねえ,式が終わって,新郎新婦にかけている糸はどうするの?」 と,私が一緒に参列した友人に聞くと,
 「新郎新婦が,それぞれの手首に巻いていてもよいし,昔は敷布団の中に縫い込んだりしていたらしい」
 と教えてくれました。

真夜中の大騒ぎ

 村中から二,三百人が参加しているようでしたが,式がいつはじまって,いつ終わったのかまったくわかりません。結婚式会場の家の庭先や道路には,何十ものテントが張られて,炎天下の暑さにも,不意の豪雨にも耐えられるようになっています。
 やがて,麺やスープ,もち米とおかずなどの料理が振舞われます。お酒も入り,村中が「無礼講状態」になりました。真夜中を過ぎても止まらないおしゃべりや笑い,大音響の音楽と踊り,大量の料理とお酒に私はくたくたです。
 「サヌック(楽しい)でしょ?」
 と聞かれますが,いつもながらの朝までのお祭り騒ぎには,ちょっと閉口です。
 古くからの伝統として引き継がれている結婚の儀式は,外国人から見ると,とても厳かな気持ちにさせてくれます。
 しかし,その後のお祭り騒ぎで,聖なる“白い糸”や僧侶の読経によるご利益が,どうも半減してしまうような気がするのです。どの国の結婚式も,だいたいそんなものなのでしょうか。

健康と幸福への祈り

 結婚式の時は,僧侶から“白い糸”をいただきますが,家に滞在した場合は,家の一番年長者である祖母によって,“白い糸”の儀式が行なわれています。年長者が祖父の場合もありますが,タイでは女性の方が長寿です。
 そして,家族やめったに見ない日本人がいると聞きつけ,見学に来た近所の人たちが見守る中で式ははじまります。
 友人の祖母の前で,姿勢を正して突っ立っていた私は,「かがんで」と,手を下に振っている友人の手の合図を見て,またやってしまったと反省するのでした。
 タイでは,年長者への敬意や礼儀をとても重んじています。ですから,年長者の頭を上から見下ろすような体勢というのは,礼儀知らずな行為になるのです。
 ぶつぶつと何かを唱えながら,“白い糸”を手首に巻きつけると,あっという間に式は終わってしまいます。しかし,健康と幸福を祈願してもらい,とてもありがたい気分になってくるのですから不思議です。

それでも,縁起が大切

 さて,聖なる“白い糸”は,3本縒り合わせた木綿糸なのですが,縁起物であるだけに厄介です。というのも,この糸をいつ手首から外してよいものやらわからないからです。
 「“白い糸”は,ふつう自然に切れるまでつけておくのよ」
 と言われたのですが,1週間もすると灰色に変色し,手首の周りに汚い紐がぶら下がっているといった具合になり,見た目にも不衛生です。ていねいに外してもよいと聞きましたが,何か自分に不幸があってはいけないと,それだけは止めることにしました。
 3本の糸は“三宝”を表わし,3の倍数で結んでもよいのですが,この時は,何と二重に巻いてあったのです。つまり,糸が6本です。結局,自然に切れるまで,いつもより長くかかり,真っ黒な紐を左手首に巻きつけたまま,3か月くらい自然に切れるのを待っているしかありませんでした。その真っ黒な紐を見るたびに,
 「私も,精霊を信じ,縁起を大切にするアジア人の1人なのだなあ」
 と,笑いがこみ上げてくるのでした。