医学界新聞

 

〔連載〕
かれらを
痴呆
呼ぶ前に
「ボディフィールだー」出口泰靖のフィールドノート
    その1
「ボディフィールだー」参上!?の巻
出口泰靖(ホームヘルパー2級/山梨県立女子短期大学助教授)


 皆さん,こんにちは。僕は「ボディフィールだー」の出口泰靖という者です。「ボディフィールだーって何者だー?」と思われる人が多いことでしょう。語呂的によく間違えられるのですが,「ボディビルダー」ではありません。「ハリケンジャー」や「アバレンジャー」のような戦隊ヒーローみたいにカッコいいものでもありません。
 皆さんは,「フィールドワーク」という,文化人類学や社会学で行なわれている調査研究のスタイルをご存じだと思います。その中でも「参与観察」といわれる調査研究方法というのは,実際の現地や現場に行ってそこで生活し日常を営んでいる人と行動や体験をともにしながら現地や現場で行なわれていることを記述し考察していくというものです。
 僕も大学院生の時期から,「痴呆性老人」と呼ばれる人々をケアする実践現場というフィールドに参与観察しはじめました。しかしながら,当初,漠然とした問題関心しか抱かずに一介のボランティアとして,「痴呆性老人」ケア実践現場に入った僕は,次第に自分が「フィールドワーカー」と名乗ることはおこがましいと感じるようになりました。
 というのは,僕がやっていたのは(大学に入った当時に憧れたような)調査対象を事細かく観察したり丹念に記述していくような「フィールドワーク」とは,性質的に大きく異なっていたからです。それは,沈着冷静な観察や状況の丹念な記述というよりも,フィールドで感じた驚きや興奮,異和感,嫌悪感や感動をそのまま記述することだったのです。
 それはすなわち,自分の身体(ボディ)に湧き起こってくるフィール(感触)の表出行為,「ボディフィールだー」だったのです。ボディフィールだーの「だー」は,アントニオ猪木さんのかけ合いのコトバ「いち,に,さん,だー!」の「だー」に似たようなものです。我ながら,なんといういい加減なコトバであることか,と思いますが。悩み,愚痴り,ウロウロ,ノロノロ,ボーッと自分の身体にかけめぐる感触,ボディ・フィールを道具として現場に参与する,それが「ボディフィールだー」です。

「呆けゆく自分」に気づいている?

 以下の場面は,そういう「ボディフィールだー」な僕が自分の身体感触を揺さぶられた出来事のうちのひとつです。僕がある特別養護老人ホーム内における痴呆性老人専用の居室において,そこで起居する人とやりとりしている場面です。

 昼食が終わると,利用者のお年寄りはお手洗いに向かう。トイレの入口で,Aさんが順番を待っているかのように,たたずんでいる。声をかけ,以前話してくれた息子さんの話を切り出す。Aさん「23歳で死んでしまったんですよ。子ども(Aさんにとっては孫)を残して」。この後,母親の目からしてみてもいい子だったと,息子さんのことを話してくれた。若くして亡くなった息子さんのことを思い出してか,涙ぐんでいた。Aさん「こんなこと,人に話すもんじゃあらへんと思うておりましたのに。こんなつまらないことをくどくどと」。
 (それから2,3時間たって)ソファーにAさんがいたので,声をかける。できれば,午前中の話の続きが聞ければ。話をしているとお互いにかみ合っていないことに気づく。どうやら,Aさんは,ここが病院だと思っているらしく,「もうこの病院では働けないよ」と言い出す。以前,看護師,あるいは調理場の仕事をしていたのだろうか。その理由を問いただしてみると,「脳病院(注:これは彼女の言い方)」に入院していた息子さんの首吊り自殺(死因は自殺だったのか!)をきっかけに,配膳し忘れるなど自分が呆けはじめたからと言うではないか。「もう続けられません」と僕を病院職員の1人と思ってか,こう訴える。

 フィールドワークをした当時の私は驚きを隠せませんでした。それはもちろん,午前には痴呆専用居室という「いま,ここ」の場所にいた彼女が午後には,内的世界の中──以前の勤め先の病院──にいることに対する驚きでもありました。しかし,このことに関しては,このフィールドにいるうちに,介護職員の対応方法を見よう見まねで学ぶうち,次第に“慣らされて”いきました。
 それよりも僕が驚いたのは,Aさん自身が自分が呆けはじめたことに「何らかの形で気づいている」ことです。しかも,その原因が(真偽はともかく)「息子さんの自殺」であると自分なりに考え,受けとめているのです。さらに,そのことをきっかけに,配膳の仕事を忘れるなど,自分が呆けはじめたことをハッキリと認識し,自覚しています。とはいっても,彼女は,私に語ってくれている「いま,ここ」の場所を(勤め先だった)病院だと思っているので,呆けはじめたことに気づいたということ自体,その当時の「再演」であるのかもしれません。
 しかしながら,彼女本人が病院という内的世界の中にいるとはいえ,「呆けゆくこと」に気づき,その原因を彼女なりに考え,仕事をし続けられないことに対して言い知れぬ不安を感じ,悲嘆に沈んでいることに僕の身体の感触は揺すぶられました。この出来事を「見当識障害」というふうに単に外側からの視点で病理的な側面でのみ捉え,「受容的,共感的」に彼女の内的世界を受け入れるだけで終わるには,僕の身体感触(ボディフィール)がおさまりきれなかったのです。

「呆けゆく人」とともに歩むフィールドワーク

 「痴呆」とされる人には,よく,何回も同じことを聞いてくる人がいらっしゃいます。そんな時,「極度のもの忘れ(記憶障害)のために,1回自分が聞いたこと自体も忘れてしまう」という解釈が一般的です。僕は,そうではあるかもしれないけれども,それだけじゃなくて,「『不安』だから何回も聞くのでは?」と考えたり,「いや『不安』のあらわれと捉えるよりむしろ,『不安』に対処して解消し,『安心』へ向かうための積極的で能動的な行為じゃないのか?」とアーでもないコーでもないと「痴呆」とされる人とやりとりしつつ自分の身体の感触を確かめながら考えたりしはじめるようになりました。
 そのうち,従来の「痴呆症」のみに焦点をあてて,「痴呆性老人」不在の痴呆研究に疑問を感じ,「痴呆性老人」の行動を,(変な言い方かもしれませんが)まるで野生動物公園の「保護観察官」のように観察することを前面に出すのではなく,「痴呆」とされる人の「生の声」を生き生きと記述することで,「呆けゆく」人本人を存在せしめるような痴呆研究ができないかと考えるようになりました。
 そして僕は,次第に「呆けゆく」体験をさぐる道を模索しはじめるようになったのです。それはつまり,一般に「痴呆性老人」と周囲から称される人々自身が,果たして「呆けゆくこと」という事態をどう体験しているのか,自らの心身の状態や周囲の対応をどのように感じ,受けとめ,向き合い,振る舞い,対処しているのか,それらを彼らとかかわりながら汲み取ろうとする作業です。
 さらに,そんなふうに彼らの体験世界を探ろうと,「呆けゆくこと」の床(かたわら)に臨み,「呆けゆく」人々と接するうちに,「僕はどう『呆けゆく』人と接したらよいのか?」といった,僕自身の彼らとのつきあい方が試されている,ということも現前の問題として突きつけられるようになりました。
 「呆けゆく人」と接すると最初,「『痴呆』とされる人はなんで○○なんだろ~」と戸惑い,うろたえ,時には相手に怒りを覚えたりします。しかし,そのうち「僕が“なんでだろ~”と思ってしまうのは“なんでだろ~”」と,そう思い,振る舞う自分の身体の感触を見つめ直さずをえなくなってくるのです。それはまた,自分が持つコミュニケーションの自明性,すなわち,普段何気なく当たり前にやりとりしていることの前提を見つめ直す作業であるかもしれません。
 さて,この連載では,このような「老人性痴呆」をめぐるケア現場に,僕がフィールドワークをしていく中で生じた素朴な疑問はもちろん,「呆けゆくこと」をめぐる現象について僕なりにさまざまに感じたことを読者の皆さんと一緒に考えていければ,と思っております。