医学界新聞

 

2003年ICN大会に参加して

勝原裕美子氏(兵庫県立看護大学助教授)


開催地の急遽変更

 今年のICN(The International Council of Nurses)は,開催地が1か月前になって,急にモロッコのマラケシュからジュネーブに変更になるという異例の決断のもとで開催された。
 今春以降,近隣国での地震や,カサブランカ(モロッコ)におけるテロなど天災・人災に見舞われたモロッコ看護協会としては苦渋の決断だったと推察される。モロッコとスイスでは物価差は何倍になるだろうか。参加する側にとってみれば,安全面を優先させた決断に安堵しながらも,出発前はホテルや航空便の変更に追われ,到着後は予想以上の物価高に面食らうといった事態が生じた。それでも,6月27日から29日までの3日間の会期中,特に大きな混乱もなくスケジュールが進行したことに,ICNとスイス看護協会の並々ならぬ努力が感じられた。
 受付では,SARSの症状を呈していないかどうかをチェックするための用紙が配布され,そこに自筆サインを求められた。その後でなければプログラムをもらえないという仕組みだった。多少の戸惑いを感じつつも,世界各国から人が集まってきているのだということをあらためて実感した。

EBNがメインテーマに

 さて,今回のメイン・テーマはBuilding Excellence through Evidence。エビデンスでもって看護の卓越さを構築しようという趣旨のこのテーマは,EBN(Evidence Based Nursing)やアウトカム・リサーチが重視されているこのところの看護界の流れに即したものだと言える。
 基調講演は,昨年JAMA誌にHospital Nurse Staffing and Patient Mortality, Nurse Burnout, and Job Dissatisfactionという衝撃的な論文を掲載したリンダ・エイケン(Linda H. Aiken)氏であった。Aiken氏は,膨大な数のデータを整理し,論文の中で,看護師が担当する患者の数が増えることで,その結果として患者の死亡率,看護師の燃え尽きる率,さらには看護師の職務不満足の度合いが高くなることを明らかにしている。ICNでのAiken氏の講演は,イギリス,カナダ,ドイツ,ニュージーランドで行なった調査でも同様の結果が出たというさらに衝撃的なものであった。
 各医療施設が死亡率に関するデータを蓄積し提供できるような仕組みになっているということに驚くと同時に,なんとか日本でも測定可能なアウトカムの出せる研究を行ない,それを使って政策に訴えていかなければならないと感じた。

「患者満足度」を問い直す

 レマン湖をすぐ目前に望むノガ・ヒルトンホテルの9つの会場では,ディベート,24のメインセッション,8つのワークショップ,それに口演発表とポスター発表とが繰り広げられた。2日目の朝に行なわれたディベートのテーマは,The Search for Quality Care: Does Patient Satisfaction Matter? ケアの質を議論するにあたって患者満足という視点は必要なのかという,これまで患者を尊重することが当然だと受け止めてきた看護職に対して,非常に挑戦的なテーマであった。アイスランドやジンバブエなど,異なる国から4人のディベーターが登場し,患者満足の視点を擁護する立場と不必要だとする立場とが交互に意見を交わした。
 擁護派は,医療は税金を投入した社会政策の一部なのだから,税金を支払っている国民(患者)を大事にするのは当然だと説く。また,もう1人のディベーターは,医療の質に関して著名なドナ・ベディアンを引用しつつ,医療の質を測定する際の妥当性は患者満足でみていく必要があると主張した。
 一方,反対派は,最近とみに「患者中心のケア」と言われるようになったが,結局のところ,コストの高い専門職を現場から遠ざけ,非専門職にその業務を代替させるというコスト削減の仕組みにほかならないと指摘。「患者中心」という言葉の危険性をアピールするとともに,本来の意味で用いられる患者満足という考え方は遠い過去の記憶であり,遺物に過ぎないのだと揶揄した。またもう1人は,資源が削減されている現在の環境下にあっては,いかに限られた資源を有効に使うかということこそがケアの質を意味するのであって,患者満足などは二の次だと真面目顔で述べた。
 論調としては,反対派の方が多少有利なような気もしたが,私を含め,多くの参加者は患者満足の視点を擁護する方により大きな拍手を響かせた。擁護派に軍配が上がったことに安堵したのは私だけではないだろう。

世界中で看護職が不足している!

 ワークショップにもいくつか参加した。特に印象的だったのは,The Power of Imageというワークショップ。ここでは,ジョンソン・アンド・ジョンソン社のPR部門にいる人が進行を務めていた。イメージやコミュニケーションに関する講義が手短になされた後,グループに分かれた。そして,それぞれのグループが掲げた看護に関するテーマをどう実現していくかというアクションプランを練り,報告し合った。
 おもしろいと思ったのは,「適当なグループに分かれましょう」と司会者が言ったとたんに,50人ほどいた会場から,まずアジア系の人たちの姿が消え,つられるように半分以上の人たちが出ていってしまったことだ。見知らぬ人たちと母国語ではない言語でグループワークを行なうのは,たしかに勇気がいる。しかし,せっかくの国際学会なのだ。一瞬,私も席を立ちかけたが留まることにした。
 残された20名弱の参加者は,アフリカ,ポルトガル,アイスランドの3つのグループに分かれた。私は,唯一のアジア人としてアフリカの人たちが集まるグループに参加し,「優秀なアフリカのナースをどうやって自国にとどめておくか」について計画を立てた。
 このワークショップで印象的だったのは,世界中で看護師不足が起きているという現状がよくわかったことだ。アフリカのナースはイギリスやオーストラリアなどに流れており,アイスランドのナースはアメリカなどに流れている。その結果,自国の医療において人材不足が生じ,医療を必要としている人たちにそれができないという深刻な問題が起きている。事の重大さが,1人ひとりの発言から強く感じられたワークショップであった。
 私自身は,Ethical Issues Among Nurse Executivesというテーマでポスター発表を行なった。ポスターは,会期中ずっと貼りっぱなしであったため,空いている時間にポスターのそばに立ち,足を止めてくださる人に話しかけて名刺を配った。日本で起きている管理者の倫理の問題が,イタリア,バハマ,ニュージーランド,クロアチアなど,さまざまな国においても共通することがわかり,必ず英文でこのテーマについての論文発表をしようと意を決した。

国と文化を越えた看護職の集い

 ICNは,純粋な学術学会というだけでなく,各国の民族衣装をまとった参加者がいたり,陽気な笑い声があちらこちらから聞こえたりしていて,どこかお祭り的な雰囲気がある。国を超え,異なる文化の人たちが集まっているにもかかわらず,同じ看護師であるという意識が,相手のことを知りたい,わかりたいという関心につながり,3つの公式言語(英語,仏語,スペイン語)を通してひとつになっていく。そんな自然な連帯とケアが,会場中にあふれている。
 最終日の閉会式では,各国の代表がアルファベット順に入場してくる。それぞれの国のナースが自国の代表に強烈な支持のエールを送るのは当然だが,今回はモロッコ看護協会の代表に,どこよりも大きく温かなエールが送られたことは言うまでもない。まさに連帯とケアが最高に感じられた瞬間だった。