医学界新聞

 

【シリーズ】

この先生に会いたい!!


山本直樹さん(東京医科歯科大学医学部3年),
五味晴美氏(米国内科,感染症科専門医)に聞く


<なぜ五味先生に会いたいのか?>

 感染症の勉強会の準備でいろいろ調べていると,五味晴美先生のお名前を何度も目にしました。日本では感染症科が広く確立しているとは言いにくいですが,五味先生は感染症学に熱い情熱を持ちながら米国と日本で活躍されています。また感染症メーリングリストで活発に発言されている姿や医学教育への熱い思いを知り,とても魅力的に感じました。感染症とその魅力や今抱えている問題点と,それぞれの国の医療について,直接お話を伺ってみたいと思います。

(山本直樹)   


一度の米国訪問が人生を変えた

山本 五味先生の医学生時代とは?
五味 ごく平均的な医学生でしたが,夏休みを利用してアメリカへ英語の勉強をしに行ったことが,人生の転機となりました。NHKの英会話のラジオ番組を聴いていて,本物の外国人と話してみたいと,いつも思っていたのですが,たまたま大学2年生の夏休みに4週間ほど行く機会ができたのです。
 これは,アメリカのいい面を経験できる滞在でした。ホストファミリーの方も,日本のことをよく知っていて,非常によくしていただきました。それで最終的には,ちょっと外国に住んでみたいと思うようになったのです。さらに翌年,イギリスに滞在して同じように英語の勉強をしたのですが,場所がヨーロッパですので,学生はさまざまな国から集まってきていました。14年経った今でも親友であり,当時特に仲良くなったあるイタリア人は,言葉を3つも4つも平気で話すのです。それを知った私は非常に刺激を受けたというか,彼女との出会いで,世界につながる仕事がしたいと強く思うようになったんです。それが,後にまたアメリカへ行くことにつながったわけです。
山本 語学的なモチベーションが人生の転機につながったのですね。
五味 ええ。語学の興味から海外へ出たのですが,それによって日本では見えなかった世界が視界に入ってくるようになって,よりグローバルな視点が自分のなかにできたというところがあります。イギリスに行ったのは大学3年生の時でしたが,その時点から本気でアメリカへ行くことを考えはじめました。

米国臨床留学への道

山本 どのようにしてアメリカ留学を準備したのですか?
五味 まず,アメリカで臨床研修をするためには,USMLE(米国医師国家試験)という試験を受けなければいけないということがわかりましたので,その勉強をはじめました。しかし,その試験をパスしても,実際に研修医として採用されるのは非常に難しいという話も聞いていました。そこで,「さあ,どうするか」と考えていた6年生の時に,横須賀の米海軍病院へ1週間エクスターンというかたちで行ったのです。それがきっかけとなり,研修先としては沖縄米海軍病院へ行きました。
山本 卒後,すぐに渡米することは考えなかったのですか。
五味 現実問題として,まず試験に通らないといけません。しかし,学生時代にそれに合格するところまでは到達できなかったのです。大学を卒業して米軍の病院にいって,そこで初めてアメリカの医療というものに接したわけですが,そのことによって勉強も進むようになりました。一緒にいる仲間が同じような夢を持っていたので,モチベーションもあがり,その時に,試験を受けてUSMLEに合格することができました。
 米海軍病院での1年間のインターン後,日本の病院で内科研修を1年間しました。米海軍病院の限界といいますか……,米海軍病院ですので,基本的には軍人さんとその家族などの“健康な人”がいるところであって,本当に重症の患者さんを診ようとするなら日本の病院へ行かなければ十分な研修ができなかったからです。そして,卒後3年目の95年に,東京海上メディカルサービスの西元慶治先生が1991年から作られたN-プログラム(アメリカ臨床医学留学プログラム)に採用され,アメリカへ渡りました。ニューヨークのベス・イスラエル・メディカルセンターの内科研修医になったのです。
 最初の半年ぐらいは言葉のハンディがありました。「アメリカの常識」と「日本の常識」が明らかに違うということを認識するのに時間がかかり,つらい思いもしました。ただ,そのつらさというのは,自分で選んだものだと思っていました。そして,与えられた環境が,文化や言葉の難しさを克服をしながら,思う存分臨床研修に没頭できる学習の場であったので,気持ちとしては非常に充実していました。
山本 日米の常識の違いとは?
五味 例えばコミュニケーションの仕方で,日本ですと以心伝心といいますか,言わなくてもある程度わかってくれるということがあります。アメリカでは1から10まで言わないと相手には伝わらない。今となってはあたりまえのことなんですけれども,そういうことを自分で認識して表現できるようになるまでに時間がかかりました。仕事上も,日本でなら意思疎通について困らないようなことを,ある時には文章にしてまでやらないと伝わらないというような難しさがありました。

レジデンシーからフェローシップへ

山本 その後,感染症の専門に進まれたのはなぜですか?
五味 米国のレジデンシーでは,システム的に1年目,2年目,3年目と上がるごとに,自分自身の成長を実感しながらトレーニングができました。どちらかというと,下っ端の頃は肉体労働的な仕事が多く,カルテを書いたり,必要があれば検査のための採血をしたりするのですが,学年が上がるにつれそういう肉体労働から解放されて頭脳労働に変わっていくのです。例えば,1年目だと採血するようなことに時間を取られていた分,学年が上がると治療方針を決める責任が出てきますので文献を調べたりすることに時間をまわせるようになります。自分が調べているあいだに,1年目の研修医が処置をしたりするわけです。
 そして,学年が上がるごとに内科の中のさまざまな専門科を回れる時間が多くなります。私は当時,感染症科か血液科か迷っていたのですが,学生時代から「世界とつながる仕事がしたい」という思いがあり,国際医療や国際医療協力に興味があったので感染症科を選びました。レジデント2年目の時に感染症の専門研修(フェローシップ)への応募をはじめ,全米から約70ぐらいの申込用紙を取り寄せて,実際に35の施設に応募しました。そのうち22校ぐらいから面接に呼んでいただき,私は西海岸から南部,そして自分が住んでいたニューヨーク周辺まで,片っ端からインタビューを受けに行きました。最終的に,研修先に決定したのは,テキサス大ヒューストン校というところでした。「旅行者下痢症」で世界的権威の先生がいて,国際医療に近く,しかもその先生はいろいろな発展途上国に研究のフィールドを持っている人だったのです。幸いなことにスクール・オブ・パブリックヘルス(公衆衛生大学院)もあり,学ぶにはよい環境でした。

感染症科という領域を日本でどう確立するか?

山本 感染症科医という仕事の魅力についてお話しください。
五味 感染症科というのはそのベースに微生物学(Microbiology)というサイエンスがあって,他の科以上に基礎的な知識と臨床的な知識が融合しやすい,あるいは,その両方の知識があると相乗効果が生まれやすいのです。ここが非常におもしろいところです。基礎と臨床の両方を知っていることによるメリットが非常に大きい科だということです。
山本 しかし,日本の多くの学生は十分に勉強ができていないように思います。
五味 いちばんの問題点は,日本の今の医学部には,感染症科を標榜している大学がきわめてすくないということです。医局講座制という明治時代から続いている縦割り制度の中で,感染症科はなかなか育たなかったのです。全科共通で,横のつながりを必要とする感染症科が十分に発展しなかった根底には,教育システムと日本の専門性の枠といいますか,各科の垣根の高さの問題があるのではないかと思います。
山本 すると,感染症をどのように勉強するのが望ましいでしょうか。
五味 これはすごく難しい問題だと思うんです(笑)。
 学生時代に基礎の微生物学は学ぶと思うのですが,「基礎の微生物学」と「臨床の感染症科」とは,当然共有する領域はありますが,専門性としてはやはり別のものなんです。できれば,その両方をわかる人が学生に教えてあげられるとよいのですが,なかなかそのような機会はないのが現実です。私も,そのことはいやというほどわかっていますので,勉強したいという学生さんや研修医の方に,必要な情報をどうやって流すかということをよく考えます。
 今,行なっているのは,感染症科のメーリングリストです。できる範囲で特に臨床の感染症科に関する情報を発信,共有するようにしています。実は,昨年9月にアメリカで最も大きな感染症関連の学会がありました。その時,アメリカで感染症科のトレーニングを受けた,あるいは現在受けている日本人の医師が5人ぐらい集まりました。これはめったにないことです。皆さん全米に散らばっていますから。そこで,日本では感染症科というのがあまり認識されていないので,私たちだけでも連絡を取って交流を図りましょうという話になったのです。それで,このメンバーを中心にメーリングリストを立ち上げたのですが,現在はそれをもっと拡大して,この分野に興味のある方や,日本で活躍されている方たちにも入っていただいています。現在,200名を越えています。もちろん,医療関連の学生さんも大歓迎です。
*メーリングリスト「日本の感染症科をつくる会」……参加ご希望の方は,五味晴美氏(
hgomi-oky@umin.ac.jp)まで。現在の主な参加者は,医療従事者,医療関連学生。

パブリックヘルスの重要性

山本 ところで,五味先生は先日までジョンズホプキンス大学のスクール・オブ・パブリックヘルスに行かれていましたね。なぜですか?
五味 「Medicine:医学」とは「個人を治療する」ことに全力をあげるわけです。一方,「Public Health:公衆衛生」は個人ではなく「集団を治療する」わけです。ですから,基本的にその視点とアプローチの仕方は違うのですが,例えば,国全体を視野にいれて何かの仕事をしようとすると,public healthの知識というのは必須です。医学だけではカバーしきれない視点とその方法をそこで学ぶことができます。
 また,臨床医学をするにあたっても,例えばEBM(Evidence-Based Medicine)のようにサイエンスに基づいた医療を提供しようとすると,雑誌などで,ピアレビューといいますが,第3者がすでに評価した論文を読む時にも,疫学や統計の知識があったほうが,より内容を深く理解することができます。また,それだけでなく「批判的吟味(critical appraisal)」といいますが,現在は論文をいかにクリティカルに読むかということが非常に重要になっていますので,そういう技術を身につけるのにも,疫学や統計の知識は必須と言えます。

新しい仕事への挑戦
指導医として米国医療を見てみたい

山本 今後はどのようなことに取り組まれる予定ですか?
五味 私が大学院で主に学んだのは疫学や統計にプラスして,「米国の大学院では,どうやって教えているのか」ということです。つまり,そこで行なわれているティーチングのあり方を見たかったので,大学院のフルタイムの学生になったわけです。いま私は,卒業してから10年が経ちました。今度は,自分が学ぶのではなくて,自分がこれまで学んだことをいかに還元するかを考えはじめているのです。還元の方法はいろいろありますけれども,例えばティーチングというかたちで還元することに非常に興味があります。
 今年の10月から南イリノイ大学の医学部でスタッフとして働くことになっています。アメリカの大学とは,教育と研究と臨床の3つをやりたいという人が行くところですが,私がそこに行こうと思ったのは,自分自身でティーチングの経験を積みたいということがあったからです。
 以前まで,自分は研修医という立場でアメリカの医療に接していましたが,今度は,アテンディング(指導医)として,自分に全責任がかかってくる立場でアメリカ医療を見てみたいと思っています。研修医ですと最終責任は上に立つ指導医が取りますから,例えば医療過誤があっても,レジデントやインターンが訴えられるということは例外を除き,稀です。そういう重圧がない状況で研修医は研修に没頭できるわけですが,上の立場になると話がまったく違ってきます。病院の経営の問題などにも直面しなければならなくなるでしょう。そういうものも見てみたいと思っています。
 でも,アメリカに住んでも日本の医療というか,母国を改善するという視点は失いません。もともとは国際協力をやりたくて入った道ですが,逆説的にも,いま自分が最も力を注がないといけないと思っているのは,発展途上国ではなくて日本なのです。
山本 日本の感染症医療は変われるでしょうか?
五味 少なくとも追い風が吹いています。意識の高い先生方が,それぞれの場所で努力されていますし,本当に「これから」というところにあると思います。

医学生へのアドバイス

山本 最後に,私たち医学生にひと言お願いします。
五味 いま医学を学んでいる方にぜひ伝えたいのは,「情報をどこから得るのか」ということにフォーカスを絞ってほしいということです。自分より年上の人が言う言葉を鵜呑みにして情報を得るのではなくて,まず「何が問題で」,「その問題に対する回答をどこから取ってくるのか」,「得た情報をどう評価するのか」,「情報をどう利用するのか」,つまり,「問題認識」,「情報の収集」,「情報の解釈と評価」,「情報の応用」という思考訓練をしていただきたいと思います。そうすると,自ずといろいろな道が開けてくると思います。そのような意味でも,やはりグローバルな視点を持つことは大切です。日本以外の医療を見るというのは,医師としてやっていくうえで必ずプラスになります。日本の医療が,自分の常識の全部になっていくのではなくて,客観的・批判的な視点を自らの中に持つためにも,短期間で構わないので,外に出てみて,そして改めて日本を見ていただきたいと思います。
山本 本日は,貴重なお話をありがとうございました。




 五味晴美氏
1993年岡山大学医学部卒。沖縄米海軍病院インターン,岡山赤十字病院内科研修医を経て,95年-98年NYのベス・イスラエル・メディカルセンター内科レジデント,98-2000年テキサス大学医学部ヒューストン校感染症科フェロー。その間に,ロンドン大学衛生熱帯医学校にて熱帯医学修得。帰国後,日本医師会総合政策研究機構主任研究員を経て,02-03年,ジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生大学院(MPH取得)。現在,再び,日本医師会総合政策研究機構客員研究員。本年10月より南イリノイ大医学部感染症科に赴任予定。米国内科,感染症科専門医。





山本直樹さん
東京医科歯科大学医学部3年生。友人とIcube(昨年度代表),医療経営勉強会を立ち上げた。IFMSA-JapanのOfficialsと医学教育委員会で活動中。今春から『医学の歩き方』を堀之内秀仁氏(鹿児島大卒)より引き継ぎMed-Pearls Sharing Projectのメンバーと協力しながらホームページ運営。趣味は広く音楽,基礎医学研究にも興味を感じている。東京医科歯科大学公衆衛生予防医学研究会所属。