医学界新聞

 

連載
現地レポート

    世界の医学教育

  韓国編

柳 正国(リュ ジョングック) 高麗大学医科大学卒
翻訳=姜 星運(カン ソンウン)


日本と似た韓国のカリキュラム

 私は1995年3月,長年夢見ていた医科大学に合格,高麗大学医科大学に入学しました。知人から聞いたように,韓国の医科大学の教育課程は日本とほとんど変わらなく,前期2年間は予備課程として一般の大学生のように教養科目および医師として学ぶべく基礎素養科目を受講することになります。その後3年目(韓国では本科という)からは教養課程における所定の単位を取得したものに限って,同じキャンパス(同大学ソウルキャンパス)ではあるものの,医科大学専用の建物に全員移り,4年間英語原書との戦いが始まりました。勉強の量も相当であり,また,いわゆる「よい専門」へ進むための内部での競争も厳しいので本科課程での4年間は,サークル活動を含む一切の課外活動は事実上不可能だったと覚えています。
 本科4年間(3年生-6年生)の授業内容も私が聞いたとおりだと,日本の皆さんとほとんどど変わらないといえるでしょう。韓国の医科大学の場合,普通本科3年生(日本の5年生)から附属病院にて実習授業に参加します。医師とともに診療室に入って患者を診療する姿を観察したり,また入院患者を何人か担当してその患者の病歴を聞くか,医者の指示によって患部を直接触ることなどを経験します。そしてこのような実習をもとに,患者に対する報告書を作成して,教授に提出して単位をもらう方式の授業も行なわれます。

■医師の粗製濫造,医療費上昇などが問題に

医科大学の定員削減策

 韓国の場合は日本と違って,医科大学専門のカレッジがほとんど設けられず,総合大学(ユニバーシティ)に附属する1つのカレッジとして設けられている形をとっており,多くの新設大学は医科大学を保有しているかどうかによってその大学全体のレベルが評価される韓国社会の雰囲気を反映して,ここ10年間競って医科大学を設立してきました。
 ところが,私が在籍した高麗大学のように伝統が長く,十分な設備の附属病院を多数保有している医科大学生の場合は,附属病院で前述したような授業や実習を終えてから医師資格国家試験を受験できますが,そうではない一部の新設された医科大学の学生の場合,十分な実習もないまま,国家試験を受験している現実も多発しており,一時期,大きな問題になったこともありました。
 このような理由で韓国政府は2002年8月,一部不実な医学教育によるいわゆる「資質のない医師」が量産される可能性に注目し,「医学教育の質が顕著に落ちつつあるので……」という名分を掲げて医科大学の定員を10%減らすと発表しました。
 現在韓国全国の医科大学の数は41にのぼっています。しかし,所得増大によって日々拡大する医療サービスへのニーズにこたえるために,ここ10年間格段に増えた医科大学の設立に,医療装備および教授マンパワーが追いつかないという現象があったのは,恥ずかしい事実でありました。
 特に1993年以降新設された9つの医科大学でこのような現象が現れているようです。わずか数か所を除く新設医科大学はほとんど教授定員を満たしていないうえに,大学附属病院すら保有していなくて,他の大学に実習を委託している場合もあるそうです。

変わらぬ「3時間待機3分治療」

 ところが,このような「現実」を打破するための韓国政府の政策について,これに反対する側と政府側との激しい対立がありました。前述したように,政府側は毎年全国の41医科大学から医療市場に新規進入する速度が非常に速くて,医者の過剰供給を恐れて定員を10%減らすと主張しました。
 しかし,国民たちが直接感じる「体感医者数」は相変わらず少ないうえに,いわゆる「3時間待機3分治療」(患者が医者に診療をうけるまで3時間待機し,わずか3分間の診療ですむという現象を風刺)現象も依然変わっていなかったので,この政策案は今年全面的に実施されていません。
 保健福祉部(日本の厚生省に値する)の資料によると,2002年3月現在,韓国の総医師数は7万4996人で,このうち全国の病院および保健所にて実際診療活動を行なっている医師数は6万1918人だそうです。「活動医師数」の場合は,人口10万人当たり130人程度(非活動医師まで含むと156人)で,OECDが提示している150人に及んでいない現状です(フランス298人,アメリカ268人,日本189人)。

韓国政府の主張の核心

 しかし,90年代後半新設された医科大学から最近爆発的な数の医師が輩出されているので,人口10万人当たりの活動医師数は2007年に150人を超え,2012年には174人まで増加する見込みです。ここに韓国特有の制度である韓方医師(全国の韓国伝統医学を教える医学大学から排出される国家資格の医師で,韓国での地位は西洋医学とほぼ変わらないほど1つの医学領域として定着している)まで含むとすれば,人口10万人当たりの活動医師数は2007年に184人,2012年に206人まで増えると予測されます。
 日本を含むあらゆる先進国がすでに経験したように,医師の数が「適正線」を越えると医師が過剰診療や非保険診療などを通じて新たな需要を創出するので,医療費の上昇が懸念されるというのが政府側の主張の核心であります。最近韓国で整形外科や皮膚美容,視力矯正手術分野などが急成長をみせているのも,医師たちが自ら収益性の高い,新たな需要を創出したからだという主張と一脈相通じることでしょう。このような「供給者が多くなればなるほど,競争が厳しくなって全体価額は下がる」という経済法則に反する医療界だけの現実は,この30年間アメリカやヨーロッパ地域ですでに立証されたことであるし,実際欧米では医師の数を減らすために努力している前例と変わらないことかもしれません。このようなことを医科大学自ら認識したせいか,2004年度の入試からは医科専門大学院制度を導入する大学が格段に増えて,新入生を募集しない大学が多くなったため,全体的にはおよそ500人程度の定員を減らす効果が期待されているようです。

■自らの「医師」としての姿を問いたくなる

稼げる専門に研修医の希望が殺到

 日本でも同様かもしれませんが,韓国では医科大学生も本科4年生(6年生)になると,まず悩むことが専門を決めることです。それはいわゆる「稼げる」専門には研修医の希望者が殺到しますが,投入する努力に比べて,労働環境が厳しく,相対的に稼げない分野には,むしろ病院側が希望者を探しに回るという現象があるのも,恥ずかしながら,今日の韓国の医科教育の現実であります。
 実際私の周りにも,卒業成績が上位の学生が,伝統的に内科に志願するルールを破って,眼科,整形外科,耳鼻咽喉科などの「個人病院の開院可能性が高い」専門を志願することがありました。特に2002年度に実施された「医薬分業システム」が始まって以来,個人病院の開院可能性がゼロに等しいと言われる胸部外科,診断放射線科や臨床病理科などの専門を選択する人は非常に少ない状況であると聞いています。労働環境が厳しいながらも収入は少ないといわれていて,いわゆる「3D(dirty,difficult,dangerous)科」といわれる一般外科,産婦人科,小児科も事情は変わらないようです。

変わりつつある医学生の感じ方

 ひと言でいうと,「患者」の代わりに「顧客」,「医術」の代わりに「経営」という表現をもっと自然に感じているのが今の韓国の医科大学生の姿かもしれません。毎日病院の広報や経営コンサルティングを代行する会社が設立されているし,開院した医師の病院間のM&A事例も格段に増えています。最近では韓国屈指の財閥グループまで医療市場に参戦し,莫大な資金力を利用して優秀な医者を雇用していわゆる「ブランド・クリニック・タウン」を造成するという野心満々な計画も登場しています。
 もちろんこれから本格的に開放される予定の韓国の医療市場において,巨大な外国資本に対抗するための事前準備という側面からみると,医師の経営マインドを必ずしも悪く評価することはできないという見方もあります。

自分の原点を振り返らせる「パッチ・アダムス」

 私が5年生だった時のことです。友人とともに若い医者たちが作る新聞の「青年医者」が主催するある映画の試写会に参加したことがあります。映画のタイトルは「パッチ・アダムス」。試写会の前に同新聞の編集局長が舞台の上に立って述べた「今の時代における正しい医師の姿に対してともに考えてみる機会になることを祈ります」というスピーチを今でも鮮明に覚えています。
 灯りが消えて映画が始まりました。私を含む医科大学生たちは主人公を演じるロビン・ウイリアムズの素晴らしい演技に拍手をしながら笑ったり,泣いたりしました。ある看護師が研修医に向かって,「もう1人の上司になりそうだね(Another future boss)」と言いながら皮肉る場面,研修医たちが患者を前にして診断を「実習」する場面では皆息を潜めました。主人公が死んでいく癌患者の横を見守る場面では,皆ハンカチを出したりもしました。ところが,その感動は映画が終わった途端,まるでウソのように消えてしまいました。「討論会に参加してください」という主催側の熱い要請を後にして,500人あまりの学生のうち,半分以上の人がその場を去ったのです。
 あれから3年が経ち,私はソウル近くの病院で将来開院が有力視される人気専門の1つである耳鼻咽喉科の研修医として勤めています。毎日が溢れこむ患者や足りない睡眠との戦いです。もしかしたら将来つかめることが期待される経済的な補償を目当てにして,毎日を笑いながら耐えているかもしれません。このような私に,病院と医師の非情さを叱って,医科大学時代を振り向かせる映画が「パッチ・アダムス」です。
 医科大学の実習のシーン。教授が患者に病気の具合を聞きます。突然,後ろから誰かが「あなたのお名前は何ですか」と聞き出します。それは医科大学生のパッチ・アダムスの声でした。彼は病気を「診」るより,病気を病む人間を「見」なければならないという信念の持ち主でした。
 今の私は医者としてどのような姿でしょうか。そして日本の皆さんの姿はどのような姿ですか。



柳 正国氏
1975年,釜山生まれ。2001年,韓国私立名門の高麗大学医科大学を卒業後,同年よりソウル近郊の仁川市に位置する大手総合病院である「ギル病院」にて研修医として勤めている。研修医終了後,懲役によって軍医師(将校)として入隊する予定。


《第1回 ドイツ編(堀籠晶子)》
《第2回 ロシア編(匿名)》
《第3回 イギリス編(馬場 恵)》