医学界新聞

 

連載(40)  心に残ったできごと……(3)

いまアジアでは-看護職がみたアジア

近藤麻里(兵庫県立看護大・国際地域看護)

E-mail:mari-k@dg7.so-net.ne.jp    


2533号よりつづく

【第40回】人道援助活動の意味

話すことのできない活動

 災害や紛争への緊急救援活動に参加したことのある方は,その時を振り返ることが非常に苦しく感じたり,あるいは深く自分独りの胸だけに秘めていることがあると思うのです。それは,外国でとか日本でという場所には関係なくです。
 私も人に話せないと感じていることが多くあります。なぜ,話すことができないのでしょうか。活動を振り返り,次の活動に教訓を生かすことがどれほど重要であるかわかっています。わかっていても,話せないとはどういうことなのでしょうか。心の中で封印されている扉は固く,すぐに開けることはできそうにありません。

冷たい返事

 1999年のコソボ自治州で,私はコーディネータとして医療支援活動を行なっていました。そしてある時期,毎日2,3か所の診療所を巡回して話を聞いたり,必要物品を準備したりしていたのです。
 そこで1か月ほど一緒に活動していた診療所の現地医師と看護師が,いつものように休憩時間に紅茶を入れてくれながら,ゆっくりと話し始めました。
 「明日は大きな葬儀があります。虐殺された人たち,約100名くらいの葬儀が行なわれる予定です。だからその時に,精神安定剤の注射薬が必要になるのです」
 診療所で使用される薬については,必須薬品リストに基づいて国連から予算を取り,すでにコソボ全域に対して配給しているNGO団体がありました。
 そこで私は,
 「薬を配給している団体に対して,その薬品があるかどうか,まずは確認してみてはどうでしょうか」
 と答えたのです。今思い出しても,何だかとても冷たい返事のように感じます。毎日の仕事は深夜まで山積みですし,予算も十分ではありませんでしたが,薬を買うことはすぐに可能でした。
 しかし,実は少し前に次のようなことが起きていたのです。食料の小麦や油を,コソボ全域に対して国連機関が平等に配給しているのに,ある団体が一部の村や地域に対して,自分たちの“縄張り”よろしく継続的に食糧を配給したために,二重に受け取りになる地域への食糧配給が,一時ストップされることがありました。
 診療所のスタッフもこれを思い出したのでしょう,私の提案に同意している様子だったのです。

何が正しい決断なのか

 私の中では,配給ストップも困るけれども,何かを要求するといつでもすぐにOKの返事がもらえると思ってもらっては困るという考えもあったのです。
 その日の夜10時頃に,二人の医師が事務所まで訪ねてきました。
 「診療を終えてから,あちこちに薬購入について聞いて回ったが,やはり駄目だった。どうにか手に入れられないだろうか」
 薬を配給している団体も,臨機応変に対応しているが,あまりにも早急なので無理だったようです。
 翌朝,すぐに薬を用意しました。診療所のスタッフたちが,連日の活動によりすでに体力の限界にきていることはわかっているはずでした。夜になって疲れ切った表情で事務所を訪ねてきた2人には,本当に申し訳なく,心から詫びたい気持ちでいっぱいになりました。
 「いつもお世話になっているし,小さな団体だから予算も大変だろうと思っていた」と診療所のスタッフたちは,こちらのことを心から心配してくれていたのです。どのような過酷な状況に置かれていても,人間は正直な気持ちのままで生きていられるのだと,彼らは教えてくれたのでした。
 緊急を要する現場では,独りで決断しなければならないことが非常に多くあります。現地スタッフと相談したり,協議して決めることであっても,日本側との調整もありますから,責任はやはり重くのしかかります。その決断が,何を根拠に(いえいえ,即断ですから,直感と言ってもよいかもしれません)なされたのか,すべてを説明することができるでしょうか。私は,「最大限の努力はしたつもりです」という言葉以外に,すべての活動が正しいなどと主張する根拠をもっていないのです。

利用されやすい「人道援助活動」

 ある人が,「ここでの活動を後から評価するのは,日本にいて現場を見ていない人たちだろうと思う。でもその評価に不満を感じるのは,今ここにいる自分たちに,現場がちゃんと見えないからだ」と言っていました。
 現場で活動することで,よく見えることと,かえって見え難くなることがあり,活動後に独りで冷静になってみると,「これは話せないなあ」と思うことや,歪曲して伝えてしまうことが起きるのだろうと思うのです。
 最近の世界情勢の中で,復興支援の名のもとに,「人道援助活動」が世界規模の経済政策に利用されていると感じているのは私だけではないはずです。人道援助活動が,戦争とワンセットで語られる現在,ますますこのような救援活動について話すことのできない人々が増えるのではないかと思うのです。