医学界新聞

 

新春随想
2003


「メディカルイラストレーション」ノスゝメ

馬場元毅(東埼玉総合病院医長・脳神経外科)




 私は脳神経外科医であり,日常臨床の中で外来診療とともに脳神経外科の手術も行なっている。脳神経外科の手術は他科の手術に比べ,きわめて長い時間を要するものが多いが,その理由は,開頭に時間がかかり,特に頭蓋底外科と呼ばれるような手術(例えば,後頭蓋窩の腫瘍・脳動脈瘤など)では極端な場合には開頭だけで4時間以上を要し,その後,ようやく目的の手術操作を開始するために,総手術時間が10時間を超えることもしばしばある。
 しかし,これくらいのことでは大抵の脳神経外科医は疲れも感じない。大変なのは,手術記録の記載である。10時間以上かかった手術の記録であるから簡単にはいかないのである。私は手術記録を原則的に手術後2日以内に記載することを実践してきたし,若い先生方にもそうすることを強要してきた。その理由は,手術記録を記載することでその時の手術操作を振り返り,反省点や工夫した点,また解剖学的構造がまだその期間であれば思い出すことができるからである。
 私は,手術記録にイラストを最低2-3コマ記載している。それも色鉛筆を用いてカラーで描くことを心がけている。手術記録に本文とイラストを含めて記載すると,最低でも2時間は容易に費やしてしまい,時には3時間以上かかることも稀ではない。幸いなことに私はイラストを描くことが好きで,しかもこれまでも数冊の脳神経外科手術書のイラストレーションを担当してきた。そういうわけで,イラストを含めた手術記録の記載は,他の医師に比べれば早いほうである。またたとえ3時間かかったとしても苦痛ではない。問題は,イラストを描くことが苦手の医師の場合である。これまで見てきた多くの医師は,苦労しながらでも2-3コマのイラストを描いて手術記録を記載していたが,中にはどうしても描くのが嫌で,ボールペン一色で簡単なイラストを描くだけですませる人もいた。
 ところが最近,私たちの周辺でもパソコンが浸透してきて,ハードもソフトも進歩してくると,パソコンを使ってイラストを描いたり,術中ビデオからポイントとなる術野を静止画面として取り込み,カラープリントして手術記録に貼り付ける,という手段をとる医師が増えてきた。イラストの苦手な医師の大半は,彼らにとっての難局をこの方法で乗り越えるようになった。しかも所用時間は慣れてくると1時間以内ですむという。こうなると,今まで数時間を掛けて手書きイラストで手術記録を記載していた医師までもが「何となく格好よい」とか,「簡単だ」とかいう理由でパソコン派に切り替わる傾向すら見えてきた。手書きイラスト派は今や,時代遅れの骨董派となりつつあるのである。

なぜ今手書きイラストか

 ここで私は手書きイラストを,なぜ数時間掛けても描かねばならないか,を簡単に述べたい。それは1つは自分のため,もう1つはその手術を参照しようとする他医のためである。自分のためというのは,イラストを描くことにより,自分が行なった手術の復習になり,そこから反省も工夫も生まれるというわけである。ビデオから取り込む作業は,おそらくポイントの箇所まで早送りにして,その部だけを静止して取り込むのであるが,これでは復習にもならず,反省や工夫も生まれてこない。また,手書きイラストなら,これを描く時に術野を頭の中に思い出しながら描くことで,おのずと解剖学的に正確な情景を描写することができる(このためにも術後,可能な限り早く描くことが求められる)。そして手術記録を参照しようとした他医は,イラストを見ると容易に解剖学的な理解を深めることができ,その医師の教育に役立つと思うのである。ビデオから取り込んだ写真では平面的であったり,背景の焦点があいまいだったり,あるいは術野全体を1画面に収めることができなかったりして,他医の理解を得るのは難しいと思う。
 一昨年(平成13年)に私は,医学書院から拙著『絵でみる脳と神経』の改訂版を上梓させていただいた。この本は本来,看護師のためのものだったが,実際には看護師のみならず,若い医師(研修医),理学療法士も愛読してくださっているという。それらの人に,購入した理由を聞くと,異口同音に「絵が多くてわかりやすいから」と答えてくれる。なるほど,絵が多いとわかりやすいのか,と,今さらながら思うのである。図やイラストは,文章で表現しきれない筆者の気持ちまでもきちんと読者に伝えてくれる。手術記録のイラストも,自分だけでなく他医にも,一目してどのような手術が行なわれたのかを伝える大切な手段になっていると思うと,決して片手間に描くことはできないのである。苦手意識を克服するには時間をかけて描く訓練をしなければならないが,これを克服すると描くことは楽しい作業となるのは請け合いである。


本物へのあこがれ

林 章敏(日本バプテスト病院ホスピス医長)




 人間には本物を見る目がある。目でものの重さを感じ,中身や技術を推察することが可能な時がある。なぜそのようなことが可能なのだろうか。
 本物の特徴は「統一性」,「独自性」,そして「丸み」だと思う。それを目にとらえることで,本物を認めることができるのではないだろうか。
 本物にはいつでも,どこを,どこから見ても共通した統一性がある。それでいて,同じものの繰り返しではない,他には模倣することのできない独自性を備えている。その2つを兼ね備えたものからは,丸みを感じることができる。いや,丸くなることができると言ったほうが適切かもしれない。
 一枚板と合板(化粧板)を比較してみたい。一枚板は,どこを切っても削っても木目の統一性,独自性がある。そのため,角を取り丸く仕上げることができる。また,そこにぬくもりを感じることもできる。長く使えば使うほど色やつやが出て,角もとれ,より深い味わいをかもし出す。一方,合板の場合,表面をきれいに仕上げてはいるものの,ひとたび切ったり削ったりすると,表面とは異なった素材の荒さ,統一性のなさが見受けられる。また表面をみても同じパターンの繰り返しなどから,合板等であることがすぐにわかってしまう。長く使うと,しだいにぼろが出始める。丸くするには新たなつぎあてが必要である。
 この人はすごいな,と感じることがある。その人を見ていると,先ほど述べた本物の特徴がよくあてはまる。いつ,どこでもすばらしい才能と人柄を感じ,誰にもまねできない「その人ならでは」をかもし出し,成熟した丸みを感じることができる。
 癒しや,優しさが流行り言葉のように求められることが多い。
 しかし,その癒しや優しさが内からにじみ出てくるものではなく,表面だけになってしまうことが多いのではないだろうか。丸みだけを求めても,本物でなければうわべだけで終わってしまう。形だけ,うわべだけを取り繕った者ではなく,統一性と,独自性を持ち,丸みを帯びた者だけが本当の癒しと優しさを与えることができるのだと思う。
 しかし,人間誰しも(私を筆頭に)本物にあこがれながら,なかなかたどり着けないという思いを持っているのではないだろうか。なかなか本物にはなれないが,本物をあこがれ求める気持ちだけは持ち続けたいと思う。


日本人の生命[いのち]を守った男

二至村 菁(トロント大技術史研究所)




 学生時代,外国の方の案内をして東京駅のホームに立っていますと,小柄な男性が話しかけてきました。労務者風でした。 「クレーゼってのは,なんだい? あんた英語わかるんだろ」
 昔,米軍の兵士たちによくそう言われたが,いまだに意味がわからないと言うのです。わたしは何度か聞き返して, 「『途方もない男だ』ということでしょうか」 と答えましたが,ようやくわかった“Crazy”を直訳すると「狂気の」です。初めてアジアへやってきた米国の地方出身の若い兵士たちが,軽いあなどりと親しみをこめて「こいつ,いかれてるんじゃねえか」などと言っていたのでしょうか。
 彼が青年だったころ,日本は戦争に負けました。人々が呆然としている中,占領軍が上陸し,軍港横須賀へも1人の米軍の軍医がやってきました。
 軍医はまだ43歳で,この国のことはあまり知りませんでした。だから厚生省から官僚が5人やってきた時,自分で椅子をていねいに並べ,通訳だけをつけて1人で会ったそうです。
 しかしやがて彼は思い至ります。日本の男たちにていねいに対応するとかえって見下されてつけこまれる,したがって相手を上まわるほど横柄にふるまわねば仕事は進まない,と。その後彼はことさらに冷厳な軍人となり,6年の間GHQの局長の1人としてよく働きました。日本の医師たちの激しい抵抗にも出会いましたが,画期的な手をうって多くの日本人の命を救い,結果として占領軍の健康を守りました。
 小著『日本人の生命[いのち]を守った男』ではこの米軍軍医が主人公のようですが,実は彼の一生は一本の縦糸にすぎません。その縦糸に横糸のように織り込まれて,いろいろな日本人が登場します。みな(東京駅でのあの男性のように)貧窮3流国日本の一刻も早い復興を願って,夜を日についで働いた人たちです。筆者は戦後に生まれてその時代をおぼろげに記憶しており,今のうちにそれを記して残しておきたいと思って書きとめたのです。
 ところが親切に出版を承諾してくださった会社において,本の題名が『日本人の生命[いのち]を守った男-GHQサムス准将の闘い』(講談社)と決まりました。そして表紙には軍医の軍服姿の写真が使われました。そのためか,発売されると小著はほとんどの書店で「健康」ではなく「戦記もの」のところに並べられてしまいました。
 ようやく手にとってもらっても,ときどき文末に小さな注番号がうってあって目ざわりな上に,巻末には45頁にわたって証拠の資料があげてあります。「健康にかかわるGHQ検閲」,「食糧難のなかでの学校給食開始」,「大きな保健所の建設」などという事業も,今では考えられないことです。
 こんな本を最後まで読んでいただけるとすれば,現在の日本人の健康の原点に興味を持ち,占領時代すでに大人であって今は70歳代となられた読者をおいて他にありません。しかしこの方々の多くは7年の間米軍支配のもと被占領国民として苦労をされ,「占領時代のことなど思い出したくもない」と思っておられます。一般雑誌などで当時についての記事を読むと,米軍兵士たちにもいろいろあったことがわかるので,ご無理もないことです。
 というわけで,7年前の『エキリ物語』(中公新書)から『日本人の生命[いのち]を守った男』へと続いた病気路線から一転して,今年は軽くて愉快な占領時代の健康物語をお目にかけたいものです。