医学界新聞

 

座談会

ロービジョンケア

視覚障害者のQOL向上のために

高橋 広
(柳川リハビリテーション病院・眼科医)
工藤 正一
(中途視覚障害者の
復職を考える会)
「タートルの会」・
視覚障害者)
工藤 良子
(千葉県医療
技術大学校・
看護師)
山田 信也
(国立函館
視力障害センター・
指導員)
松尾 牧子
(老人ホーム職員・
視覚障害者)


■ロービジョンケアとは

―― 医療の世界では,今ロービジョンケアが注目されています。しかしながら,「ロービジョンケア」という言葉そのものが,医療界で理解されている状況ではないと思います。そこで今日は,高齢化社会が進むにつれて,ますます重要になっていくであろうロービジョンケアについて,皆さんにお話し合いいただきたいと思います。
 それでは,「ロービジョンケア」とはどういうものなのかについて,まず高橋先生からお話いただけますか。

視覚障害者にとっての「ロービジョンケア」

高橋 私自身は,視覚障害を大きく2つに分けて考えています。視覚を使って日常生活のできない方の「盲(もう)」と,視覚を使った日常生活に支障が出てきた方の「ロービジョン」です。後者は,以前「弱視」と言っていましたが,現在は「ロービジョン」です。どうして「弱視」と呼ばないかですが,斜視弱視,不同視弱視など機能的な弱視である医学的弱視と紛らわしいからです。つまり医師が言う「弱視」と,教育・福祉の場の「弱視」は異なっているのです。
 ただ,患者さんのQOLを中心に考えているロービジョンのケアは,決して医師だけでできるものではなく,さまざまな方たちの力を必要とします。そのためには共通の言葉が重要となると考え,「ロービジョンケア」という言葉を用いるようになってきました。
山田 私たちがリハビリテーション(以下,リハ)の場で「ロービジョンケア」と言う場合は,日常生活の上で何らかの保有視覚を利用できる方に,それを最大限利用していただいて,視力が落ちる前の生活に限りなく近い状態になっていただくこと,そのためのケアだと考えています。
 例えば光覚と言って,光の明るい・暗いしかわからない人であっても,中には拡大読書器を使えば,3cm角ぐらいの文字を5cmぐらいの画面で見ることができます。そして,自分の書くものについてはライティングのガイドを使うことで,3cm×3cm,太さ6mmぐらいのペンでしっかり書くことができますし,それを読むことができます。書いたものが読めるということは,それが生活の中で使えるわけです。
 ケアと言った時には,本人自身が生活の中でうまくその視覚を利用していけるということがとても大事だと思います。
―― 工藤(正)さんは中途視覚障害者の復職を考える会「タートルの会」の副会長をされています。また,松尾さんは東京で勤務の傍ら北海道の国立函館視力障害センターに通われて訓練を受けていますが,ロービジョンケアをどうお考えですか。
工藤(正) 私自身は,中途失明で全盲です。全盲になると言っても,一挙に失明するという人は少なくて,必ず低視力の状態を経過して,最悪の時に失明するわけです。現実には,視覚障害者の8割以上が「ロービジョン」と呼ばれる人たちです。「弱視」という表現がよいのか,「ロービジョン」がよいのかはさまざまに意見はあると思いますが,私たち視覚障害者自身にも「ロービジョン」は馴染みやすい言葉になってきているという印象を持っています。
松尾 私は眼科医に,「あなたはこれぐらいしか見えません」という診断を下されましたが,その時から,見えないなりの行動というものがあって,そのような生活に自分自身をだんだん変化させていってしまったように思います。例えば物を探す時に手探りをするようになってしまいましたが,今もその名残があります。
 ただそれが,山田先生たちのロービジョンケアに出会って,「見えている部分がこんなにある」と気づきました。まだ視力が残っているのに,見えない状態に自分を追い込むというのは,何かおかしいと実感させられました。

アカデミックな場でも論議が

―― 看護の世界でも「ロービジョンケア」という言葉は,馴染みのある言葉になっていないと思いますが。
工藤(良) そうですね,ほとんどの人が知らないと思います。「ロービジョンケア」は,その言葉の通り,視覚障害者の「ケア」を指していますので,視覚障害者のADLやQOLの向上をめざすものです。そして,そこには「その人らしさ」というものが入ってくると思います。ケアを受ける対象が,生き生きと輝いていける,看護は医師とはまた違った意味で,その人らしく生きるということを考えて援助する,もっと生活に密着したところで非常に大きな役割があるだろうと思っています。
―― ロービジョンに関する国際的な流れはどうなのでしょうか。
高橋 「国際ロービジョン学会」が,3年に1度開催されています。前回は米・ニューヨークで,今年はスウェーデンでしたが,そこに集まるのは医師だけではありません。視覚のリハ関係者はもとより,教育,福祉,行政まで,視覚に関するあらゆる職種が一堂に会します。日本では,まだ医療は医療,福祉は福祉というようにバラバラで連携がとれていませんが,そこが大きな問題です。
 海外でロービジョンに対するこうした体制ができたのは,非常に古い話です。日本に導入されたのも1970年代です。30年たって,なぜロービジョンが注目されるようになったかというと,医療だけでは決して視覚障害者の問題は解決できないということに気がついてきたからです。教育や福祉でも,それだけでは駄目だということがわかってきました。みんなで,患者や視覚障害者を考えていこうという動きが,ようやく出てきたのだと思います。
 これらの気運が高まり,2000年4月に「日本ロービジョン学会」が発足しました。今秋第3回の学術集会が開催(10月13―14日,仙台市,本紙2面参照)されましたが,看護や介護関係者の参加,演題発表は少なく,この領域の方々にロービジョンケアを知っていただく努力が必要ですね。

■医療・福祉の場とロービジョンケア

幅広いロービジョンケア対象者

―― 日本では医療と福祉が分かれていて,障害者のケアは主に福祉が担ってきたように思います。ロービジョンケアの対象は「障害者」だと考えてよいのでしょうか。
高橋 いえ,違います。私の考えでは,目の疾患を持っている人すべてがロービジョンケアの対象者です。つまり,視覚に問題のある人は,それを解決するために病院に行きます。例えば読み書きが困難な時に老眼鏡を作るのもロービジョンケアです。ただそれを,単に医療だと言ってしまうところが問題なのです。患者さんでなく,病気を中心に考えてきたのが,私たちの今までの医学だったのではないかと思います。
 柳川リハ病院を受診する患者は,0―90歳ぐらいという非常に広範囲な年齢です。ただ,小さいお子さんの場合に問題なのは,視覚の単独障害か,運動・知的障害との重複障害かの見きわめです。低年齢で,視覚に障害があれば当然言葉の発生も遅れます。そのことから「理解力がない」と判断され,誤って知的発達,運動発達遅滞だとされてしまうことがあります。そこには,眼科医だけでは決して判断できない部分があるわけで,言語聴覚士,作業療法士,理学療法士,保母さんや,学校の先生と一緒にその子を見ていくことが必要です。
山田 仮に,身体障害者手帳所有者のみがロービジョンケアに該当するとすれば,単眼で視力が1.0あって,半側が見えない場合,従来はリハに導入することができません。身体障害者手帳の上で,片眼0.6で,片眼が0.01というような状態でない限り,「あなたはそんなに困るはずはないでしょう」と言われます。
 しかし,実は多くのロービジョンの人たちが非常に困っています。こういうボーダーから外れた人たちが見棄てられてきたわけです。福祉の視点でロービジョンケアを考える時には,もっと幅広く考えなければいけないだろうという流れが出てきたのだと思います。
工藤(正) それは,ロービジョンケアは治療行為そのものではないと理解してよろしいのですか。
高橋 治療行為も含んだ,広い意味でとらえています。

必要とされる情報伝達

工藤(正) ロービジョンの先は盲にも通じて,全盲になったら「処置なし」と言われますが,当事者にとってみれば心の問題が一番です。全盲であれ,ロービジョンであれ,自分が今までと違った障害を持つわけですから,それに対する不安は大きいものがあります。同じような障害を持った人は,どのような経過をたどって障害を受け入れ,仕事ができるようになっていくのだろうと思ったりします。それから,情報がないという不安があります。今までは,職場復帰に関する情報を医師からもらえるということがありませんでした。全盲であっても職場復帰は可能です。そういう情報を提供することも,大きなケアにあたるのではないかと思います。
山田 心の問題というのは大きいです。皆さん,治らないということはわかったとして,その後自分の人生をもう一度立て直したいけれど,どうしたらよいのか,どこへ相談をすればよいのかということの示唆が抜けていたわけです。例えば,医師がそこを察知して,「こういう方法があるよ」とか,「スタッフと相談してごらん」と情報提供しますと,はじめはためらっていても,内心は何とかしたいと思っておられるわけですから,「こんなことはできないだろうか」というような話になってきます。その時に,「大変だけどやってみようか」とのきっかけを作ってあげることで,患者さんは安心しますし,そのプログラムを理解するようになります。ただ,最初からたくさんの情報を差し上げても混乱されますので,少し自信がついたところで次の情報を提供するようにします。
 そうして,病院である程度できるようになったら,次の段階としてリハセンターや視力障害者センターを紹介したり,使える機能について話をします。また,職場復帰を望む人には受入先の紹介もします。
高橋 脊髄損傷と視力低下があって,歩けない,ご飯が食べられないという方にロービジョンケアを開始しました。この方のように,全身疾患や視覚障害があると,従来のリハでは対応が困難でしたが,今はたとえ全盲であっても工夫すれば生活ができることを伝えます。私はその時に,「持っている能力を最大限に使いましょう」と語り,他の感覚器を使って生活する方法をまず患者さんに教えます。

■視覚障害者の実態と可能性

訓練の成果

―― ロービジョンケアの可能性について,もう少し具体的に伺いたいと思います。
山田 緑内障や視神経萎縮の方で,中心暗点があって比較的大きな視野が能力として残っているような場合,本を読んだり,細かいものを見るのは苦手ですが,日常生活の中での歩行移動や作業はほとんど可能です。ところが,本人が「きちんと見てみよう」と思った時には中心に暗点がきて,そこだけ視力からスポンと抜けてしまい戸惑うわけです。そうした場合でも,訓練をすれば少し暗点をずらすような目の使い方ができるようになり,さほど不自由なくものを見ることができるようになってきます。
 また,光の明るい・暗いもわからないという方は,視覚的な情報よりも音の情報を使って,「交差点では自分と同じ方向の車の音がしたら横断しましょう」とか,「自分の進む側の音響信号が鳴ったと同時に出ましょう」という訓練をします。また,触覚を使ってものを判断したり,伝い歩きが可能なことを知ってもらい,杖を使って前の不安を取り除いて歩く訓練もします。
 このように,タイプに応じた多様な訓練が可能です。それから,仕事をしたいという人のためには,技術訓練も可能です。コンピュータのディスプレイも,ちょっと大きくしてあげれば見えるということがありますので,拡大することで対応できます。それだけでは作業効率が落ちるということであれば音声を利用する方法もありますので,パソコンの基本的な操作ができさえすれば,仕事を続けることも可能です。
―― 松尾さんは,ロービジョンケアを受けたことで,こんなことが可能になったという体験がおありだと思いますが。
松尾 私は「網膜色素変性症」なのですが,右目の中心の視野がなくて,左目の中心だけで文字を見ていたために苦痛を感じていました。訓練を受けていくうちに,右目の中心の周りにまだ残っている視野があるということがわかって,その残っている視野を使うことができるようになり,私の場合は歩行がものすごく楽になりました。
 それから,電車に乗る時にも,ある程度の勘はあるのですが,可能な視野を使って扉を発見できるようになったり,空いている席も探せるようになりました。それから,私は音楽をやっているのですが,道具を使うことによって楽譜を追うことができるようにもなりました。
―― それは,訓練をしなければ難しかったと思われますか。
松尾 私にとってはそうでした。訓練を受けたからできるようになったことですね。
高橋 これは山田先生とよく話をするのですが,松尾さんも含めて,多くの視覚障害者の方が自分の目の持っている能力に気づいておられません。逆に言うと,自分では必死に探しておられても,それがなかなかわからない。そこが最大の問題なのです。
 山田先生や私がしていることは,まず自分にどれだけの力があるのかをわかっていただこうというものです。自己の能力を自覚して,その力をうまく使えるように支援する。松尾さんは,周辺視野を,中心視野で見るがゆえに消してしまっていたわけですね。中心視野のみが意識下にあったわけで,私たちは周辺視野をも意識してもらうようにアドバイスします。
 つまり私は眼科医ですから,眼底から「ここに使える視野がある」とわかり,山田先生は実践的な立場から使える視野をペンライトを当てて判断しているようです。柳川リハ病院では,両方のやり方でアプローチをしていきました。
 日常生活的な評価法と医師の行なう評価法と,その2つの方法で患者さんやご家族に示すことができれば,ものすごくわかりやすくなると思います。視覚に障害のある方は,ご自身が持っている視野に気づいていないと言いましたが,周辺視野のことを忘れてしまっているのです。私たちは,そのことをお知らせしようと努力をしている,とも言えますね。

復職も可能に

―― 工藤さんは「タートルの会」を主宰されていますので,ロービジョンケアで実際に好転した方の例をご存知だと思います。その中で,印象的な例をご紹介いただけますか。
工藤(正) それはたくさんあります。「タートルの会」では,中途視覚障害者の復職を考えようというもので,いったん仕事を辞めてしまった人は再就職を,辞めないでいる場合には,できるだけ今の仕事を続けることを前提に,さまざまな情報提供をしたり,励ましたりという支援をしています。
 ロービジョンの方は,最初は誰でもそうですが,「見えなくなるのではないか」という不安で,先が考えられなくなるんですね。見え方はさまざまですが,工夫すれば何とかなるのだということを,当事者が実感するかどうかが大事だと思います。ですから,具体的な体験を話したり,支援機器などを見て,感じ取っていただける機会を作っています。ルーペでさえ,どういう種類があるかを知らない人がいますし,拡大読書器を知らない人も大勢いるのですね。
 網膜色素変性症で非常に視野が狭くなって,まったく見えないというわけではないのですが,普通の文字は見えなくなった方がいます。その方は英語が堪能で,商品の輸出入を扱う仕事をしていたのですが,幸いなことに,コンピュータは日本語よりも英語で先に発達してきた器械ですから,音声でも英語のほうによく反応します。その方は,ある施設で数か月の訓練を受け始めたのですが,まず音声ソフトをインストールして,拡大ソフトを入れてもらい,そうしたらまるで水を得た魚のようになって,1―2週間で訓練を終了しました。今も元気に働いておられて,夢であったマイホームも手に入れ,「これで親を安心させることができた」とおっしゃっています。そういった情報がなければ,おそらく退職されていたと思います。
高橋 今までは,1度退職しないと訓練が受けられないという現実があり,そこが大きな問題でした。それまで培ってきた職業的知識をゼロにしてまったく違う道を歩まなければならないというのが,今までの訓練施設でした。しかし,退職しないままでの訓練は可能であり,これまでのキャリアが生かせる場合もあります。ですから,こういった情報提供をも,看護師さんが担ってくれればと思いますね。

■取り戻せる生活感覚

看護とロービジョン

―― 看護の話題が出たところで,工藤先生,入院患者の中にも当然視覚障害者はいると思いますが,看護とロービジョンケアについてどうお考えでしょうか。
工藤(良) ロービジョンケアによって多くの視覚障害を持つ人たちの生活が変わります。しかしながら,先ほども言いましたが看護の世界ではロービジョンケアはまだ知られていません。入院患者でも,訪問看護のケースでも,他の疾患を抱えながら視覚に障害がある方にどう対処しているかというと,眼科の先生を紹介するにとどまっているようです。眼科に行こうと思っている方は,すでに眼科医にかかっていますよね。ですから,その方たちは視覚障害があっても我慢してきたから,「もういいです」とおっしゃるそうです。今さら行かなくてもよいという判断もあるでしょうし,あるいは面倒という理由,それ以上に別の病気のほうが大変なのかもしれません。
 しかし,その病気はさておいて,ロービジョンケアによってもっとその人の生活に潤いを持たせるため,もっと生き生きと生活していただくためには,つかんだ情報を次につながなければいけないと思います。現状は,たとえ医師につないだとしても,残念ながらロービジョンケアまでつながっていないというのが実態だと思います。そういう意味で看護者の役割は大きいと言えます。
高橋 看護が担う役割は無論ですが,加えて介護の分野でもロービジョンが占める役割も大きいと思います。しかし,介護保健施設等で,眼科医療が積極的に行なわれているところは少ないと思います。ですから,このような施設で視覚に問題のある高齢者は,日常の生活に支障が生じています。
 加えまして,私たちの持っている視覚障害者へのアプローチを,施設の職員の方々はほとんど知りません。看護や介護の教育において,ロービジョンケアの知識を教えているところは皆無だと言ってよいと思います。看護の教科書にも,「盲になった人のケアはどうするか」といった内容が,古いやり方で載っている程度です。

持っている能力はゼロではない

山田 介護の話が出ましたが,たまたま地域保健所の保健師さんから,「視力センターでの訓練に該当するだろう」とご本人に勧めたというケースが2件ありました。ご本人は,行く気はなかったのですが,とりあえず書類を出してこられました。
 視力センターでは2人ともお呼びしたのですが,1人は来る早々から「帰りたい」と大騒ぎをされました。60歳を過ぎた方ですから,この年で今さら訓練して何の意味があるかと思っておられたのですね。
 ところが,館内を伝い歩きすることから始めて,自分がいろいろなことができるとわかると,「実は,いろんなことがしたかった」となるわけです。「もう少していねいに洗面するにはこうしたほうがいいよ」とか,「食べ物がお盆の上に乗っているから,手を添えていけばけっこう発見できるでしょう?ご飯や味噌汁は,ちゃんと手前の左右に置いてあるよ」と指導していますが,そういう日々を過ごしていると,自分でそれなりにやっていけることがわかってくるわけです。そうすると,それまで部屋の掃除はしなかったり,洗濯はヘルパーさん頼みだった人が,「洗濯機の使い方を教えてください」とか,「掃除機をどう使えばきれいに掃除できるんでしょうか」と言い出すようになります。
 訓練を考えるうえで最も大事なのは,持っている能力がゼロではないということに気づいてもらうことです。ロービジョンの方は,「目が見えないからできない」との思い込みがあるにすぎないのです。その思い込みを,そうじゃないと気づかせることです。目は見えないかもしれないけれども,他の感覚が使えるし,それまでもいろいろな社会体験があって,そのパターンというものがあるわけです。それをどうするかというきっかけを,こちらが上手に呈示してあげますと,驚くほど可能となることが多いのです。
 訓練施設などに入りますと,たいてい2週間のオリエンテーション期間があって,その間にその人にとって最も適した呈示の仕方はどんなものかということを考えます。ただ,大変なのは,訓練は例えば6か月間の拘束期間になりますので,仕事をしている人には1か月以上は無理だというようなことがあったりして,日常の訓練がうまく回らないという現状もあります。

従来の生活に戻ることも可能

高橋 簡単な例では,眼鏡を作ったらそれで生活がぐんと違ったという方がいました。適正な眼鏡を作ることで,元のように歩けるようになったという例はたくさんあります。また,「本が読めない」という視野の狭い方がよくいらっしゃいますが,その方にはどこがどう見えているのかをまずお教えします。そうすることで,読めるようになったり,歩けるようになります。これは,網膜色素変性症でも,緑内障であっても同様です。
 そのような例はたくさんあるのですが,その前にその方の悩みや思いを十分に聞いて,ルーペでも何でも「使ってみようか」という気持ちになってもらうことが大事なのです。補助具の使い方ばかりをしていても仕方がなく,山田先生のおっしゃったように,ちょっとしたことでも実感してもらうことです。緑内障の方なら自分で目薬を点けられるようになるとか,糖尿病の方が自分でインシュリンの注射を打てるようになるとか,そういうことが1つやれると,「できるんだ!」と思って,「次にこれもやってみよう」となるわけです。
 柳川リハ病院では2年ちょっとで,300人ぐらいのロービジョンケアをしています。もちろん,諦めてしまっている人もいますが,もう来なくても大丈夫という人もいますし,例はたくさんありすぎて困るぐらいです。
山田 料理人で視野が狭くなった人がいました。「この世界で生きていきたいのにどうしたらよいだろうか」と相談を受けましたが,その方も眼球運動の訓練を行ない,包丁を使う時とか,油であげる時にはこうすればよいだろうと訓練したおかげで,その道に戻っていけました。
 その人が,それまでの人生で磨いてきたものを,どこまで私たちが道具などを使ってアプローチできるかによって,以前の人生に戻れる可能性は非常に高い,「見えないからもうできない」「こんな視野では不可能だ」と言われてしまうと,そこで終わってしまいます。もちろん,車を運転するとか,飛行機を操縦したいとなると難しい場合もありますが,よほど特殊な技術でない限り,日常生活や,元の仕事に戻ることは,訓練を通して可能になると思います。

■「ロービジョンケア」が抱える課題と展望

期待される看護師の役割

―― 視覚障害者にとってそれだけ大切なロービジョンケアですから,これからますます広めていくことが重要になると思いますが,そのための課題は。
工藤(良) ロービジョンケアを受けに,高橋先生や山田先生の施設に行くというのはとても大変なことだと思います。そこで,行けないままの人も多いのではないでしょうか。私たち看護師は,そういう人たちの一番身近にいて,今何で困っているのかを探しやすいところにいると思います。そこに看護師の役割があって,例えば,糖尿病の患者さんが入院されて,ご自分でインシュリンの注射が打てるように指導する場合,どの程度見えないのか,逆にどこまで見えているのかを具体的に知ることができます。そこから,どのような援助が必要かを考えることができます。
 それは,見えづらいのならルーペ,歩行に不自由ならば白杖(はくじょう)をといった,単に手技的な援助ではなく,生活全体をとらえたうえで,ロービジョンケアを意識した援助や情報を提供することは,看護師でも可能でしょうし,そこが看護の重要な役割であると思います。患者さんの心の支えになることで,ご本人の意欲が出てきて,「なんとかしよう」と思ってもらえれば,次につなげられると思います。看護者は,その担い手になれると思いますし,ならなければいけないと思います。
山田 視覚が不自由になった人は,まず医療の世界に入って,眼科医に診てもらう。医師は診察をし,即時的に判断して,患者さんの意向を察して,どのような方向性が必要か,今何に悩んでいるかをつかめるはずです。そうして,病院のスタッフにオーダーを出しますが,その時から看護師さんが患者さんに長くかかわることになりますよね。24時間そばにいる看護師さんは,その人が何に困っているかを最も感じることができると思います。
 また,病院からの訪問看護もありますから,在宅に戻ってからでも看護師さんが「何にお困りですか」と聞くことも可能です。その場合に,訓練施設の情報を持っていてくれれば私たちにつなぐことも可能です。訓練施設では,もちろん生活技術の訓練もありますが,職業訓練的なこともしますので,職業相談も可能です。ご本人の望むように調整ができるかもしれません。その際のキーパーソンは看護師さんであり,ロービジョンケアを理解していれば,患者さんのQOLを考慮に入れた生活改善の方策も可能になると思います。なぜそう言い切れるのかと言いますと,施設で訓練を受けている方は,ケースワーカーよりも保健師さんや看護師さんに悩み事を話したりすることが多いからです。
 もちろん,歩行訓練士やロービジョンインストラクター,リハティーチャーと呼ばれる私たちからみれば,「私たちがやりたい」気持ちもありますが,実働している数が全国で250―300人しかいません。これではとても応えきれません。そうなると,やはり具体的に応えていける力として看護師さんに期待したいですね。

自らが声を上げていくことを

高橋 先ほども触れましたが,現状では,看護師さんや介護士さんたちがほとんどロービジョンケアを知らないということが大きいですね。彼らは,視覚障害の福祉施設があるということは知っていても,視覚障害者のためのロービジョンケアが眼科の医療の中にあることを知りません。ですから,具体的な方策としては,ロービジョンケアを看護や介護の教育の場でカリキュラムに入れていただき,今話してきたようなことをきちんと教えてもらうようにすることです。疾患のことも大切ですが,どのように見えて,何に困っているかという日常生活を理解することも重要だと思います。それをしない限り,山田先生からお話のあったようなところへはたどり着けません。
 また,眼科医がロービジョンケアについて少しずつ知りはじめていますが,他の科の先生はご存知ないですね。柳川リハ病院でも,2000年に私が着任して初めて知った先生ばかりです。整形外科,神経内科,リハの先生もロービジョンの世界のことはまったくご存知ではありませんでした。これも,教育システムの問題だと思いますし,私は,医学教育の中で「障害学」というものを教えるべきだと思っています。それも早期教育として教えるべきです。
 もう1つの課題は,医療費です。ロービジョンケアは診療報酬の対象外です。医療費としてはカバーされるのは「視能訓練」のみで,将来的には経済的な側面を解決しない限り,多くの医療機関でロービジョンケアを導入するのは難しいと思います。毎年の診療報酬改定時には,私たちはロービジョンケアが診療報酬の対象となることを期待しているのですが,実現しません。
 それというのも,ロービジョンケアの施設が全国民に等しくわたらないために,「施策として認めにくい」という理由からだと思っています。ある限られたところでしかできない行為は,国の制度にはならないわけですね。そのためにも,この訓練ができるスタッフを養成したり,ロービジョンケアが必要だという患者や障害者たちの声をもっと大きくしていかなければならないでしょう。このロービジョンケア推進の最大の担い手は障害者自身,患者さん自身だと思います。患者さんが,困っていることを眼科医にでも,内科医にでもよいですから,率直に打ち明けて,「私はどうすればいいんですか」,「生活ができるように,私の目をどうにかしてくれ」と,障害者自身が声を出してください。自分に必要なケアは何であるかということを要求していくことが,ロービジョンケアを最も具体的で,確実に進める方法だと思います。
―― 看護・医療に携わる方々が,ロービジョンケアを理解することで,視覚障害者のQOLは向上するということがわかりました。どうもありがとうございました。

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