医学界新聞

 

連載(34)  微笑の国タイ……(16)

いまアジアでは-看護職がみたアジア

近藤麻里(兵庫県立看護大・国際地域看護)

E-mail:mari-k@dg7.so-net.ne.jp    


2508号よりつづく

【第34回】タイのニッポン人

 ここに25歳の女性がいます。
 「英語もタイ語もできないけれど,これから1年くらいタイで暮らしてみようと考えているの」
 と,のん気に話しているのを聞いてしまったら,あなたは何とアドバイスするでしょうか。今の私なら,
 「もうちょっとよく考えて,お金を作ってからにすれば……」,あるいは
 「歳を考えたら? 親も心配しているでしょう」とさらりと言うかもしれません。
 さて,こののん気な女性とは私のことなのですが,実際にあの頃返ってきた言葉というのは
 「殺されて川に浮かぶぞ」とか,
 「どこかに売られるぞ」といった,恐ろしいものでした。もちろん今では笑い話なのですが,「決して生きては帰れない」と信じている人が多かったようです。しかし,現地に行って暮らし始めると,首都バンコクには日本人が2万人以上も生活していましたし,運よく日本人学校での仕事も見つかったのです。

さまざまなニッポン人たち

 外国で暮らす日本人は,企業派遣などのように仕事で滞在する場合が圧倒的に多いのですが,その他に大学留学や語学研修,結婚,国際協力という理由から,はたまた自分の夢を追って,なんとなく等々,外国で暮らす事情はさまざまです。そのような人たちの中には,日本からの逃亡という「わけあり組」もいたりして,日本ではお目にかかれないような人とも出会います。
 「私は日本人が嫌い。だから,絶対に日本人とはつきあいません」,と初めて会った時にいきなり宣言する人もいます。そう言われると,しばらくはそっとしておいてあげるのが,外国に暮らす日本人同士の暗黙の掟であり優しさでもあるのです。
 日本人の子どもたちのために,バンコクにも日本人学校があります。校舎は日本の学校とそっくりで,校歌も存在しますし,運動会など,日本の学校と同じような行事もあります。そして,そこには80名近くの教員がいたのですが,そのほとんどは,文部省(当時)派遣という,日本各地から選ばれた精鋭たちでした。
 私は1年間ですが,例外的な現地採用教員として,小学1年生の担任をすることになりました。それからの生活というのは,殺風景な一間でアパートの家賃を払い,屋台で食事をし,満員バスに揺られて通勤という,日本からの派遣教員や赴任家族とはまったくかけ離れた生活でした。でもそれは,日中は日本人社会で仕事をし,アパートに戻ればタイ社会で自由人として振舞えるというおもしろさもあり,異なる常識や文化を行き来する生活でもあったのです。

自由な,「日本社会の落ちこぼれ」たち

 外国で暮らすことは,日本でのしがらみや慣習から開放されるのではないかと思いがちですが,実際は日本以上の厳しい締めつけやきまりごともあるのです。週末のパーティ出席や華美になりすぎないドレスの注文,お正月には着物を着ることなど,女性たちも企業戦士とさまざまなパーティへの同伴が求められます。そのため家庭内では,お手伝いさんに子どもの面倒を見てもらう時間が増え,両親が深夜までパーティに出席した翌日などは,学校での子どもの状態は非常に不安定でした。
 また,日本人学校の派遣教員は,派遣期間の3年間日本に帰ることは許可されないけれど,世界中のどこの国に旅行してもよいという理解できないきまりごともありました。これは,もう改善されているのではと思うのですが……。
 さらに,自由気ままに旅をして世界中を何年も放浪しているという若者や,年輩の方々はそういう日本人を横目に見ながら,貧乏暮らしを仲間同士で自慢しあっていました。そして同じ日本人でありながら,日本以上に日本人のきまりに縛られた企業戦士たちを冷たく批判するのでした。
 もちろん,少数日本人である無職旅人たちは,「日本社会の落ちこぼれ」とレッテルを貼られていることも,とうに了解済みなのです。私は,日本とタイの文化,そして外国で暮らす日本人の極端な生き方も同時に触れることができたのです。友人たちは無職旅人で,職場の同僚や知人はまっとうな日本人というように。

タイの風土から教わったもの

 バンコクの日本人学校で初めて担任をした子どもたちは,今年20歳になります。外国生まれの児童が多かったので,20歳の誕生日は世界のどこかで迎えているに違いありません。もちろん,今も人とのつながりに国境線を引くことはまったくないのだろうなと思います。未熟だった私が,タイという風土から教えてもらったのは,
 「きっかけは何でも構わない,自分がやりたいと思ったことをそのままに受けとめ,後悔しないように生きること」
 「いっぱい失敗や挫折を味わってたくましい大人になっていくこと」
 「正しいことを正しい,間違っていることは間違っているとちゃんと言える人になること」でした。こんな当たり前で単純なことを理解するのに,私は,子どもたちと1年間,そしてタイに4年以上暮らすことが必要だったのです。そしてきっと,タイでの暮らし方はさまざまでも,みんな帰国後にはこんな風に,同じ思いを持っているのではないかと信じているのです。