医学界新聞

 

第7回「日本看護サミット2002 in ちゅら島おきなわ」開催


看護を社会の力に

 第7回「日本看護サミット2002 in ちゅら島おきなわ」(実行委員長=沖縄県看護協会長 我如古康子氏)が,さる10月30-31日の両日,沖縄県宜野湾市の沖縄コンベンションセンターで開催,「看護を社会の力に-癒し・生命の尊厳・共生」のメインテーマのもと,沖縄県内外から3000名を超える参加者が集った。
 今サミットでは,「21世紀の看護の展望について,政治,行政,職能団体,教育界のそれぞれのトップや住民の代表を迎え,国民や社会が求める看護を明らかにし,看護政策について議論するとともに,これからの看護の機能と役割,看護政策について提言することにより,看護職の社会貢献を推進すること」を目的として,対談「人間・長寿・環境-看護職者への期待」(参議院議員 清水嘉与子氏,阪大 大熊由紀子氏),および鼎談「幸せな死を支えるには」(日本看護協会長 南裕子氏,日本医師会長 坪井栄孝氏,放送タレント 永六輔氏,写真)が企画された他,看護の大学,大学院化,専門看護師教育の現状と課題を追究した分科会(1)「看護の質の向上と教育の課題-看護はいかに医療を変えられるか」,他職種,一般職とともに看護の展望を語った同(2)「看護の質の向上と教育の課題-他職種との協働を視野に」,電子カルテをはじめとして看護・医療のIT化の方向性を探る同(3)「看護の未来とIT革命-よりよい看護をめざして」,国際協力の実践を踏まえ,「地球人」としての役割が語られた同(4)「国際看護-グローバル化の時代」が行なわれた。

「訪問看護師」は職人

 「日本人の死にゆく場所は,圧倒的に病院だが,自宅での『死』を望む人は多い」との南氏の言葉から始まった鼎談では,まず「在宅での見取りができるのか,自宅での療養の可能性」について話し合われた。
 「実家が寺で,『死』とは近いところにいるが病院は嫌い。死ぬまで笑っていたい」と軽妙に語る永氏は,「夫人の死から1年が過ぎた」と述べ,その死までの生活を支えた開業訪問看護師の技術・話術の呼吸を「職人技」と称した。なおこの「職人」談義は,鼎談での話題の1つとなった。,
 また,自院にホスピスを併設している坪井氏は,「幸福な死はないことを,医療人は自覚をしていなければならない」と述べ,南氏は「看護職は調整能力があると思っているが,看取りの場ではその能力を発揮できないでいる」などと発言。
 それらを土台に,話は「在宅医療・在宅死における医師と看護師の裁量権」に発展。坪井氏は,医師会長の立場ではなく個人の見解としながらも,「在宅における死の告知は,家族とともに長く見守ってきた看護師が行なうのが自然。法解釈ではなく,国民とのコンセンサスを図っていく必要性は,今でも考えている」と述べた。
 なお,同サミットの閉会にあたり我如古実行委員長は,「人々が生涯にわたり,その人らしく心豊かに過ごせるよう,ライフサポーターとしての役割を果たし,さまざまな場での政策提言の機会を通して看護が社会の力となるように努めます」などを内容とするサミット宣言を読み上げた。
 次回は明年,熊本県で開催される。