医学界新聞

 

あなたの患者になりたい

「してあげる」と「させる」の関係

佐伯晴子(東京SP研究会・模擬患者コーディネーター)


 最近,日本語に関する本がブームです。言葉の誤った使い方やあやしげな敬語はできるだけ避けたいと思う人が多い証拠なのでしょう。「お名前様をこちらにお書きされてください」などと言われると確かに落ち着きません。
 以前から気になっていたのですが,「裏にも印をつけてあげてから切ります」という言い方をする人がいます。物を相手にしているのになぜ「あげる」か。印をつける行為がなんとなく優しげに聞こえると思うからなのでしょうか。
 物に対して甘ったるい言い方をした同じ人が「患者に話をさせるのが難しかった」「病識がない上に理解度が低い患者なので困った」などと患者役をしたSPを前に平然と感想を話されることがあります。困ったのはこちら。孫ほども年下の学生さんに使役表現をされてしまい,そのSPは病気になどなるものではないと感じたのでした。たまたま病気になっただけでずいぶん下に見られるものだと。
 それに比べると「患者さんの心配なことを聞いてあげればもっと不安を軽減してあげられた」という声はやわらかく聞こえます。でも何か違いますね。そもそもこの「あげる」という言葉が私にはどうもうさん臭い。相手をもちあげているようですが実際にはどうなのか。
 物を相手に「あげる」を使うのは,行為にかわいらしい化粧をするようなものなのでしょう。しかし,医療者に「してあげる」と言われると,「させる」と下に見られるのと同じように,自分とは目の高さが違うと感じてしまうのです。

なぜ,抵抗したくなるのか

 哲学者の鷲田清一氏は『じぶん・この不思議な存在』(講談社現代新書)という著書の中で,「してあげる」という意識が醜悪なのは,「あるひとのために~~してあげる」という意識になると,「助けるひと」のじぶんに力点をおいてしまい,他者とじぶんの関係の中で考えるのではなくなるからだと書いています。他者をじぶんの理解の中へ押し込め,じぶんの世界に同化させようとするので,目の前に立つ他者は存在しなくなるというのです。
 「してあげる」と言われると抵抗したくなる理由がここにありました。下に見られるのとは違って,相手の中に取り込まれてしまう感覚があるのです。「させる」も「してあげる」も患者さんとの相互の関係が抜け落ちています。あなたがいてくれるから私がある。相手にとって自分は何ものでもないと感じた時,信頼の糸は切れてしまうのかもしれません。