医学界新聞

 

救急医学30年の歩み-検証と展望

第30回日本救急医学会が開催される


 第30回日本救急医学会が,さる10月9-11日の3日間,劔物修会長(北大大学院侵襲制御医学)のもと,「救急医学30年の歩み-検証と展望」をメインテーマに,札幌市のロイトン札幌で開催された。
 今学会では,会長講演「麻酔科としての救急医療へのかかわり」をはじめ,設立30周年を記念した特別企画「日本救急医学会 30年の歩み-初代理事長,現理事長によるリレートーク」,3日間を通したフリーディスカッション「新しいパラダイムから見た救急医療と救急医学」,および特別講演「宇宙から見た危機管理」(日本科学未来館長 毛利衛氏)などを企画。
 また,開催地である北海道に関連ある「牛海綿状脳症(BSE)」や「有珠山噴火」をテーマに取り上げた2題の教養講座や,循環器救急医療体制,遺伝子治療,呼吸管理戦略,重症多発外傷を話題としたシンポジウムが4題,救急医療で問題となっているテーマを10項目選んでその是非を問う「徹底討論」も行なわれた。さらには,4題の招請講演,13題の教育講演,ワークショップ,パネルディスカッションを実施,なお一般演題は「face to face」での討論を念頭に,全92演題がポスターにて発表された。


●初代・現理事長が語る救急医学の30年

 劔物氏は,会長講演で「侵襲制御医学」について,「麻酔科医は,侵襲からの生体保護というアプローチで,救急患者の痛みと情動を制御する。緊急手術に対する麻酔ほど麻酔科の真価が発揮される場はない。侵襲制御医学は,従来の麻酔科学をよりグローバルな視野からとらえた臨床麻酔,ペインクリニック,集中治療などを包括する新しい分野である」との考えを示した。

救急専門医の社会的認知を

 特別企画「日本救急医学会 30年の歩み」には,劔物会長の司会のもと,初代理事長である杉本侃氏(緑風会病院)と現理事長の島崎修次氏(杏林大)が登壇した。
 杉本氏は,同学会の設立までの社会的背景や経緯を紹介。氏によると,1960年頃から交通事故が急増,1964年には消防による救急搬送が始まるとともに救急告示病院が発足。1966年に阪大特殊救急部が設立,1969年には札幌医大に災害外傷部が設立された。また,1960-1970年代の救急患者の激増,大病院の集中化,学園紛争などを契機とし,故恩地裕氏(阪大特殊救急部)が代表となり「日本救急医学会」を設立,1973年に第1回総会を開催した。なお,学会の英字表記を「emergency medicine」ではなく,より広い分野を想定した「acute medicine」としたことに根強い反対があったことや,1983年には認定医制度を発足,1985年より代表幹事制から理事長制度に移行したなどのエピソードも語られた。
 一方島崎氏は,「日本の救急医療体制は世界の水準を抜いている」として,会員数7901名,認定医2259名,救急指導医324名(いずれも2002年現在)で構成される同学会の現状と将来について語った。氏は,日本の救急医療システムは,(1)救急医療体制基本問題検討委員会報告(1997年),(2)病院前救護体制のあり方検討会報告(2000年),(3)災害医療体制のあり方に関する検討会(2000年発足)からなっていると解説,今後365の2次医療圏に救命救急センターを1施設ごとに整備(現在は164施設),救急救命士による気管内挿管の容認,災害拠点病院の充実などの計画があることを述べた。また,救急医がアイデンティティを保持するためには,「質の高い研究論文を世界に向けて発表していくこと」と述べ,「救急専門医の社会的認知は必要。他の専門医と明確な差別化を図るシステム作りがきわめて重要」と指摘した。なお,「医師の需給に関する検討会報告」(1998年)によると,将来医師が過剰となることが示されているが,「2次医療圏に救命救急センター200施設を設置し,最低15名の専門医師を配置した場合,なお2000名の救急専門医が不足する」との見解も示した。
 フロアを交えた2氏の対談では,救急医の能力やサブスぺシャリティ,「卒後研修ガイドライン」などが話題となる一方,「高度救命救急センターは私立大病院が先行し,国公立病院では配置人数が少なく運営ができる状態にない」として,学会が行政へ改善を求めていくべきとの意見も出た。

●救急医はどこから来て,どこへ行くのかを論議

 フリーディスカッション「新しいパラダイムから見た救急医療と救急医学-われわれはどこから来たのか? われわれは何者なのか? われわれはどこへ行くのか?」は,同学会の将来計画委員会の委員長である杉本壽氏(阪大大学院)を主司会者に据え,同委員会のメンバーが日替わりで司会(東医大 行岡哲男氏,昭和大 有賀徹氏,聖マリアンナ医大 明石勝也氏)を務め,会期中の3日間連続で行なわれた。

21世紀は救急医の時代に

 杉本氏は,ディスカッションの「たたき台」として,同委員会文書を呈示。それによると,「われわれはどこから来たのか?」に関して,「1997年の『救急医療体制基本問題検討委員会報告』では,『救急医療は“医”の原点であり,かつ,すべての国民が生命保持の最終的なよりどころとしている根源的医療と位置づけられる』と明示されているが,救急医療は診療時間に関係なく患者が訪れるなど,『医者の嫌われ者』として扱われてきた」と述べている。
 また,「われわれは何者か?」では,「従来の医療パラダイムは,知識の寡占と経験主義に根ざす権威主義と特権意識,研究室医学の研究業績至上主義を背景に,慢性病態を中心とする医療環境の中で築かれたものであり,医師が主役,患者は脇役であった。高邁な真理の探究が重んじられ,『医療』は実務であるがゆえに軽んじられてきた。このパラダイムは今も健在で,われわれはこのパラダイムにどっぷりと浸かってきた。救急医療のアイデンティティクライシスとはまさにそれである。救急医療は従来のパラダイムではとらえきれないことを,われわれは気づくべきである」と述べ,チーム医療の重要性,実学としての「救急医学」を強調している。
 さらに,「われわれはどこへ行くのか?」では,救急医療の役割分担の明確化や,連続勤務のあり方,「汚い,危険,きつい」という3Kの職場であり,基本的に不採算部門であるものの,労働に応じた報酬,地域救急医療などへの展望が示されている。
 初日の司会を務めた行岡氏は,第61回アメリカ外傷学会(本年9月26日)に参加した印象から,「アメリカの外傷医は,限定された領域だけを診るのではなく,またERは72時間勤務シフトや初期外来でのトリアージなど,日本の救急医に近づいていると実感した」と報告。また,最初の話題提供者である脳神経外科を専門とする救急医からは,救急医の条件として,(1)救急医のアイデンティティは,重層的かつ多次元的で,時代とともに日々変化する,(2)他科との対話の中で開かれたアイデンティティを形成する,などが指摘された。また,2日目の司会の有賀氏からは,「昭和大でのERの取り組み」も紹介された。
 これらの意見を踏まえ,参加者間では3日間を通し,「内科医は,どの施設に行っても同じ内科診療だろうが,救急医は施設によってその役割が違う。そこからアイデンティティクライシスが発生する」,「日本の救急医は,今後アメリカのER型に近づくのではないか」といった救急医としてのあり方やERに関する議論をはじめ,「救急は先が見えないからこそおもしろい」,「救急医は血が騒ぐからやめられない」という意見への賛否論が繰り広げられた。
 また,学生,研修医,患者にとっての救急医のイメージや,魅力的な救急医学,専門性とジェネラリストの問題なども話題となった。その上で,「救急医はチーム医療のコンダクター。21世紀は救急の時代であり,救急をライフワークとする医師が必要となる」,「救急医療法制定の動きや研修医制の導入を背景に,労働時間の問題やシフト制について考えていけば将来は明るい」という将来を展望する意見もあった。