医学界新聞

 

連載(32)  微笑の国タイ……(14)

いまアジアでは-看護職がみたアジア

近藤麻里(兵庫県立看護大・国際地域看護)

E-mail:mari-k@dg7.so-net.ne.jp    


2499号よりつづく

【第32回】ある僧侶を通してみるタイの現実

都市と農村地域の絆

 タイに暮らしていて,バンコクへ出稼ぎに来ている若者たちと仲よくなると,「田舎の家に遊びにおいで」と誘われるようになります。  バンコク市内から,超スピードの夜行バスに乗ると,翌早朝にはタイ北部へとたどり着きます。そこには高床式の家々が,緑の深い木々の中に立ち並んでいて,周辺には果物がたわわに実り,枝を弓なりに反らせています。そして,「ここには,飢えはないんだろうなあ」と,腐ったまま枝にぶらさがっている果実を見て思うのです。しかし,隣の家では,両親がバンコクに出稼ぎに行き,小学生の子どもたちは,病気がちな祖母の面倒をみながら暮らしていたりもします。そして,娘たちが出稼ぎで稼いできたお金で,豪華な電化製品を購入したりしている親族たちの姿も,また目の当たりにするのです。
 都市と農村地域の切っても切れない絆は,こうして人々の普通の生活の中に存在しているのです。しかし,その出稼ぎから戻ってきた時に,彼・彼女らには思わぬ現実が自分に突きつけられることもあります。それが,例えばエイズの発症であったりするのです。

 この夏,私は北部タイに行く機会がありました。「日本国際保健医療学会西日本地方会世話人会」が主催する,「第5回国際保健医療フィールドワークスタディツアー」(2002年8月7-16日)に同行したからです。このスタディツアーには,医療系の学生10人が参加をしました。
 私は,参加者とともに,特定の施設で目にするような患者としてではなく,このようなのどかな風景の村の中で生活する「エイズとともに生きる青年」に会うことになったのです。

エイズを生きる青年との語らい

 村の中心に位置する寺院の僧侶は,その地区のコーディネーター役を担い,午前中から私たちと時間をともにしていたのですが,彼は,「25歳のエイズを発症している青年を訪問するのだが,一緒に行こう」と,その青年の家に連れて行ってくれました。
 青年の家で話したことは,
 「テレビはよく見るの?」
 「うん,新しい歌とかタレントに興味があるし,よく見ている」とか,
 「日本では,地震があるらしいけど……」
 「タイは,地震のない国だからね。そうそう富士山は噴火しないの?」と,僧侶が割りこんで訊いてきたりもしました。そして私たちは,タイ語のイントネーションの心地よい響きと,村の緑の匂いと風の音を楽しんでいたのでした。僧侶は,寺院の正面に位置している幼稚園と小学校も案内をしてくれました。そして夕方になって,この子どもたちと別れを惜しみながら,滞在先のホテルに戻ったのです。
 それにしても,なぜ私たちは,青年に対してエイズに関する質問をしなかったのでしょうか。それは,彼と普通の会話をすることが,その場では最も自然のような気がして,その気持ちに素直に従っただけ,というのが理由です。初めての訪問で,しかも初対面の彼へ,「エイズ」を話題に出すことは,無神経にその人の心に踏み込んでいく気がして,質問ができなかったのでしょう。それに,エイズのことを話題にしなくても,他に会話の話題はたくさんあり,笑っている時間を共有できたのです。
 僧侶は,エイズについてまったく質問しなかった私たちを,「初めからそう思っていたからこそ,彼のもとへ連れてきたのだ」,と言わんばかりの表情で見つめていました。

許されない差別・偏見-僧侶の原世界

 しかし,この40歳だという若い僧侶は,エイズ孤児の話になると,やや熱を帯びたように語り始めます。案内をしてくれた小学校では,授業の最中であるのも何のその,黄色い袈裟姿でおかまいなしに,次々と教室の中に入っていきます。そして,エイズや病気で両親を失ったため,寺院に預けられている少年たちを全身で可愛がるのです。そのいたずらっぽい表情と姿は,今まで会ったどの僧侶とも違っていました。エイズに偏見のあった村人たちの考え方を,少しでも変えられるのならば,と活動を始めて,すでに10年近くが経っています。
 「エイズというだけでの偏見や社会的な差別は,決して許されることではない」という強い信念のもとでの彼の活動は,日本のNGOからも賛同を得て,力強い支援もされています。
 寺院を離れる前に,どうしても知りたかったこの僧侶の生い立ちについて,失礼であることを承知で訊いてみました。
 「私は親を知らないのです。ずっとこの寺で育ちました。教育を終えた時に,自分はここで僧侶になる,という道を選んだのです」と,静かに話してくれました。
 孤児となった少年たちへの無償の愛情は,この子どもたちが自分に重なって見えるからなのでしょうか。差別や偏見が許せないという原点も,このような生い立ちに関係しているのかもしれません。1人の人間の情熱は,数千人の村人の意識をすっかり変えてしまうほどの力を持つのだと,改めて思い知らされました。そして,この僧侶が人間としてとても魅力的であるからこそ,人々もまた心打たれたに違いないと思うのです。
 しかし,この僧侶は決して一筋縄ではいかない頑固さと厳しさを秘めた,とても威厳のある方だったことをつけ加えておきます。