レポート
マレーシアの家庭医療
プライマリ・ケアの教育施設を訪ねて(後編)
大西弘高(イリノイ大学医学教育部)
マラヤ大学医学部プライマリ・ケア医学部門
マラヤ大学(University of Malaya)は,マレーシアの前身,マラヤ王国の名前を被っており,1949年創立ということなので,やはり独立以前からの歴史を持っている大学である。シンガポール地域も含めて一大アカデミックセンターとしての地位を築いてきた由緒が感じられる荘厳な雰囲気であった。ここも,キャンパスは非常に広いが,おそらく増築につぐ増築のせいか,大学病院と大学医学部の中を汗をかきながら探し回ってようやくプライマリ・ケア医学部門〔Department of Primary Care Medicine(http://www.um.edu.my/FU/FURU.htm.)以下,RUKAというマレー語の略語で〕に辿り着いた。さて,部長のDr. Chiaは非常に仕事のできそうな女性といった風貌であった。午後2時の約束をしていたが,「私はちょっと忙しいからね」と前置きしたかと思うと,2分で私の要望を尋ね,「では,新しく来た講師の先生と話をしてもらうから,ここで」と言ったかと思うと,背を向けて他の仕事をし始めた。4時間待って2分半診療というクアラルンプール病院での調査結果を聞いた後だったので,マレーシアの患者がこのように短時間で対応されているのだなという印象を持った。
紹介を受けたDr. Sajarは,大学卒後4年間でMaster of Family Medicineを取得したというエリートだが,まったく忙しそうな雰囲気を見せず,優しそうな雰囲気の女性であった。RUKAについてはスタッフ11名だが,マレーシアでもこのような部門は全体的に新しく,Dr. Chiaは内科,もう1人の教授は外科の出身であるらしい。Dr. Sajarは研修医の時から,教員としてこのRUKAに加わるよう声をかけられていたということであった。
マレーシアの医療保険制度
マレーシアの医療保険制度は大きく公立と私立に分かれ,公立は一律ほぼ無料,私立はかなり高いというのが一般的なのだが,UMの大学病院は教育施設ということで患者が増え過ぎないように私立病院に近い価格設定がされている。よって,受診料がRM5(RM1=30円)となっており,貧乏な患者はやや受診しにくいようである。入院すれば一泊RM65,食事RM15という入院料(食事,薬剤,検査,診察料はすべて別。ただ薬剤料は4週まで一律RM10というレベルらしい)は私がクアラルンプールで泊まっていたホテルとあまり違わない。もっとも,私立病院ならば,受診料RM15,入院料RM150-200というような価格になってしまうので,大学病院にはそれなりに人気はあるようではある。特に,政府役人は大学病院だと無料という特権を活かすことが多いらしい。マレーシアの医師の給与
医師の給与は,プライマリ・ケア領域よりも専門領域で高いのは間違いなく,プライマリ・ケア領域なら研修医の月給がRM2000,認定医の月給がRM5000程度だが,専門領域の認定医などに関してはRM10000とか,私立病院での高給取りはRM50000というような違いがあるらしい。そういうことを考えると,国立大学の講師が1000cc程度のマレーシア国産車(とってもかわいい雰囲気ではあるのだが)に乗っていたのは何となく理解できてしまう。この国産車ならRM30000台で買えるらしいので……。家庭医の認定プログラム
Master of Family Medicineのプログラムは,1年目は病院で内科,産婦人科,小児科の研修,2年目は前半が外科や他のマイナー科の外来研修で,後半と3年目の計1年半は大学病院内に位置するRUKAでの外来研修,4年目は地域での診療所での研修という形だそうだ。RUKAは,大学病院の主たる棟(病床600床強)とは別棟になっており,検査体制なども別になっているため,そこで行なわれる診療は日本の総合診療よりは独立した形で行なわれているようであった。例えば,コレステロール測定が必要ということになれば,大学病院側に紹介せざるを得ないという形なのである。ただ,人口の8%であるインド系以外の患者には肥満は少ないし,コレステロールの頻回なフォローアップやHMG-CoA還元酵素阻害剤の投与もかなり少ないとも予測された。Master of Family Medicineの認定試験は,まだ十分に普及している制度ではないらしく,今はマラヤ大学とクアラルンプールにあるケバングサーン・マレーシア大学の2校だけが認定研修施設ということになっているらしい。この認定試験はPart 1とPart 2の2つに分かれており,Part 1(1年間の研修修了時)こそMCQ(Multiple Choice Questions),MEQ(Modified Essay Question:表参照),PMP(Patient Management Problem)程度だが,Part 2は試験に2週間をかけるというとてつもない試験である。まず,試験前には論文の提出が義務づけられており,大抵は2-3年目のRUKAでの研修中に何らかの疫学的研究をするらしい。また,50症例ほどの報告も必要である。そして,それらが通れば試験に臨むことができる。
Part 2試験には,記述試験と実技試験がある。記述式には,上記のMCQ,MEQ,PMPとともに,検査のinterpretation,診断推論を問う形の他の試験が含まれるらしい。実技試験には,telephone consultation試験と言って,違う部屋から電話をし,患者の演技をした試験官と話して正しい対応をしなければならないもの,そして,試験官とのロールプレイセッション(short case 4つとlong case 2つ)がある。このロールプレイセッションは,なかなか試験官との都合が上手く合わないらしく,待ち時間が多いため困るということであった。もっとも,今のところ2つの大学が交互に試験を実施している状況だから,クアラルンプールあたりで試験をする限り宿泊代が高くつくとか,移動に困るというようなことがあまり問題にはなっていないようだが,将来地方大学での認定を拡大する上ではこのような方法では難しそうに思えた。
研修も試験もかなり厳しいものなので,研修医の中には4年間のプログラムをもっと時間をかけて終えていく者も多いようである。マレーシアにおいて医学生の中に女性が多いというだけでなく,この分野にはもっと女性が多いため,妊娠出産というようなことで時間をかけてキャリアを積むという方法がさほど稀ではないという文化もあるらしい。
表 MEQ(Modified Essay Question:記述式試験)の例 | |
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見学を終えて
マレーシアの医療制度,プライマリ・ケア教育制度についてまとめてみると,首都クアラルンプール近郊においてはかなり水準の高いヘルスケアが提供され,教育も整いつつあるという印象を受けた。ただ,貧富の差の大きさなど社会的な問題はまだまだ大きく,保険制度の抜本改革に関して政治的決断が10年間先送りされ続けているというのは納得できる気がする。プライマリ・ケアの教育に関しては,比較的どの教員も熱意を持っていると感じたが,ちょうどこの領域に関して制度が整い,政治的にも拡大が図られつつあるからなのかもしれない。(了)