医学界新聞

 

連載(全5回)

院内感染対策のストラテジー

第5回(最終回)日本の課題
五味晴美ジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生大学院
日本医師会総合政策研究機構在米研究員


2501号よりつづく

 今回は,これまでのまとめと今後の日本の方向性について考えていきたい。第1回から第4回までで,米国における院内感染対策の歴史および現状を概観してきた。これらを踏まえ,現在の日本の院内感染対策における問題点をまず列挙したい。集約すると,(1)専門性の確立,(2)人材育成,(3)医療経済学的インセンティブの3つである,と筆者は考える。

感染症科の重要性を認識すべき

 (1)の専門性の確立についてであるが,米国の例のように,臨床の感染症科が各医療機関に設置される必要がある。そのためには,まず大学の医学部の中に独立した専門科として普及することが必要である。現在,国立大学系において,感染症科は例えば東京大学には感染症内科として存在するが,その他の大学で,独立した部門としてはほとんど存在していないのが現実である。また,東京都立の病院などのように「感染症科」を標榜している病院は増えつつあるが,診療内容がHIVや旅行者の熱帯病に限られているなど,米国のように総合的な感染症科の存在はまれである。
 専門科を設置するのには,(2)の人材育成とも連結するが,臨床の感染症科を扱える人材の育成が不可欠である。入れ物と中味の関係に似ているが,入れ物(感染症科)だけがあっても成り立たないし,中味(感染症科医)があっても活躍の場がシステム上保証されない限り,フルに活躍するのは難しい。筆者は,東京近辺の病院で,米国の臨床の感染症科のコンサルテーションに準じた方法で臨床上の相談業務を行なっている。それは,その病院全体が,感染症科の重要性を認識し,病院独自のシステムを作ることができたため実現したと言える。

臨床検査室の院内設置

 次に,この専門性の問題の中には,現在の日本に重大な問題が1つあるのでここで述べたい。感染症,特に院内で発生した感染症の診断は,培養などの微生物検査がその根幹をなしている。つまりいくらトレーニングを積んだ感染症科医も,適切な診断が下せる設備のないところでは活躍のしようがないのである。ところが,2000年12月の医療法改正でこれまでの規制が緩和され,医療機関が臨床検査室を設置することといった規則が廃止された。すなわち,臨床検査全般の外部委託(以下“外注化”)が法律上促進されることになった。事実,大学病院,国立病院をはじめ,特に中小の医療機関では,臨床検査,中でも最も採算の合わないとされる細菌検査を外注化し,経営効率を上げるといった動きが加速している。しかし,この動きでは,採算の合わない部門の効率化という経済学的なインセンティブのみで片づけてはならない重大な欠陥が見逃されている。
 2002年1月に東京都内の病院で,医療上の不適切管理が原因(=医原性)の同一菌セラチアによる院内感染の集団発生(アウトブレイク)が起こった。ここでは微生物検査室が外注化されていたことによって,アウトブレイクの認識が遅れたことが否定できない。つまり,院内に微生物検査室が存在しない(院内で,感染症の診断機能を有しない)病院では,同一菌が同時期に多発していても,それを認識することは非常に困難である。
 例えば,2人の患者が隣り合っているとしよう。この2人が,同一菌による院内感染のアウトブレイクを起こしているとする。院内に微生物検査室が存在しない場合,外注化した時の細菌検査結果は主治医に直接報告されることになる。主治医同士が,たとえ隣り合った患者でも,その2人の患者の検出菌について情報交換することはきわめてまれであろう。となると,死者が多数出るなどのよほど“異常”な事態が起こるまで,このアウトブレイクは認識されないことになる。一方,院内に少なくとも微生物検査室が存在すれば,検査室で,同一菌が複数の患者から同時期に検出されていることは一目瞭然なのである。
 このようにこの問題は,単純にコストを下げるために外注化を促進する政府の浅はかな魂胆とは裏腹に,実は,国家としての危機管理(リスクマネジメント)の点でも重大な欠陥をはらんでいる。院内感染の集団発生の認識の遅れのみならず,米国で起こったようなバイオテロリズムがもし日本で起こった場合,院内に細菌の検査,診断機能を持たない病院で,特に国家の中心的医療機関である大学病院などで細菌検査機能をまったく外注化していれば,パニックが起こることは容易に想像がつき,必要以上の犠牲者が出ることが予測されるのである(ちなみに,炭疽菌を疑った場合,グラム染色という単純な検査で診断は30分以内にできる。外注化していれば,検体の搬送自体に数時間,診断の報告までに数時間などの時間のロスが生じる)。
 また,最も基本的なことであるが,微生物検査は,“生きた物”を扱うため,外注化し搬送している時に検体の保存方法が不適切であれば,死んでしまうか,異常増殖することになる。死んでしまえば診断は不能,異常増殖すれば,定量的な検査はまったく無意味になる。さらに,適切な臨床情報抜きには,標的として検出しようとする微生物の想定も困難である。つまり,微生物によっては特殊な培地なども必要であり,検査をオーダーしている医師と検査する技師の間で,頻繁な臨床情報の交換が必須である。外注化すれば,こういったことも非常に困難になるのは必至である。臨床検査室の外注化促進問題では,院内に検査室を持つ良心的な病院が適切な医療を提供できるように医療経済学的インセンティブを生み出すような法律改正をする以外,解決法の糸口はないように思われる。

教育に変革が必要

 (2)の人材育成についてであるが,これは何も感染症科に限ったことではない。現在日本が直面し,緊急性を持って解決すべき課題の1つに,医学部教育,卒後研修がある。現時点での世界の標準とされる医療を提供できる臨床医を育てることは,今後の日本の医療を考えるうえで非常に重要である。医学教育改革の大きなうねりの中で,ぜひとも感染症科医をめざす若いパワーが育つことを期待している。筆者は,人材育成は,短期的目標と長期的目標の2つに分けて考えるのがよいと思う。短期的には,やはり確立した研修システムを持つ欧米に人材を派遣し,そうした人材が帰国して各医療機関で指導的な役割につくのが望ましい。同時に短期的に講師として欧米から専門家を招聘し,院内のスタッフの教育に携わってもらうと効果的であると考える。長期的には,少数ずつでも指導できる人材が核になり,医学部教育のレベルから変革が必要であろう。

患者中心の医療に向けて新しいシステムを

 (3)の医療経済学的インセンティブであるが,例えば,筆者が感染症科医として患者を診察し,なんらかの助言を主治医に与えても,それは診療報酬にはならない。つまり,医療機関にとって,感染症科のコンサルテーション業務は,病院の利益を生むものではないのである。少数ではあるが,いろいろな病院で,この診療報酬につながらない感染症科のコンサルテーションをめぐって議論が起きはじめている。筆者の考えでは,特に感染症科は,手技をしていくらという科ではなく,専門性の高い知識と臨床判断が“売り物”である。こうしたことが何らかの形で医療機関に診療報酬として還元されるように制度を作る必要があると考える。また,患者の立場で言えば,受診のための医療機関選択に際し,その医療機関にどのような専門医がいて,どのような診療を受けることができるのか,適切な院内感染対策をとっているのかどうかなどということを,選択基準の1つとして利用できるシステムが理想である。適切な院内感染対策の実施の有無は,基本的な医療情報として,受診前に患者は知る権利があると言える。そうなれば,自然と質の高い医療を提供している医療機関は生き残り,そうでない医療機関は患者に選択されないことになる(医療機関の広告は規制緩和される方向に傾いている)。
 最後に,いろいろなことを5回にわたって書いてきたが,その中心にいるべきは,言うまでもなく患者である。院内感染に限ったことではないが,患者が入院中にいかに安心して治療を受けられる環境を提供できるかということは,医療従事者の永遠の課題であるとも言える。筆者のこのシリーズが,日本の医療機関で院内感染対策を考えていくうえでの一助になれば幸いである。