医学界新聞

 

レポート

各国の家庭医がマレーシアに参集
――世界家庭医機構(WONCA)印象記

大西弘高(イリノイ大学医学教育部)


 今回,マレーシアのクアラルンプールで3月31日-4月4日に行なわれた第12回世界家庭医機構(WONCA)アジア太平洋地域カンファレンスの後半,そしてゲンティン・ハイランドで4月4日夕-4月6日に行なわれたWONCA2002ポストカンファレンス・ワークショップに出席した。特にポストカンファレンス・ワークショップについてその感想を述べたいと思う。


マレーシアとは

 マレーシアはパーム油という天然資源に恵まれ,その輸出による経済的基盤が得られたとともに,他の東アジア,東南アジア諸国からの工業生産が安い労働力を求めたという状況から,1990年頃には急速な経済発展を遂げた。その経済は数年前に日本を皮切りに始まったアジアショックの影響を強く受けたものの,クアラルンプールはKLタワー(コンクリート製タワーで世界一高い),ペドロナスツインタワー(世界一高いビルディング),2000年以降ますます便利になりつつある鉄道網など,近代都市としての地位を確立している。
 クアラルンプールは熱帯雨林気候であり,年間を通じて最高気温32度,最低気温23度ほどで一定し,常に雨が多い(夕方に大抵スコールが降る)。都市部では衛生面の問題はかなり少なくなり,ホテルはもちろん,店や乗り物も冷房がよく利いている(大抵利き過ぎだが)。
 歴史的には,15世紀までは中国やインド,タイ,アラブ諸国のような周辺国からの影響が混じり合い,その後マラッカ海峡を巡るオランダやスペイン,ポルトガルなどの争いなどに常に曝されてきた。近代に入り,1867年から英国統治が始まり,プランテーション労働者の確保のため,インドや中国からの移民が増えた。1942年には一時日本の統治にもなったが,再度1945年から1957年の独立まで英国統治を受けたという点で,英国の影響は強い。
 政治や文化は,マレー系6割,中国系3割,インド系やその他1割というように混在する人種の影響を強く受けている。そこに国教イスラム教の影響が色濃く,豚肉やアルコールは口にできないし,街ゆくマレー系女性はチュドンという頭を隠すベールをかぶっている。しかし,宗教の自由はあり,中国寺院,ヒンドゥ寺院,キリスト教会も散在する。言語も入り乱れ,街の表示はマレー語,中国語,英語の3つ併用が多く,中学高校までの教育はマレー語が主流(一部が中国語や英語)だが,大学では英語教育という形になるらしい。街で英語が通じなくて苦労するという経験は一度もなく,マレー文化の維持と英語によるコミュニケーションがかなり上手く両立されている印象を受けた。
 マレーシア人と話してみると,非常に温かみがあり,打ち解けて話をしやすい雰囲気がある。特に米国や日本との相互理解は求められているようで,米国は映画や音楽,日本はアニメとトレンディドラマ(マレーシア最南端の街ジョホールバルはCDやDVDの海賊版で世界的に有名らしい)でよく知っているということであった。
 食事は隣国タイの影響が大きく,スパイシーなおかずと白飯というパターンが基本である。肥満や生活習慣病に関しては,死因の上位から感染症が姿を消し,平均寿命が男性67歳,女性75歳というふうに急激に上昇し始めてから徐々に問題化してきたという。

マレーシアの医学,医療事情

 医学や医療制度は,英国の影響力が大きいようだが,General Practitioner/Primary Care(以下GP)は英国ほど整備されているわけではない。医療保険制度が不十分であり,公立診療所はさまざまなサービスがほぼ無料(医療は1回受診により1RM[リンギット=約30円]の自己負担のみ),私立診療所は1回30RM,50RMというような自費支払いの2つの制度が並列している。医療保険制度についてはさまざまな政治的論議が10年ほど行なわれているものの,まだ決着がつかないままということである。例えば,クアラルンプール病院(Hospital of Kuala Lumpur)は2500床に及ぶ巨大病院コンプレックスだが,ある研究によると4時間待ち2分半診療だそうで,夜に救急外来を訪れて薬をもらうというような医療リソースの濫用もまかり通っているらしい。
 卒前医学教育については高校卒業後,生物学や化学などを1-2年学び,5年間の医学部に入学するというスタイルである。3年修了時にはBachelor of Medical Science,5年修了時にはMD(Doctor of Medicine)かMBBS(Bachelor of Medicine and Bachelor of Surgery)というDiplomaを得るのである。Family medicineやPrimary Careの教育は英国に原型を求めることが多いということだが,自分で開業すれば大学や公立病院,公立診療所で働く数倍の収入(公務員の月給は3000RM程度)を手にすることができるため,少しでも早く自分で開業したいというインセンティブが働きやすいことも問題である。
 マレーシアの入学選抜にはさまざまな問題が生じている。1つは人種の問題である。人口に比例した形で入学者の枠が定まっているため,中国系の学生が他の人種よりも遙かに高い点数を取ったとしてもやはり3割しか入学できない。入学後もその傾向が続き,様々なテスト成績で中国系のできない学生と他の人種のできる学生の点数が同じ程度というような二峰性になってしまうそうだ。そのため,常にもっと高いレベルの教育を要求する中国系と,やる気をなくしているその他という構図が生じやすいらしい。もう1つは性別の問題である。マレーシアではとにかく女性の進出が目立つ。現在医学生の6割を女性が占めているが,人種と同様に性別によってもある程度入学者の率を決めて,男性がこれ以上減らないようにしたいということも考慮され始めている。ただ,宗教的理由から女性患者は女性医師に診療を求めることが病院においても稀ではないし,女性医師にとって問題となりやすい子育ては家政婦(1か月でフィリピン系500RM,インドネシア系300RMが相場)に委ねることができるというようなさまざまな事情もある。

WONCA2002ポストカンファレンス・ワークショップ

 今回のテーマは「Preparing General Practitioners As Excellent Vocational Mentors and Examiners」であった。プログラムの概要は,4月4日はGPの教育に関する各自の問題点の紹介や討論,4月5日はGP現場におけるMentor(個人的指導医)の役割について,4月6日はMentorによる教育の改善に向けての取り組みについてであった。会場となったゲンティン・ハイランドは2000メートルの山頂にあり,マレーシアで唯一のカジノやテーマパークを持つ一大リゾートである。ホテル内の大広間は豪華ではあったが,机や椅子を並べると広過ぎる印象であった。今回のファシリテーターは,家庭医療学を基盤に研究手法について学んでいるというマレーシアのShajahan Yasinがニュージーランド家庭医学会のPeter Morrow,Jane Stewart,Sam Hillの3名の全面的バックアップ(Mr. Morrow,Ms. Stewartは医学領域以外の教育専門家として)を受けていた。そして,70名の参加者は,マレーシア国内から50名近く,モンゴルから10名弱,その他さまざまな国からであった。
 4日の討論では,GPの教育に関していくつもの国で卒前教育,卒後初期研修ともにかなり系統的な取り組みがみられた。日本では卒前教育において診療所実習が試行され始めた程度,卒後初期研修でのGP教育プログラム選択者が1%未満という実態は大きな驚きを持って受け止められていた(ソウルにあるYonsei大学家庭医療学のDr. Kangは,韓国で家庭医療学卒後研修プログラム選択者が10%しかいないと言って恥ずかしそうにしていたが,日本はそれにも及ばない)。
 5日は,GPを含めたすべての医師が教育に携わらなければならないという考えを基盤として,Mentorの役割についての討論,フィードバック方法についての講義や討論,Mentorと研修医のロールプレイの実演が中心であった。Mentorは,米国ではPreceptorと呼ばれているものにあたり,診療所での指導医という意味で使われている用語である。数年前に新設された国立大学の医学部のDr. Zaiton(プトラ・マラヤ大学家庭医療科)は家庭医療学の卒後研修プログラム立ち上げに携わっているとのことだが,よい指導医を集めることがとても難しい課題だとこぼしていた。卒前教育はGPを20人ほど確保し,半日で50RM(通常は2週間プログラムで学生を引き受けると,その期間で1000RM)がそのGP指導医に支給されるため,それなりの質を確保できるそうだが,卒後初期研修についてはまだ財源や人材の面で追いつかないらしい。
 ニュージーランドやマレーシアで家庭医療学認定医試験に用いられているさまざまな評価法については特に詳しく扱われ,通常のMCQに加え,10以上の選択枝を持つ多肢選択問題,写真や検査データから診断を推論し選択する問題,Key Features Problems(カナダの国家試験で用いられている診断推論用問題),Simulated Consultations(いわゆるOSCEのような標準模擬患者とのセッションで,ニュージーランドでは8症例,マレーシアでは3症例で実施)などが解説された。ニュージーランドでは,合格率7割強というような数字だったが,テストの信頼性,妥当性という意味では限界もあるため,一旦落ちても6か月後に再受験可能ということであった。
 6日は,Simulated Consultationに関するさらに詳細な内容,GPが各自の診療を監査(audit)するということの重要性,マレーシアで診療所実習中の学生が研究的プロジェクトとしてこの監査を行なう取り組みに関する報告があった。診療所監査について例に挙がっていたのは診療所での待ち時間の調査とそれを減らすための取り組みである。各々の診療所でさまざまな要因があると思われるが,その1つひとつを各診療所の文脈において調査,分析し,対策を講じるというのは,診療所管理者にとっても診療の質向上という意味からメリットがあるし,学生にとっても研究プロジェクトに携わることで理解を深められるというメリットがあるため,非常によい方法だと感じた。
 さて,全体を通じての感想だが,会場が広過ぎる,また,音響設備がやや不十分で時にビデオや講義の内容が聞こえにくい,コンピュータによるプレゼンテーションではなくホワイトボードに書くという伝達手段なので,多く後方の参加者には読めない,学習用冊子は目次もページ記載もなく内容を探すのに苦労する,講義内容と学習用冊子の内容は一致しない部分が多い,など教育方略に関する問題点がかなり多く感じられた。しかし,GPの教育というまだ経験の浅い分野にかなり果敢に取り組んだゆえの結果とも考えられ,その熱意は非常に伝わってきた印象であった。
 日本では,まだ診療所でのGP教育という考え方は一般的ではないが,近い将来普及するとともにその質が問われていくことになるだろう。その際にどのような取り組みが必要なのかという点について多くの示唆が得られたように思う。



大西弘高氏
1992年奈良医大卒。天理よろづ相談所病院での5年の研修を終え,1997年より佐賀医科大学総合診療部。2000年夏よりイリノイ大学医学教育部に留学し,医療者教育学修士課程を修了。専門は,総合診療,医学教育。診断推論プロセスに関し,認知心理学的な研究を進めている。