医学界新聞

 

〔連載〕How to make <看護版>

クリニカル・エビデンス

浦島充佳(東京慈恵会医科大学 臨床研究開発室)


前回,2496号

〔第16回〕医療現場における紛争解決(1)

 近年,日本でも医療過誤が新聞をにぎわすようになりました。それに関して,「医療過誤は昔からあったのだけれど,マスコミが最近騒ぎ立てるから目立つだけだ」と開き直る人もいるでしょう。医療費の締めつけ,人員削減,そして医療の質の低下と考えれば仕方のないことなのでしょうか?
 しかし,新聞記事などを注意深く読むと,リスクマネジメントシステムが至らないという問題以前に,人間対人間の関係の希薄化があるように思うのです。それは,医師と患者の関係も指しますが,それだけではく,医師と看護職などの異業種間,そして診療部間,あるいは同じ診療部でさえもあり得ます。私たちは,日常のコミュニケーション不足が知らず知らずのうちに,患者さんたちを危険に曝す可能性があることを,プロとして自覚していなくてはならないのでしょうか。

調停

 紛争が激すれば裁判となります。しかし,その前に調停という方法があります。アメリカでは医療の現場でも,患者側と医療者側の間で,あるいは医療者間,病院間で盛んに用いられるようになってきました。
 本連載の主軸である,「クリニカル・エビデンス」とは,ちょっと外れるかもしれませんが,医療に携わる者には大いに示唆するところがありますので,今回から数回にわたり,「ハーバード生涯教育シリーズ」で取り上げられた,調停場面のロール・プレイを紹介したいと思います。

主治医を訴えると言い出した事例

登場人物:ボブ・ベネット/調停員,レズリー・ブラウン/患者遺族,テッド・タッカーマン/主治医
背景:レズリーは母親を肺癌で亡くしたばかりである。テッドは彼女の主治医であったが,入院するまで肺癌とは気がつかなかった。レズリーはテッドを訴えるとしているが,テッドの勤める医療グループからボブに調停依頼があった。ボブは事前にカルテ等を閲覧し,レズリーとテッドに個別に面会を済ませ,本日調停の運びとなった。
ボブ 最初に調停の意味と私の役割を説明させてください。裁判では裁判官あるいは陪審員が判定を下しますが,調停では紛争解決はあなた方次第です。私たちは一緒に問題を吟味し,お互いが受容できる解決法を探ります。その解決法が気に入らなければ,さらに新しい解決法を考えましょう。このことは,もちろん,あなたの望みがすべて叶うことを意味するものではありません。現状を解決するためには,お互いの立場と考えに耳を傾け理解することが必須です。ですから,私の役割はあなた方が話に耳を傾け,双方の思いを理解し,選択肢を考え,合意に達するよう支援することであって,あなた方の主張がどのように違うかを明確にするものではないのです。くどいようですが,よい方法を創造するのはあなた方なのです。
 電話で話した通り,ここでの会話は一切書類として残りません。私は最終的に依頼のあった医療グループ長に合意に達したかどうかを報告するだけです。また,法律でも規制されている通り,ここで私が聞いた内容を裁判所で証言することは禁じられています。この決まりは,お互いの話し合いで現状を解決することを裁判所も含む皆が望んでいることに他なりません。ですから,各々,この機会を利用して,自分の思いを告げ,相手の話を聞き,誠意ある解決をしてください。この調停には2人とも自由意志で参加しているわけですから,話がうまく進まないと思ったら中止にしていただいても結構です。逆に解決したら,その内容を書面に記すよう準備を進めます。
 あと,もう1つ大切なルールを言うのを忘れていました。1人が話している時は,1人は黙っているようにしてください。相手の話に耳を傾けることは非常に大切なことですから。何か質問はありますか?
 (レズリーとテッドは,お互いに握手を交わした)

母と娘

ボブ それではブラウンさん。最初にあなたから話を聞かせてもらえますか。
 (レズリーはボブに彼女の話をし始めた。彼女は,タッカーマン医師が肺癌の初期症状を見落としたことも指摘はしていたが,医学的な問題というよりは,自分の母親の思い出話のほうが多い傾向にあった)
ボブ (彼女の話が終わった時点で)レズリー,私の理解した範囲では,テッドはあなたの母親の肺癌の初期症状を見落とした,もしも肺癌が早く発見されていれば,あなたのお母さんは助かっただろう,ということですね。
レズリー はい,そうです。
ボブ テッド,それではあなたの番です。何が起こったのか,あなたの立場から説明してください。
 (テッドはレズリーに直接話し始めました)
テッド レズリー,私はあなたのお母さんを10年以上かかりつけ医としてずっと見てきましたから,彼女を失って私だってつらいことを理解してください。休みというとあなたのお母さんはケーキを焼いてきてくれました。
レズリー (ボブのほうを向いて)母の作るケーキは世界一だったわ。
テッド 医師は,大勢の患者をみて,タフな判断をしなくてはなりません。あなたのお母さんが,具合が悪いとは知らなかったんだ。
 (しばらく,静寂)
レズリー タッカーマン先生,あなたは所詮その程度のレベルなのよ。お母さんは自分の健康のことをいつも心配していたわ。あなたのクリニックを受診した後は,必ず私のところに電話をしてきて,どういう症状で検査がどうだったかを詳しく話してくれたものよ。
テッド (よく耳を傾けた後に)そう,その点同感です。しかし,医師として,しばしば厳しい状況に立たされる。個々の患者の検査値を詳しくみなくてはならないし,一方で検査にかかる費用を抑えなくてはならないプレッシャーがある。ですから,私はバランスを考えなくてはなりません。
 (レズリーは頭を横に振って何も聞いていない風だった)

失われていく意志の疎通

テッド それじゃあ,私があなたの母親を何度も何度も診察して,たくさん検査をして,できる限りの薬を使っていればどんな病気であれ治ったと言うのですか。
レズリー そういうことを言ってるんじゃないわ,タッカーマン先生。あなたは最近私の母親をちゃんとみてくれていなかった。お母さんの具合が悪くなった時に,あなたはクリニックにも居ないし,見に来てもくれなかったじゃない。だから,あなたがお母さんを殺したのよ。
ボブ レズリー,ちょっと言葉がきつくないかい。
レズリー 彼女は死んだのよ。タッカーマン先生は母の主治医だったわ。それじゃ,なんて言えばいいのかしら。
ボブ テッド,私は癌の専門家ではないので,肺癌のことはよくわかりません。少し説明していただけませんか?
 (ボブはこの質問が情況を沈静化してくれればと願った)
テッド (深いため息をついて)肺癌は知らない間に進行する病気です。あるものは非常に早く進行し,そして致死的です。癌の中でも最も治療が難しい部類に入ります。あなたのお母さんは肺癌の中でも特に悪い部類に入りました。仮に,お母さんの肺癌を少しでも早く見つけたとしても,結果は大して変わらなかったでしょう。お母さんは,喫煙者ではありませんでしたが,他の人の吸うタバコの煙をたくさん吸っていました。肺癌の症状は風邪と区別がつきにくく,あなたのお母さんが症状を呈し始めたのも風邪の多い冬でした。
ボブ レズリー,テッドの肺癌に関するコメントを聞いてどう思いましたか?
レズリー (しばらく黙っていたが)わからないわ。彼女が死ぬ運命にあったことは避けられなかったかもしれない。でも,タッカーマン先生は明らかに誤診をしたと思うわ。
 (ボブはテッドの様子をみると,感情が激する寸前だった)
ボブ このあたりで一度話を打ちきって,個別に話を聞きたいと思います。テッド,最初は君から話を聞かせてほしい,そして,その間レズリーは,しばらく部屋の外の待合室に居てくれないか。