医学界新聞

 

 〔連載〕ChatBooth

 希望はあきらめないで,何度でも打ち上げて

 加納佳代子


 後輩が,昨年の10月に癌で亡くなった。あるクリニックに,彼女の好きな言葉とともに,彼女の好きだった本『ユとムとヒ』(斎藤隆介作,滝平次郎画,岩崎書店刊)がそのままはめ込まれた「額」が飾られているというので,私はその「額」を見せてもらいにクリニックに出向いた。
 昨年の12月に開院した「トータル・ケア・クリニック」と銘打った小さなクリニックは,駅からも近い小ざっぱりしたつくりの2階建ての建物であった。このクリニックは電子カルテを導入している。すべての患者は,「わたしのカルテ」というファイルを持っており,検査データだけでなく,医師や看護師の記録もそのままプリントアウトされて渡される。
 花に飾られた玄関を入ると,1階には診察室や検査室がある。階段をのぼった突き当たりの壁には,日本での純粋種が絶滅した「朱鷺」が描かれた大きな絵画が飾られている。階段上の右手はレストランとなっており,その窓枠は「額」に見立てられ自然の緑が見事に「絵」となって並ぶ。隣の公園の木々であった。この場で,学生ボランティアがピアノを弾く。左手に回るとソファがいくつか置かれており,ここでは患者遺族へのグループセラピーが行なわれる。これも,ボランティアが支えている。
 その柱の影に,後輩が寄付をしたお金でつくられたという「額」がさりげなく飾られていた。彼女の好きだった言葉というのはこうだった。
 「希望は,大きいほど打ち上げると重くて落ちる。でもあきらめないで何度でも打ち上げよう」
 彼女は,このクリニックができるのを心待ちにしていた。クリニックのために何かがしたいといって寄付をしたのだ。発病から,亡くなるまでの9か月間のほとんどを,彼女は自宅で過ごした。遺体を乗せた霊柩車は,小学校の教員だった彼女が最も帰りたかった現場,勤務先の小学校の校庭を1周してくれたという。誰が何をしても,「えっ! すごい!」といつも感心をしてくれる人で,さぞかし子どもたちは,彼女の笑顔と感嘆詞に包まれて育っていったことだろう。
 「額」を見てきたことを,彼女の夫に電話すると,彼はこんなことを語ってくれた。
 「彼女は,当初専門病院で抗癌剤治療をしていました。そのためにタクシーで病院に向かうのですが,病院が近づいてくると息が荒くなっていきました。病院へ行くという恐怖におびえていたのでしょう。しかし,専門病院の通院をやめ,次の医師と出会ってからは違いました。彼は,クリニックの準備をしながら他の病院を借りて診療をしていたのですが,それからの彼女は,タクシーが病院に近づくにしたがい,だんだんと穏やかな表情になっていったのです。彼女は,希望を捨てないで最後まで生きようと思っていました。本当に,彼に会えるというだけで気が楽になっていったようでした」
 専門病院に行って,最初に彼女に与えられたのは「絶望」だった。 「あなたという『個』は絶滅しますよ」と,宣告されたのも同然だったのだろう。最後まで看取ったクリニックの医師は,彼女の求めるあらゆる情報を提供し,かつ彼女に「希望」を与えた。「あなたは『種』として生き残ることができる」と言われているようだったのだろう。だから,最後まで「希望」を「天に打ち上げ」続けていた。そんな気がした。
 クリニックの「朱鷺」の絵も,「種は生き残る」という,「希望」につながっていることを象徴しているかのようであった。