医学界新聞

 

座談会

国際スタンダードの臨床研修をめざす

――沖縄県立中部病院のアメリカ式臨床研修

安次嶺 馨氏
    (沖縄県立中部病院副院長)
我那覇 仁氏(同小児科部長)
吉村 仁志氏(同小児科医長)
坂田 顕文氏
    (同小児科チーフレジデント,
県立八重山病院)

藤澤 ますみ氏
(同小児科レジデント)
Carlos Lifschitz氏
    (ベイラー大准教授,
中部病院コンサルタント)


■アメリカ式の臨床研修

臨床研修の3つの目標

安次嶺〈司会〉 本日は,沖縄県立中部病院(以下,中部病院)で進めてきた卒後臨床研修の経験を踏まえて,小児科医の立場から日本の卒後臨床研修のあり方について考えてみたいと思います。
 中部病院の臨床研修プログラムで研修を受けた人は,600名以上にのぼっています。ここでのアメリカ式の卒後研修は,現在の厚生労働省が考えている,日本における卒後臨床研修の1つのモデルにもなっています。なぜこのようなプログラムが沖縄にできたのかを振り返ってみたいと思います。
 戦後20数年,沖縄には医療機関も医療従事者も少なく,非常に厳しい医療事情にありました。そこで当時の沖縄を統治していたアメリカは,県民の要望に応えて,臨床教育の進んでいるアメリカ式の研修病院を作ろうとしました。
 それ以前から日本の文部省が,沖縄出身の医師養成のために「国費留学制度」という,沖縄の学生を日本の大学医学部に送り出す制度を始めていました。ところが沖縄に研修病院がなく,留学生が卒業しても沖縄に戻らなかったという理由から,よい研修病院を作る必要がありました。
 1966年,中部病院はハワイ大学と契約を結び,翌年から厚生省の認可を受けて,卒後臨床研修が始まりました。これに大きな貢献をされたのは,ハワイ大学のゴールト先生で,中部病院の卒後研修プログラム・ディレクターをされた後,ミネソタ大学医学部長になられた大物医師です。
 ゴールト先生は,臨床研修を行なうにあたって3つの目標,「こういう医者をつくる」という理念を掲げました。
1.救急蘇生法をいついかなる場所でも独立して行なえる。乳幼児から成人までの気管内挿管,心マッサージ,輸液路の確保ができる
2.内科・外科・小児科・産婦人科の救急症例の初診,診察,処置ができる
3.正常産が1人でできる

 さらにゴールト先生は,このような臨床研修をなりたたせる必須条件として,以下の5つをあげています。
(1)十分な奨学金による生活の保証(アルバイトをせずに生活できる)
(2)院内宿舎の確保(病院の中に宿舎)
(3)24時間サービスの図書館の整備
(4)教育に専念するオフデューティ・スタッフの確保(教育だけに専念する,日常業務を免除されたスタッフ)
(5)質と量ともに十分な症例数の確保
 この理念は今でも受け継がれています。

患者は朝より夕方にはよくなっていなくてはいけない

安次嶺 我那覇先生は,中部病院を経てカナダのトロント小児病院で2年間勉強しています。そこでの経験から何を感じたかをお話ください。また,中部病院の臨床研修にその成果をどのように生かしているかをお話ください。
我那覇 私が医学部を卒業した頃は,中部病院の研修システムが脚光を浴びてきた時期でした。中部病院の2年間のレジデントの後に,集中治療に興味があったことから,国立小児病院の麻酔科とICUで1年間過した後,中部病院のスタッフとして戻ってきました。
 その頃,安次嶺先生をはじめアメリカで研修を受けたり,専門医のboardを取られた先生方が続々と中部病院に戻られ,とても刺激を受けました。そこで,カナダの医師留学資格試験(MCCEEIMG)を受けて,Hospital for Sick Childrenに留学しました。この病院は,800床と北米でも有数のベッド数を誇る,トロント大学医学部の小児病院でした。
 そこでの生活は,フェローは朝8時からハンドオーバー(引き継ぎ)をして,9-10時までは「シットダウン・ラウンド」という,スタッフと研修医が昨日入院した患者さんについて議論します。それから患者さんを診察して,4-5時には,またハンドオーバーです。そこでは,「患者さんは朝よりも状態がよくなったかどうか」が重視され,朝と夜で状態が同じだと「今日は何をしていたのか!」と言われてしまいます。時間がたってもよくならなければ,スタッフからアドバイスや指導を受けるのですが,このトレーニングは非常に効果があったと思います。
 ICUには心臓以外にも,頭部外傷や喘息の発作,溺水,児童虐待,薬物中毒など,ありとあらゆる,それも重症の子どもたちがやってきます。ここでたくさんの疾患を経験しましたが,いざ沖縄に帰った時に,自分に任せてもらえる分野が必要と思い,次の1年は循環器を希望しました。症例は多く,毎週10-12例ほどの心臓手術をし,心カテも相当数を経験でき,よいトレーニングになりました。
 テクノロジー面で比べると,カナダより日本のほうが進んでいるかもしれません。日本の救急室では,自由にできるCTや検査も,北米では簡単にはできません。保険の関係もありますが,カナダでは,本当にその検査が必要かどうかを最初に判断します。私も中部病院の研修医には,「その検査が必要ないと言えるということは,それを熟知していることだ」とよく言うのですが,それだけの自信を持てる教育をしよう,という考え方です。
 またカナダでは,短期間に多くの先生が,研修医にこと細かに教えてくれるところが長所ですね。その結果,北米の研修医は鑑別診断が豊富です。短時間でたくさんの知識が吸収できることを感じました。

自分1人で患者をみられる医師に

安次嶺 吉村先生も中部病院での研修終了後,海外でも学んでいますね。その時に得たことを教えてください。
吉村 私の医学生時代のベッドサイド・トレーニングでは,若い研修医が担当する患者数は少なく,また病棟には指導医がほとんどいない状態でした。上級医が1日1回病棟に顔を出すと,「なんでこの検査をやっていないんだ? もっと検査を出さなきゃダメじゃないか」と怒られていました。上級医とディスカッションをすると言うより,いろいろ悩んで本を見たり,まだ同じレベルの人に訊いたりしながら診療するという状況で,「本当によい医者になれるのだろうか?」と,とても不安に感じたものです。
 そんな時に,大学で真栄城優夫先生(現在ハワイ大研修プログラム・ディレクター,前中部病院長)から中部病院の研修制度について講演を聴く機会がありました。その時,目の前で具合の悪くなった患者さんをその場で助けることができる医者になりたい,全科を回って,医者として最低限のことは絶対にできるようになりたいと,インスピレーションに近いものがあって,縁あって中部病院の研修医になりました。

わからなければ患者さんを診る

吉村 中部病院の研修医は,診断と治療を学ぶのではなくて,「臨床」を学ぶのです。最も大切なのは,きちんと患者さんの話を聴いて理学的所見を取ることなのです。検査はよく考えて最小限のものをオーダーする。研修ではこのことを叩き込まれました。患者さんのことでわからないことを訊きに行くと,とにかく一緒にベッドサイドへ行って,一緒に診察するという指導医の態度に魅了されました。わからない時はとにかく患者さんのもとへ何度でも帰って,もう一度よく診る。わかるまで患者さんから離れない。検査至上主義の日本の卒後教育に欠けているこの点を最も教育されたと思いますし,自分もそれを目標にしてきました。

後輩を教えることは一生の栄誉

吉村 10年以上にわたって中部病院の卒後研修プログラムのディレクターであったタルウォーカー教授が小児腎臓病学が専門であったことから,私もそれを選択し,米国の小児病院としてボストンにつぐ歴史を持つロサンゼルス小児病院(CHLA)にフェローとして留学しました。フェローとは専門を決めて回る研修医のことで,一般の小児科研修は修了し,Boardの試験を受けて米国小児科学会の専門医となり,さらに専門の研修をする人をさします。私は米国留学試験(FMGEMS,現在のUSMLE)を受けて,このコースに入りました。
 1-3年目までの研修医と,4年目のチーフレジデントを含めて80名の研修医がいますが,3年目までの人が99%を占めます。チーフレジデントとなるには,それまでの3年間の成績で選ばれます。彼らは受け持ちの患者を持たず,1-3年目の研修医たちをスーパーバイズします。チーフレジデントに選ばれて,1年間若いレジデントたちを教えることは,生涯を通して勲章となります。これは,後輩を教えることが非常に重要視されていることの表れです。

屋根瓦式の研修に学ぶ

吉村 レジデントは基本的に,1年目の医師は2年目の医師から教わり,2年目の医師は3年目の医師から教わります。2年目の研修医は1年目の研修医を引き連れて朝6時半から回診し,その時にあがった難しい問題点は,われわれのような専門科研修医であるフェローに直接質問するべく,リストアップしていきます。フェローは直属の指導医スタッフと相談しながらそれらに対応し,講義を頼まれたりしながら学びます。まさに「教えることは学ぶこと」であり,教えるためにはたくさん準備をしなければならない。これが勉強になるのです。
 それから,これは東海大の黒川清先生がよくおっしゃいますが,研修医が1つの大学出身者ばかりでなく混ざっていることは,各人が切磋琢磨する上で非常に大切なことです。アメリカ医療の現場をみて,まさしくそう思いました。

■中部病院の臨床研修プログラム

中部病院でのレジデント生活

安次嶺 現在の臨床研修については,坂田先生,藤澤先生,いかがですか。
坂田 私は大学3-4年頃には小児科医になろうと決めていました。成長する子どもたちを診たいという思いがきっかけです。
 研修先に中部病院を選んだ理由の1つは,ローテーション制度を希望していたことと,母親が沖縄出身の小児科医で,中部病院で初期研修を受けたこともあり,2週間ほど見学したところ,殺人的な忙しさに不安を感じながらも研修を決めました。
 モチベーションは漠然としていましたが,「よい小児科医になりたい」という思いがありました。自分にとって「よい小児科医」とは臨床ができることで,最も大事なのは,自分の子どもを,自信を持って診られる医者です。
 中部病院の小児科研修は,救命救急センターから常時患者が入院するため,症例数がとても多いことが特徴的です。指導医,レジデントによるグループでの診療のため,私が関与している患者は2年間で約1500例,その内でNICUが100例,一般病棟が1400例です。主治医となったのは約500人です。レジデントの人数が少なく,当直の回数が常に月10回を越えハードでしたが,常に指導医に相談できる体制もあり,実践力を養うのにとても役に立ちました。
 昨年末に1か月間,ハワイ大で研修を受ける機会をいただきました。それまでは中部病院と他の病院の医療しか見たことがなかったのですが,中部病院の医療のルーツとなったハワイ大の医療を現実に見たことで,3者を対比させることができました。
 そこで見たものは,日本でも短いと言われる中部病院よりはるかに短い入院期間,予防接種の普及,全病室の個室化などや,日本の現状とはまったく異なる感染管理事情,小児科医のプライマリ・ケア医としてのすそ野の広さ(耳,関節,外傷などへの関わりが日本より強い),日本よりはるかに多い医療従事者,その他いろいろでした。もちろん,医療費の高騰や保険制度の欠点などからきている米国医療の歪みも垣間見ました。それらを目の当たりにして,中部病院や日本全体の医療の長所・欠点,今後進むべき方向性について考えるよい機会となりました。

守備範囲の広い医師をめざして

安次嶺 藤沢先生は,この1年間,中部病院でローテーションをやって,小児科医のスタートラインに立ったところですね。
藤澤 私は医学生4年次に,インドの小児病院へ1か月間おいてもらったことがあります。あるドナーが建てたものですが,その病院は,インド中から優秀な小児科医が集まってくる有名な病院でした。
 患者さんはどちらかというと裕福ではなく,中流よりも少し下の階級の人が多いという環境もあって,あまり検査オーダーは出せません。レジデントは手と耳を使い,聴診器1つで診断をしていきます。無駄な検査をすると,スタッフからどやされます。
 電解質1つ検査するにも,どうしてその検査が必要なのか,治療にどう影響するのか,という理由づけが必要になる。それをオーダーしたレジデントは必ず説明を求められる。そういう環境です。
 帰国後に大学のポリクリが始まりましたが,インドでの体験とは180度違うんですね。私は自分が診て,聴いて,なるべく少ない検査で診断できる医者になりたいと思い描いていましたが,なかなかそういうトレーニングができる病院には出会えなかったのです。
 6年の夏に中部病院を見学し,探していた病院に近いなど,とてもよかったので試験を受けました。
 自分の目から見た中部病院は,人がすばらしい。自分の寝る時間を削ってでも後輩に教えることをあたりまえのように考えているスタッフや先生方が多いんです。もちろん,「なんて当直の回数が多いんだろう」と驚きました。1か月に13回の当直をこなすことは,よい面もあります。例えば麻酔科で挿管の手技を学ぶのに1日おきに当直があったりすると1晩に6回の挿管するという感じで,手技を学んだり,たくさんの症例にあたったりするメリットはあります。当直が多いというマイナス面をカバーする形で,すばらしい指導医がついていてくれます。
 この1年間,各科をローテーションをして,初期救急をマネージできるようになりました。これから小児科での研修ですが,コモンディジーズの患者さんをきちんと診られる,またどの科もある程度は診ることができる小児科医をめざしたいと思います。


表 中部病院の初期研修プログラム

一般専門医コース
(1)卒後1年目:主要6科のローテーション
内科・外科 各3か月,小児科・産婦人科各2か月,麻酔科・救急科 各1か月
・年間を通して救急室の当直がある
・各科の急性疾患,コモン・ディジーズを経験し,プライマリケア医としての基礎を習得する
(2)卒後2年目:専門科の研修
・専門領域全般の入院・外来患者のケアを学ぶ
・年間を通して専門領域の救急患者を診る
プライマリ・ケア医コース
(1)卒後1年目:主要6科のローテーション(一般専門医コースと同じ)
(2)卒後2年目:内科6か月と選択科
・年間を通して各科の救急疾患を診る

当直・救急科で初期対応をマスター

藤澤 中部病院の救急室は,月に約5回の当直があり,これにプラスして各科の当直が6-7回あります。それとは別に,救急室を1か月ローテートしますが,最初は正直言って,救急車が来るのが怖くてあたふたしていましたが,1年間たった頃には,だいぶ見通しがきくようになりました。
安次嶺 麻酔では,何例ぐらい挿管を経験しています?
藤澤 ローテート時を一緒に行なう研修医の数にもよるのですが,私の時は2人で,4週間のうち14日間の当直で,挿管した患者さんは60例を下らないと思います。
安次嶺 1年目でそれだけの経験があり,もちろん,子どもさんにもできるようになりますね。挿管の必要な患者さんを目の前にした時に,自分はできるという自信はつきましたか。
藤澤 はい。

初期研修を終えたレジデントは

安次嶺 ここで,少し,中部病院の卒後臨床研修プログラム(表)と,その中で小児科研修プログラムを説明しましょう。
 中部病院では,卒後2年間の初期研修と,3-4年目の後期研修があります。
 後期研修になると,初期研修で学んだことをさらに深めて,専門を学びます。これも「ジェネラル・スペシャリスト」と言って,その科全体を見る専門医をめざすことになります。
 我那覇先生から,中部病院の小児科研修のプログラムについて説明してください。
我那覇 小児科研修は基本的に2年間です。私がレジデントにぜひ身につけてほしいのは,よいジェネラリストとしての能力であり,一般的な病気を普通のセンスで診ることのできる能力です。ありふれた疾患の患者さんを治療し,判断をするということ,これが中部病院の研修医が目標とするところです。
 特に当院は入院の6割が救急室から紹介されます。毎日約100人の患者さんが来て,小児科はその4割を占めます。急性期ケアやコモン・ディジーズが多く,これは大学病院とは異なる点でしょう。
 基本的には,1-2年目のレジデントが入院患者の主治医となります。他科とのコンサルテーションで治療方針を決めますが,入院から身体所見,病歴聴取,指示はレジデントの責任になります。
 受診される患者さんは,小児のコモン・ディジーズである肺炎,下痢,発熱などは当然ですが,心臓,腎臓,血液,新生児など,ありとあらゆる種類の患者さんがいます。大学病院では年間50-100人前後を診るかと思いますが,中部病院は1年間に300-400人です。卒業直後にたくさんの患者さんを診ることは,とてもよい経験になると思います。
 また中部病院では年間,米国・カナダをはじめ,海外から専門家が,長期・短期のコンサルテーションに来ます。特に小児科には,短期と長期のコンサルタントとして,年間5-6人,主に米国から一流の臨床医に教わるチャンスがあります。また2年目のレジデントを対象に,ハワイで4週間の交流プログラムがあります。

充実したカンファレンス

我那覇 研修プログラムは,毎朝7時半-8時半までのカンファレンスから始まります。その前にレジデントは病棟での採血などにあたります。小さな子どもの採血手技そのものもトレーニングの1つですから,ハードなスケジュールをこなしています。
 カンファレンスでは,通常は前日入院した患者さん,あるいは興味深い入院患者さんの症例を,皆の前でプレゼンテーションします。病歴から「この時にはどういうことを考えるか」「次は何を考えるか」,「その場で自分はどうすべきか」などが議論の対象になります。考え方が正しければよいのですが,ちょっと外れると,スタッフから注意を受けるわけです。
 「ジャーナル・クラブ」では,最新のジャーナルをスタッフに紹介することもあります。また研修医は毎週1回「ケース・プレゼンテーション」と,自分の症例を詳しく調べてプレゼンテーションをします。
 ラウンドでは午後には毎週1回,「スタッフ・レクチャー」といって5時半から約1時間,専門性のある病気について,あるいはレジデントからのリクエストによって,スタッフがレクチャーします。 スタッフ・レクチャーについては,中部病院のスタッフだけではなく,近隣の開業医の先生や,優れた一般臨床医の方に来てもらって,実際に中部病院ではどのような医療を行なっているのかを知ってもらう試みもしています。これは,病診連携にもなりますし,最終的にはCME(continuing medical education=卒後生涯医学教育)として,近隣の開業医の方から紹介してもらった患者さんを,一緒に経過を追って治療にあたっています。

■日本の臨床研修がめざすもの

ジェネラルの基礎を築く

吉村 研修医の「学びたい」という欲求は,日米共通だと思いますが,例えば上級医は外来で,研修医は病棟を担当するというように,上級医が若い医師を引きこんで教えるといったことが少ないですね。
 私が勤務した日本の病院は,高度医療やそれに関する知識や技術,リサーチのレベルは高いのですが,患者さんを一緒に診て,聴いて,触るという点が少なかった気がしています。また,1人ひとりの医師の力には限界があり,患者さんをよく診るということをベースにしながら,コンサルテーションをよくすることが,医療の質の向上のためには重要ですが,上級医と研修医の間の,ある意味上記のような活発なディスカッションがその基礎になるのです。
安次嶺 日本の医学教育は,狭い領域の専門教育に偏っている印象ですね。同じ専門系でも,例えばアメリカなら,小児科のジェネラルを学んだ後に,さらに専門を学びます。日本は最初から1つの医局の中で,十分なジェネラルを学ばないうちにその医局の専門領域だけを学ぶことになってしまいます。今後日本の医学教育で改めなくてはいけない点です。
吉村 患者さんを全体的に診ることのできるトレーニングを受ける機会がなく専門に入ってしまうことが,日本の医学教育の現状であることは,私も垣間見る機会がありました。それでは本当にいけない。
 アメリカ留学時代,超専門医から,「君は腎臓病専門医だけど,絶対に小児科医であることを忘れてはいけない。君は腎臓の医者である前に子どもを見る医者なんだから」とよく言われました。
 臓器,つまり専門領域でぶつ切りにしては,多くを見失ってしまう。全体を診るというしっかりしたベースの上に専門性があるべきですが,そのベースがなければ,地震の時にゲタをはいたアパートが倒れやすいのと一緒ですから。
安次嶺 基礎がしっかりしていないと,その上に専門は築けないということですね。

優秀な指導医の養成が成功の鍵

我那覇 2年後に始まる臨床研修必修化の最大の目標は,「医者の原点とはいったい何か」という視点から見えてくると思います。何科であろうが,コモン・ディジーズを診る最低限のことは身につけなければいけない。これが原点だと思うのです。
安次嶺 われわれが議論してきたことは,「何のために医者になったのか」につきます。確かに,研究をめざす人もいますが,それは一部であり,医学部を卒業した大多数は,臨床医となります。それならば,国民から求められる,よい臨床医をめざすべきなのに,日本の医学教育は,そのあたりをどこかに忘れてきてしまった。非常に幅の狭い,基礎のしっかりしていない,弱い基盤の上に立った専門医をたくさん作ってしまったのではないか,という気がします。
 「しっかりとした臨床の基礎を持った医師を作ってほしい」という国民の声で,ようやく臨床研修必修化が実現します。ただし,この臨床研修必修化がうまく機能するかどうかは,これからの問題です。危惧されるのは,臨床研修が必修化されても,今までと同じ教育観を持った指導医が,果して本来の理念に則した教育ができるかどうかということです。
 必修化の前にやるべきことがたくさんあります。最も大切なことは指導医を教える人を育てることです。そのためには,アメリカなどよい医学教育が行なわれている国に,将来指導医となるべき人材を送り,その方法を学ばせるべきでしょう。それができないなら,国内でしかるべき臨床研修を行なっている施設に派遣して,指導医を早急に養成しなければいけません。そうでなければ,本当の意味でよい臨床医を育てるシステムにはなり得ません。
 私たちは,臨床の第一線で役立つ,いかなる時でも救急措置ができ,各科の初期治療ができることを研修の理念に据えて後輩を育ててきました。しかしながら,中部病院も専門志向が強くなってきた傾向があり,原点に立ち返ってこの問題をしっかり考えなければいけないところです。
我那覇 どの医者でも必要最低限の臨床行為が行なえて,専門医に任せても患者さんを見失わない,間違った治療をしないことが大切です。診断がすべて正しいということでなくてもいいんです。大きなミスを犯さないというコモンセンスを身につけてほしいというのが,初期教育の目標だと思っています。

レジデントが望む医学教育・臨床研修

安次嶺 最後に,君たちレジデントは今後,日本の医学教育はどうあってほしいと思っていますか。
坂田 大部分の学生は,臨床医をイメージして医学部に入学するのですが,それが,いつの間にか臨床から離れてしまう人が多い。「臨床をやっていても飽きてしまう」「臨床は少しやればできる」といった声があるようです。中部病院での研修やコンサルタントのレクチャー,またハワイでの経験を通じて,臨床はもっと奥が深いことを感じています。きっと一生やっても飽きることはないんじゃないかと。これを飽きてしまうというのは,何かシステムに問題があると思います。
 米国の大学では,医学生になったその日から,患者さんと接しながら教育するシステムです。日本もそういう方向に向かっていくと思いますが,まず医学生に医療への興味を持たせることが大事です。いまは,どちらかというと医学部は研究オリエンテッドですが,今後は臨床に興味のある人が臨床を教えていくべきでしょう。
藤澤 入学後すぐに患者さんのベッドサイドへ行くことはとてもよいですね。すぐにシステムを変えたり,臨床例を増やすことは無理かもしれませんが,もう少し,大学間の垣根を取り払うと,医学生はやりやすくなります。
 例えば,中部病院にエクスターンで来る方は年間150人を越えますが,皆さん大学とは関係なく,自分で情報を見聞きしてやってきます。そうではなくて,大学からこちらを研修病院にするとか,英語圏のように,アメリカだけでなくカナダやヨーロッパなど別の国の病院に学生を送り込み,そこでの3か月なり6か月の実習を認めるなど,交流がフレキシブルになるとよいですね。そこでは,大学で自分が出会う医師だけではなくて,さまざまな生き方の医師がいることをもわかります。
安次嶺 とてもいい指摘だと思います。私たちは,日本中の大学から研修医を採用していますが,その際には,出身校ではなくその個人で評価します。残念ながら,これは日本全国では一般的な方法ではありません。卒業大学の医局で,家族的で非常に居心地のいい,悪く言えば生ぬるい雰囲気で育ってしまうのは,医師の質に関する重大な問題だと思います。
 日本で2004年から臨床研修必修化となりますが,各病院の指導医が自ら切磋拓磨するという意識を持たないと,新しい制度も実を結べるかは疑わしいところです。
 今,日本がめざしている卒後臨床研修は,私たちが行なってきたことと方向性が一致しているように思います。しかしながら,中部病院が決して理想の教育システムではありません。
 今後は,日本全国の各施設が教育プログラムを作って,お互いに競争に入る時代です。学生は,どの病院で研修を受ければ,自分のめざすところのよい医師になれるかという視点で研修病院を選ぶようになります。今後は各病院の教育能力が試されるのです。私たちも今後さらに努力して,たくさんの研修医に選んでもらえるような,よい教育をしていかなければいけません。
―― 本日はありがとうございました。


安次嶺馨氏
1967年鳥取大卒。中部病院での研修後,71-74年米国・シカゴのマイケル・リース病院で小児科研修。74年に中部病院に戻り,以後28年間臨床一筋。米国小児科専門医,ハワイ大小児科臨床教授,琉球大小児科臨床教授

我那覇仁氏
1976年千葉大卒。中部病院,国立小児病院麻酔科を経て,83-85年カナダのHospital for Sick Childrenに集中治療,循環器科のクリニカル・フェローとして留学。現在,沖縄県の小児心疾患の治療や小児集中治療に取り組んでいる

吉村仁志氏
1985年九大卒。中部病院インターンおよび小児科レジデント,沖縄県内の離島勤務などを経て,92-94年,米国ロサンゼルス小児病院腎臓科/透析・移植科にてクリニカルフェローシップ。帰国後,中部病院へ

藤澤ますみ氏
2001年東京医科歯科大卒。同年5月より中部病院研修医。座右の銘は“come what come may, time and the hour runs through the roughest day”(Macbeth)

坂田顕文氏
1999年岐阜大卒。中部病院にて3年間の臨床研修を受け,現在沖縄県立八重山病院勤務


●世界とコミュニケートできる医師に

【インタビュー】Carlos Lifschitz氏(ベイラー大Children's Hospital Research Center准教授,中部病院コンサルタント)

 中部病院に短期コンサルタントして来日したCarlos Lifschitz氏に,中部病院の研修の印象や,医学生・研修医へのメッセージをうかがった。


Carlos Lifschitz氏
アルゼンチン出身。医学部卒業後,デンマークで研究生活の後に渡米。ノースショア大などを経て現職。
Lifschitz 私は何度か日本を訪れていますが,期間も短く,限られたことしか言えませんが,中部病院のスタッフには,医療に対する情熱を感じます。特に,驚いたことは,レジデントが3時間も4時間も私に質問をして,実りあるディスカッションができたことです。
 日本の研究者による英語の講演を聴くと,よくわからないことが多い。しかし,ここのレジデントは,海外からコンサルタントが頻繁にくるためか,英語で話すことに慣れているようです。それほど英語ができなくても,とにかく質問をしてきます。これは本当によいことです。
 しかし,中部病院の提供する医療には,まだ古い伝統が残っているようで,モダンな医療に変わろうとする過渡期のようにも思います。ですので,欠けている点もたくさんあるように思います。
 しかし,ここのスタッフは自己を変えていく努力を惜しまないし,それゆえに地域のニードにあった医師を育てようとしているのでしょう。また,海外からゲストを呼んで教育に生かしています。これは中部病院にとってもメリットですが,海外から来た医師たちにとっても,日本の医療に,自分たちの国にはない長所を目にするでしょう。そのような交流はとても大事だと思います。
――日本の医学生にメッセージを。
Lifschitz アメリカでは女性医師は多く,特に小児科では55%を占めていますが,日本は少ないようですね。もっと女性が医療に参加したらよいと思います。
 また,日本はアジアの中でも先進国ですが,閉鎖的な印象を受けました。世界は日本を受け入れる準備があるというのにです。それを払拭するためにも,例えば,日本の医師がもっと海外の病院で経験を積み,外国人にオープンになったら,すばらしいことです。日本の医師もどんどん海外にでていく姿勢をもってほしい。また,もっと世界とコミュニケートしてほしいですね。今後,世界はどんどんと狭くなって,グローバルに動ける時代です。これからの日本の医師は世界に羽ばたいてほしいですね。