第2494号 2002年7月15日


連載
第8回

再生医学・医療のフロントライン

  

中枢神経系再生の研究戦略

岡野 栄之  慶應義塾大学教授・生理学


中枢神経系は「再生」できる

 かつて20世紀初頭に,神経科学の巨星であるRamon y Cajal博士が述べたように,成体哺乳類の中枢神経系は,いったん損傷すると“再生”しないものと考えられていた。21世紀を迎えた今,私たちはこのコンセプトに挑戦し,「成体哺乳類の中枢神経系がいったん損傷しても,何らかのマニピュレーションを行なうことにより“再生”できる」と書き換えたいと考える。
 中枢神経系における「再生」とは,以前はもっぱら神経軸索の再生を意味したが,今では神経細胞そのものの再生,さらに機能再生まで含めた概念になってきている。再生の基本戦略には,やはりその名の通り,何らかの形で発生現象を再現させることが不可欠となる。
 そのため,胚性幹細胞(ES細胞)や中枢神経系の組織幹細胞である神経幹細胞を用いた中枢神経系の発生の再現を誘導する研究に熱い注目が集められている。この発生過程の再現とは,in vivoで行なわせる場合,in vitroで行なわせて必要な細胞のみを選択的に分離して移植する場合など,さまざまな形で具現化することが可能になってきている。

Musashi1

 神経幹細胞は,中枢神経系を構成するニューロン,アストログリア,オリゴデンドログリアなど多くの細胞系譜への分化能と,未分化状態でこの分化能を有しながら増殖できるという自己複製能を合わせ持った細胞である。独自に見い出した神経幹細胞に選択性の高いマーカー分子「Musashi1」を駆使し,私たちは1998年に,成人脳内にも神経幹細胞/神経前駆細胞が存在することを突き止めた。したがって,成人脳内に存在する内在性の神経幹細胞/神経前駆細胞の活性化は神経再生の重要な戦略であり,今後,非常に重要な創薬のターゲットとなる。それゆえ,神経幹細胞の未分化状態の維持,特定細胞への分化の分子機構の解明が必須である。
 また,内在性の幹細胞の活性化に加え,神経幹細胞やES細胞の自己複製能力を活かし,試験管内で未分化なまま大量に増殖させた後に分化誘導し,移植するという戦略も注目されている。欧米の一部の医療機関で行なわれているパーキンソン病に対する胎児の中脳腹側の細胞移植による治療(日本では行なわれていない)に伴うドナー細胞の不足と倫理的な問題を軽減するべく,増幅が容易な幹細胞を用いた治療法の開発が不可欠なものになる。そこで,神経幹細胞を生きた状態で分離する方法の開発が必要となる。

神経幹細胞の再生から治療へ

 私たちは,これまでMusashi1プロモーター-GFP,nestinエンハンサー-GFPというレポーター遺伝子を開発し,ヒトやマウス中枢神経系由来の神経幹細胞を生きたまま光る細胞として可視化・同定し,セルソーターを用いて分離する技術を開発した。また,慶大整形外科学教室(戸山芳昭教授,中村雅也博士ら)との共同で,小川祐人君らが頚椎圧迫損傷モデルラットへの神経幹細胞移植を行ない,ニューロン新生などの組織学的修復のみならず上肢運動機能の回復の誘導に成功した。
 この一連の研究を通じ,神経幹細胞を基軸として,神経発生の研究成果を中枢神経系の再生医学へ結びつけることができるものと確信している。
 今,再生医療という言葉が花盛りである。しかしながら再生医療,再生医学という言葉に踊らされて基礎研究を忘れていては,間違いなく痛いしっぺ返しを喰らうことになり,結局は患者さんへの福音からは遠ざかってしまうであろう。
 「中枢神経系の再生医学の成功の可否」は,basic neuroscienceの本質そのものの勝負となるであろう。まさに,これは人類の英知をかけた挑戦である。



《第1回 心臓細胞再生の現状と展望(福田恵一)》
《第2回 皮膚の再生(朝比奈泉)》
《第3回 角膜の再生(中村隆宏,木下茂)》
《第4回 血管の再生(日比野成俊,新岡俊治)》
《第5回 末梢血管の再生(森下竜一)》
《第6回 骨の再生(大串 始)》
《第7回 軟骨の再生(開 祐司)》