医学界新聞

 

新連載(全5回)

院内感染対策のストラテジー

第1回院内感染とその対策の歴史
五味晴美ジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生大学院
日本医師会総合政策研究機構在米研究員


 なぜ,いま,日本で院内感染対策が叫ばれる必要があるのか。日本で提供されている医療の質を測る指標のひとつとして,適切な院内感染対策が実施されているのかどうかは,今日ますます重要になっている。筆者は,読者の方々に,院内感染対策の面で現在の日本の問題点は何なのか,それを克服,改善するにはどのようにすればよいのかを考える機会を提供したいと思う。そのため,院内感染対策で世界をリードし,ほぼ確立されたシステムを保持している米国の院内感染対策の現状について,本号よりシリーズで紹介させていただきたい。なお,本稿の内容は,日本医師会総合政策研究機構(日医総研)報告書第35号,およびAPICハンドブック翻訳版(医学書院より出版予定)の冒頭の訳者注で紹介した内容と重複する部分があることを了承いただきたい。また,本シリーズの内容は筆者個人の見解であり,日本医師会および日医総研の公式見解ではないことにも留意していただきたい。


院内感染(nosocomial infections)とは何か

 院内感染(nosocomial infections)は,病院感染hospital-acquired infectionsまたは,healthcare-associated infectionsと呼ばれる。米国の疾病管理センター(CDC)では,院内感染のサーベイランスを全米の病院(全米の約5000の医療機関のうち,300ぐらいの病院が参加)を対象に行なっている。院内感染は,その統計上,通常は,入院後あるいは特定の病棟に転科後48時間以降に起こった感染症と定義されている。厳密な定義はhttp://www.cdc.gov/ncidod/hip/SURVEILL/Surveill.htmで手に入れることができる。
 それに対し,病院の外で起こった感染症は,市中感染(community-acquired infections)と呼ばれる。ではなぜ,院内感染と,市中感染を区別する必要があるのだろう。この大きな理由は,院内感染と市中感染では,原因となる微生物が大きく異なるからである。院内で感染症を引き起こすメジャープレーヤーは主に細菌であり,そのうちグラム陰性菌が特に重要である。そうしたグラム陰性菌の例として,大腸菌,クレブシエラ,S.P.A.C.E.(Serratia, Pseudomonas, Acinetobacter, Citrobacter, Enterobacter)とニックネームのついた菌があげられる。大腸菌やクレブシエラは,市中感染の起因菌としても知られるが,これが院内で検出されるのと,院外で検出されるのとではまったく話が異なってくる。院内では,常に多くの患者が,何らかの抗菌薬にさらされている。こうした状況は,細菌にとっては,selective pressure(遺伝的な自然淘汰)として作用する。
 したがって,院内にはこうした厳しい環境でも生き延びた,あるいは適応した菌が多く存在することになる。つまり薬剤に耐性を示す菌が院内には通常はびこっているのである。また,S.P.A.C.E.の菌は,病院の外で,健常者に病気を引き起こすことはきわめてまれである。救急室に,S.P.A.C.E.の菌による感染症をもって運ばれてくるということは,健常者では通常は起こらない。ところが院内では,これらの菌が,入院患者に日和見感染を引き起こすのである。したがって,院内感染と,市中感染を区別して認識することは,臨床上,感染性疾患を取り扱う上で最も重要なポイントなのである。
 グラム陰性菌のほかには,グラム陽性菌も重要である。院内感染の代表的起因菌として,黄色ブドウ球菌,表皮ブドウ球菌,腸球菌などがあり,MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌),VRE(バンコマイシン耐性腸球菌)もこれらの耐性菌として存在している。なお,特に免疫不全のある患者などでは,真菌,ウイルスなども当然院内感染を引き起こすことを追記しておく。
 さて,院内感染には,どのような種類の感染症があるだろうか。入院している患者は,病院の外にいる健常者と比べると多くの医療器具が挿入されていることが多い。そのため入院患者は,そうした医療器具に関連した多くの感染症を院内で発症する。

   例:中心静脈等のカテーテル関連菌血症
カテーテル関連の尿路感染症
人工呼吸器関連の肺炎
人工呼吸器関連以外の院内肺炎
経鼻チューブ,または,経鼻挿管による副鼻腔炎
抗菌薬投与によるクロストリジウム・ディフィシル下痢症
褥創およびそれに併発した骨髄炎
術後創部感染

上記のような種類の感染症が通常,院内で起こる感染症である。

院内感染が医療に与えるインパクト

 院内感染は,現在の医療全体にどの程度の影響を与えているのであろうか。
 米国では,この分野の研究は非常に盛んに行なわれている。例えば1995年には,全米で3400万件の入院があった中で170万件に院内感染が起こっている。そしてそのうち8万8000件は,院内感染が原因で死亡しているのである(NNIS Report 1995参照)。米国の統計にも見られるように,現在,世界中の病院で,院内感染が医療に与える影響は非常に大きなものになっているのである。
 米国では,この深刻な状況を早期に察知し,国家をあげて対策に乗り出してきた。後に米国での院内感染対策の構築の歴史を述べるが,1974年には,効果的な院内感染対策を取り入れた病院では,それがどのような効果をもたらしたのかを評価する大規模な臨床試験が開始された。この10年越しの国家レベルの大規模な調査では,効果的な院内感染対策をとった病院では,全体として院内感染の発生が32%削減されたことが示された。一方,効果的な対策を取らなかった病院では,1970年から1976年の6年間に,院内感染の発生が18%増加していたことがわかった。さらにこの大規模試験の大きな意義は,上記の32%にあたる院内感染の治療などに必要とされた医療費が削減可能であるということを明確に論文に記載した点である(Am J Epidemiol 1985;121:182-205)。SENICと呼ばれるこの大規模臨床試験は,現在でも米国の院内感染対策を論じる上で,要となるものの1つである。

米国の院内感染対策の歴史

 は,米国における院内感染対策の構築の歴史である。1928年に英国のFlemmingによりペニシリンが発見された14年後の1942年にペニシリンが医療現場に導入された。それ以後,人類と耐性菌の限りなき戦いが始まったのである。米国では,戦後間もなく1950年代後半から1960年代にかけて全米の病院で,主に小児および外科術後の患者に黄色ブドウ球菌の院内感染が爆発的に増加した。これが引き金になり,さまざまな院内感染対策を構築することになったのである。
 1958年の米国病院協会による院内感染対策に必要な事項の宣言を皮切りに,1963年にはCDCが院内に院内感染対策担当者(ICP)を設置するよう勧告した。ICPは後に,占有されたベッド250床につき1名のフルタイムのICPという人員配置割合で設置されることと推奨されている。

表 米国の院内感染対策の歴史
1942ペニシリンが医療に導入される
1950-
1960年代
全米の病院で,黄色ブドウ球菌による院内感染が爆発的に増加
1958米国病院協会(AHA)が,院内感染対策として導入すべき項目を発表
1961英国で世界初のMRSAが報告される
1963米国CDCが,Infection Control Professionals(ICP,院内感染担当官)を各病院で設置するよう勧告
1970米国院内感染サーベイランス(NNIS)が開始される
1974SENIC Projectが開始される
1975全米の約半数の病院で,院内感染サーベイランスや院内感染対策が導入される

 さらに1970年には,CDCを主導に,いったいどの程度の院内感染が全米の病院で発生しているのかをモニターするサーベイランスが開始された。このサーベイランスでは,どのような患者が,どのような起因微生物によって,どのような種類の感染症を,どのような頻度で起こしているのか,こういった基本的なデータベースを構築することが目標とされた。現在,前述のように,300程度の医療機関がこのCDC主導の国家レベルのデータベースにデータを提供している。
 この300余りの医療機関のデータは,米国の“標準的な”院内感染発生率であるとみなされて,この標準データと自分の病院のデータを比較することが可能になっているわけである。比較により,改善すべきところは改善策を講じるようになっている。
 さて,1976年には,米国病院評価機構(JCAHO)が,優良病院の認定基準に,院内感染対策を実施していることや,院内感染サーベイランスを行なっていることといった項目を追加した。この認定基準の改定が,全米の病院に,大きな動機付けを与え,院内感染対策は,1980年代に急速に全米の病院に構築され,普及していったのである。
 なぜ,この病院評価機構の認定がこれほどまでの影響力を持っていたのか。この理由は簡単である。このJCAHOの認定基準を満たしていない病院は,米国の高齢者の公的保険であるメディケアの保険給付を受けることができないのである。メディケアの給付を受けられないとなると,その病院は経営上,大きな打撃を受けることになる。したがって,なんとしてでも認定基準をクリアすることが必要だったのである。
 これに拍車をかけるかのように,1983年には,メディケアにDRG/PPS(保険給付の定額前払い制度)が導入された。これにより,院内感染にかかる医療費(=余分な医療費,節約可能な医療費)をいかに削減し,病院の利益を確保するのかに,病院中が躍起になった。
 このように,米国で,院内感染対策が構築されていった背景として,1.医療経済学的なインセンティブ(DRG/PPS,JCAHOの基準),2.院内感染対策関連の政府および学術団体の積極的推進(CDC,JCAHOなど),3.医療訴訟の増加の3点があげられる。この3点が相乗効果となり,現在の院内感染対策が確立したのである。

つづく



五味晴美氏
 1993年岡山大学医学部卒。沖縄米海軍病院インターン,岡山赤十字病院内科研修医を経て,95年から98年までNYのベスイスラエルメディカルセンター内科レジデント,98年から2000年までテキサス大学医学部ヒューストン校感染症科フェロー。その間に,ロンドン大学衛生熱帯医学校にて熱帯医学修得。帰国後,2002年6月まで日本医師会総合政策研究機構主任研究員。2002年7月より,ジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生大学院在学中。