医学界新聞

 

〔寄稿〕

質の高い医療を求めて-ハーバード関連病院でのIT化の取り組み

澤 智博(帝京大学医学部・麻酔科)


 「医療の安全と質の向上」は医療界の抱える大きな課題だが,米国ではITを活用して「安全」の確保と「質」の向上を図ろうとする動きが活発になっている。本紙では,米国医療におけるIT活用の動向に詳しい澤智博氏に,ハーバード大学医学部関連病院での事例を中心に,米国医療機関におけるIT活用の現状などについてご報告いただいた。

(週刊医学界新聞編集室)


パートナーズ・ヘルスケア・システム

 一般的に,大学病院の存在目的は,研究,教育,そして質の高い最新の医療を提供することであろう。しかし,これらの目的を達成するために,すべてを犠牲にしてよいわけではなく,大学病院はそれ自体で収益を上げ,自立して存在する必要がある。
 ハーバード大学も例外ではなく,このような矛盾する目的を達成するために,研究・教育を目的とする大学と,病院の利益を追求する経営側とは分離して存在している。例えば,パートナーズ・ヘルスケア・システム(パートナーズ)は,マサチューセッツ総合病院(MGH)とブリガム病院の経営を目的として,1994年に設立された。パートナーズは,全米屈指の規模であり,約7000名の医師を擁し,患者数は,年間220万人に上り,その収益は,約40億ドルと言われている。基幹システムを支える情報部門の職員は,約800名おり,その長は,CIO(Chief Information Officer)と呼ばれ,パートナーズの副会長を兼務している。

医療ミスへの注目

 米国において,医療事故が大きく取り上げられ始めたのは,1999年のことである。その年,非営利学術機関であるInstitute of Medicine(IOM)が,医療ミスによる死亡例は,年間4万4千人から9万8千人に上るという衝撃的な報告をした。これを受けて,当時のクリントン大統領が,医療ミスと取り組むための声明を発表したのである。また,IOMは,医療ミスの根本原因は,ミスを犯した医療従事者,個人に帰するのではなく,医療システムそのものに内在していることを指摘し,システムの抜本改革を提唱した。

21世紀の医療システム

 他の工業・サービス産業に比較して,医療分野でのIT化は,大幅な遅れをとっており,業務システムそのものが数十年来変わらない老朽化したものであるといえる。業務システムとは,診療行為のみならず,入退院手続きなど,病院業務すべてを指す。それは,非常に多くの部分を人的資源に依存し,時間的・空間的な情報伝達の多くが,あいまいなアナログ手段に依存している。
 IOMは,21世紀の医療システム改革として,目標となるキーワードを掲げた。それらは,安全,効果的,患者中心,適時,効率的,公正の6つである。このことから,患者の安全確保は十分条件ではなく,必要条件であり,医療の質の向上とその質の高い医療が,時と場所に依存せず享受できることに重点が置かれる。また,医療システムを支える財政は,当然ながら無限ではないので,経済効率とのバランスも重要である。

プロセス・リエンジニアリング

 プロセス・リエンジニアリングとは,業務の内容・流れを再点検し,その時間的・経済的効率を向上させることである。例えば,医師が入院患者に対し投薬を行なう際には,処方箋の発行,処方箋の薬局への伝達,薬局での調剤,薬剤の病棟までの運搬,病棟での患者への投薬とその記録というようなプロセスが発生する。このようなプロセスをすべて列挙し,検討することからリエンジニアリングは始まり,これを電子化によって効率を上げることが医療業務のIT化の根幹となる。

データから情報へ

 情報学の基本は,脈絡のない「データ」を処理することにより,規則性のある「情報」を抽出し,「知識」として帰納することにある。したがって,診察に訪れた患者の診察所見・検査データを情報として医師に提示することは,IT化の出発点である。最近では,検査データのトレンド表示などは,日米を問わず一般的なものとなってきている。パートナーズでは,これらの検査データの異常をポケットベルを通して医師に警告する試みをした。ここで,異常とは,絶対的な数値の異常のみならず,経時的推移の異常も指す。システム導入前は,異常値の発見に,平均2.5時間(25%は,5時間以上)要したものが,この異常値警告システムの導入により,約30%の時間短縮を認めた。

オーダーシステム

 IOMの報告によると,投薬に関する医療ミスは,入院100件に対し,6.5件の発生を認め,医療ミスの多くを占める。近年では,コンピュータによる検査・投薬のオーダーシステムは,日米ともに一般的になってきた。ただし,コンピュータ化したというだけでは不十分であり,時に,有害ですらある。例えば,薬品名をアルファベッド・あいうえお順に羅列するようなシステムでは,事故を誘発する危険がある。日本で起きた,サクシンとサクシゾンの投薬ミスは,このシステムの欠陥に帰するといえる。従って,オーダーシステムは,ユーザフレンドリーであり,オーダー時のミス検出,意思決定支援機能を備えていなければならない。パートナーズでは,オーダーシステムを簡潔なデザインにし,アレルギーと薬物相互作用のチェック機構を備え付けただけで,55%の重大な投薬ミスを減少させることができた。このことから,単純な機構でも,効果的に使用することによって,医療ミスを大幅に減少させることができることがわかる。逆に,思慮を欠いた電子化は,ミスを増加する可能性すらある。

意思決定支援システム

 1980年代に医療分野での応用をきっかけに,ブームに火がついた人工知能の開発であるが,現在でも,患者のデータから的確な診断を下すというレベルには至っていない。多くの不確定要素を取り扱う医療においては,自動診断システムの登場は,はるか未来の話のようである。
 一方で,近年ではエビデンスに基づいた医療(EBM)への関心の高さから,ガイドラインの使用が診療に不可欠となってきている。しかし,有用なガイドラインも,その存在を知らなければ使用できないし,また,内容そのものが詳細,煩雑であれば,敬遠されてしまいかねない。そこで登場してきたのが,アクティブガイドラインである。これは,コンピュータにガイドラインの内容をプログラミングしておき,単独または,オーダーシステムと組み合わせることで,適切なタイミングでガイドラインを提示し,EBM診療をうながすものである。ハーバード大学では,他大学と共同で,アクティブガイドラインを使用するための骨組みとなる規格を開発している。

コスト管理

 日本よりも先に,医療費の財政難に喘いだ米国では,HMOなどを代表とするマネジドケアが導入された。いわゆる,「まるめ」で支給される診療報酬のもとでは,病院の利益を出すためにコスト管理を徹底させなければならない。そもそも,ビジネスでのIT化の成功は,コスト管理の成果によるところが大きく,これを医療に応用しない手はない。
 例えば,薬剤の管理は,オーダーシステムと組み合わせることで効率を上げることができるし,同様に,病院経営陣の希望する検査・投薬のスタイルへとシフトさせることも可能である。パートナーズでは,そのようなシステムによって,不必要な胸部レントゲン撮影を最大約65%減少させることができた。また,日本でも注目を集めてきているクリティカルパスウェイについても,電子化が試みられている。これは,製造業での製品の品質管理におけるIT化と同様の手法である。患者の入院経過に関して,あらかじめ標準的な枠組みを決め,電子化し,実際の入院経過とリアルタイムに比較,評価するシステムを開発することによって,入院日数や入院中のコストの削減が期待される。
 最後に,診療の内容を決定するのは一般的に医師であるため,医師の診療パフォーマンスを絶えず監視するシステムも開発されてきている。このようなシステムでは,診察に要する時間,投薬・検査のスタイルなどの効率に関わる項目をリアルタイムで監視している。これによって病院経営陣は,(経済的視点から)効率の悪い診療をする医師を随時検出できるのである。

安全の対価

 時代が移り変わり,日本でも日常生活の安全は無料だと思っている人は減少しているであろう。では,医療の安全はどうであろうか。安全なシステムを構築する際の対価は誰が支払うのであろうか。なるほど,医療訴訟を防ぐことができれば,その分,安全に支払う分が相殺できるかもしれない。しかし,それは,あまりに消極的動機ではなかろうか。
 現在,日本でも包括医療への取り組みがなされているが,旧来の出来高制の診療報酬では,不必要な投薬・検査や長い滞在日数といった効率の悪い医療のほうが経済的に報われかねない。IT化によって,患者の安全が確保され,医療の質が向上するとしても,相応の報酬がなければ病院側もその導入を躊躇する可能性がある。質の高い安全な医療を施すには,それを適切に評価することができる国家のシステムづくりが先決であろう。


澤 智博氏
1993年,札幌医科大学卒。ハーバード大学マサチューセッツ総合病院で麻酔・集中治療を,フォルクナー病院で内科・救急医療を,計4年間臨床研修し,米国麻酔専門医に認定される。その後,マサチューセッツ工科大学大学院にて理学修士(医療情報学)を取得。現在,帝京大学医学部麻酔科講師,ハーバード大学客員研究員。研究領域は,バイオメディカルインフォマティクス。