医学界新聞

 

 〔連載〕ChatBooth

 怒る前に困れ

 栗原知女


 3年半しか続かなかったが,かつて私が会社員だったころ,2歳年上の男性を部下に持ったことがある。彼は,お世辞にも優秀とは言えない人で,ケアレスミスを繰り返しては,懲りない。私が叱責せざるを得ない場面もたびたびだった。すると,「怒り方がきつい」と周囲の男性社員の反感を買い,非難の声が私の怒りの炎に油を注いだ。私の目から見れば,彼の以前の男性上司のほうがよほどネチっこい叱り方をしたものなのだが。
 女性上司が男性の部下を叱るのは,非常に難しい。当人や周囲の男性からの反発を買いやすく,叱責が功を奏さないどころか裏目に出ることのほうが多い。自分の「位置エネルギー」を痛いほど認識し,言葉を慎重に選んだほうがよい。感情を交えずに冷静に事実のみ指摘せよとよく言われるが,実は感情を封印するより,出し方のコントロールが肝心だと,今になって気づいた。
 「人はなぜ攻撃的な言い方をしてしまうのか」についてカウンセリングの大家にインタビューした時に伺った言葉が,頭から離れない。
 「怒っている時,多くの場合,その人は困っているのです。素直に『私は困っています』という感情を出したほうがいいのです」
 怒りをむき出しにして相手を責めるより,「困りましたね。どうすればいいのか教えてください」と言ったほうが効果百倍であると,その後,実体験を通じて知った。
 大阪での学会に参加すべく宿泊先などの手配を依頼したのだが,直前になっても担当の旅行代理店から返答がない。催促の電話をすると,「申し込みが多いので遅れています。少々お待ちください」。
 少々が長くなったので2度目にかければ,「連休明けに書類を発送します」。それでもダメなので3度目は,「発送したはずなのにおかしいですね。運送会社に確認してみます」。さらに1週間返事がなく,穏やかな私(?)もついに大爆発。ムネオ流に恫喝してやろうとも思ったが,ふとひらめき,
 「困りましたねえ。私はいったい,どうすればいいのでしょう」と言ったきり,受話器のこちら側でだんまりを続けた。ほどなくして謝罪の言葉があり,「再送します」とファクシミリで丁寧な詫び状が届き,翌日の宅急便で参加証その他が到着して一件落着。何が「再送」だ。明らかな漏れだろうが,でも,まあ許そう。
 医療の現場では,同僚や部下の不甲斐なさにいら立つ場面も多いだろう。でも,「怒る前に困れ」である。「どうすればいいのか教えてください」と言い,相手の出方を待とう。最初は言い訳を聞かされるだろうが,じっと沈黙して謝罪の言葉と解決・改善案が出るまで待ち続けよう。怒っている時こそ,傾聴である。待たされる時間は,意外に長くない。笑顔で気持ちよくもとの仕事に戻れるだろう。いったんネガティブな感情を出すと,それがどんなに正当な権利に思えても,後味が悪いものだ。