医学界新聞

 

【座談会】

FIFAワールドカップ大会における集団災害医療体制

浅井康文氏
(札幌医科大学教授・
救命救急センター)
山本保博氏〈司会〉
(日本医科大学教授・
高度救命救急
センター長)
森村尚登氏
(国立横浜病院・
救命救急センター
副センター長)
藤井千穂氏
(大阪府千里救命
救急センター・
所長)


 厚生科学研究「Mass gatheringにおける集団災害ガイドラインの作成とその評価」(主任研究者=山本保博氏)が,本年2月に「Mass gatheringにおける集団災害医療体制作成のためのマニュアル-2002年FIFAワールドカップ大会における集団災害医療体制モデル」をまとめた。
 これに先立つ2001年2月に,日本集団災害医学会2002年FIFAワールドカップ大会災害対策委員会(委員長=山本保博氏)が,「2002年FIFAワールドカップ大会における集団災害医療体制計画作成のためのガイドライン」を公表。数日後に開催が迫った,2002年FIFAワールドカップ大会の期間中に起こり得ると考えられる集団災害発生時の医療体制に示唆を与えている。
 本紙では,上記の研究にかかわってこられた4氏にお集まりいただき,2002年FIFAワールドカップ大会を中心に,集団災害発生時の医療体制を論じていただいた。


■防災体制は国ではなく開催地が主体

日本集団災害医学会のWC対策

山本 2002年FIFAワールドカップ大会の開催が目前に迫りました。いまだ救急医療は各都市間で「温度差」があると言われていますが,本日は,札幌,横浜,大阪の各地域から災害医療に携わっておられる先生方にお集まりいただきました。大会開催を直前にし,各地ではどのような準備が進み,どのような課題が残されているのかなどについて話をしてまいりたいと思います。
 まず最初に,FIFA(国際サッカー連盟),JAWOC(2002年ワールドカップ日本組織委員会)といった機関と救急医療,あるいは集団災害の対応機関との間のかかわりにつきまして,藤井先生からご説明いただければと思います。
藤井 私は,厚生科学研究班(上記)のメンバーであり,大阪市ワールドカップ推進委員会の医療部門の委員を昨年の7月からしています。私のように,学生時代からサッカーをしてきた者にとっては,ワールドカップ大会(以下,WC)が日本で開催されるというのは夢のようなことです。
 WCの過去の大会をひもといてみますと,サポーターたちが非常に熱狂的で,90分間興奮が続くという特徴もあり,各地でさまざまな規模の,いろいろなタイプの災害が起きています。今回のWCでは,そういった災害を未然に防げたらということで,日本集団災害医学会が1998年から検討をはじめました。その経過については,森村先生に説明をお願いいたします。
森村 私も厚生科学研究班の一員です。WCに関して,日本では「オリンピックがくる程度」という認識であり,集団災害の可能性については,当初楽観的に考えていたと思います。日本集団災害医学会では,「集団災害時の医療体制が必要」という立場で,1998年にフランスで開催されたWCから調査を始めました。その結果を報告書として昨年2月にまとめたのですが,それを受けて厚生労働省が具体的なマニュアル作りを始めました。私たち委員は,欧米ののサッカー先進国の調査を行ない,前回WCの開催国であるフランスの体制を見てきました。そして,フランスで集団災害対策にあたったSAMU(フランス公立院外救急医療支援組織)のメンバーを招聘して,大会に対応するためのセミナーを受け,横浜市の国際スタジアムでシミュレーションを行ないました。

計画にはなかった災害時医療体制

藤井 WCの主催者はFIFAであって,オリンピックのように国が主催者ではありません。日本の場合は,FIFAの意向を受けてJAWOCが指揮権を発揮していますが,こと災害対応については開催地に任せているのが実情のようです。
山本 JAWOCの医務の総括責任者が,災害時における選手,VIP,観客の対応を,すべて行なうということでしょうか。
森村 選手,VIP,観客についての医療体制については,JAWOCの医事計画案の中に明記されています。ただ,その医事計画案を詳細に見てみますと,集団災害という概念は初めからあまりないようです。大規模災害発生時の連絡体制の項目には,消防局あるいは報道への連絡体制が明記されているものの,医療担当者が集団災害にどうかかわるのかという,具体的なことについては言及していません。
藤井 選手に関するドーピングの問題とケガ,VIPならびにメディア関係者,個々の観客に対しては,スタジアム内での傷病がFIFAやJAWOCの考えている医療だと言えます。一方で,Mass gatheringによる集団災害的なものと,スタジアム外のさまざまな災害に関しては,開催地が担当するというのが基本姿勢になっています。
山本 集団災害発生時の対応は開催地,とのことですが,もしも大規模災害や事故等が起きた時には,その地域だけで対応できるかが懸念されます。その場合,政府としてはどのように対応するのでしょう。
森村 韓国は国がWCを招聘していますが,日本の場合は各自治体が試合を招聘した形を取っていますので,国規模の体制は想定していませんでした。地域防災計画などの既存の防災計画で対応しようという話だったと思います。これが,後々の両国の医療体制作りにスピード差が表われた要因になっているのだと思います。
 また,イギリスやイタリアといったサッカーが盛んな国では,大会がある時に医療体制を準備するのは「競技場側」,ひいては地域医療,防災関連機関ですし,大会が開催になれば国が関与します。したがって,当然集団災害医療体制を布くのですが,日本では概して「イベント主催者側」が準備をすることになっています。そのために,今回のように体制作りが遅くなったのではないでしょうか。そのような事情からも,日本においては,例えば「イベント主催者側」が集団災害医療体制を時に要求していない場合には,なかなかそれを準備するのは難しいですよね。

スポーツ医などとの連携が重要に

山本 浅井先生,札幌ではいかがですか。
浅井 私も厚生科学研究班の一員です。日本救急医学会北海道地区会長を現在務めており,日本集団災害医学会理事,救命救急センター長ということから,WCの話には初めからかかわっております。
 札幌は,1970年に冬季オリンピックを経験していますが,オリンピック,WC両方の主催地になるというのは非常にめずらしいことで,光栄に思っています。しかし,問題を抱えていることは確かです。スポーツ関係の医療となりますと,どうしても整形外科医が主体となり,集団災害という視点が欠落していることを感じます。それをカバーするために,JAWOCのスポーツ医と話し合い,会場となります札幌ドームには,救急医3名を配置します。また札幌では3戦行なわれますが,特に7日のイングランド-アルゼンチン戦は,第2次フォークランド戦争とも言われるくらい「過激」とされています。私たちは,開催期間中は,フーリガン対策を含めた過去の不幸な事例を参考に,集団災害に備えた関係機関の横の連絡網を構築しました。ここには,スポーツ医と救急医だけではなく,ナース,救急隊,警察,消防などが連携しますが,生物テロなどの最悪の場合に備えて自衛隊とも連絡を取り合っています。また,札幌ドーム内とVIP関係者の治療は札幌医大,ドーム外の治療を市立札幌病院というように,一応の役割分担をしています。
山本 JAWOCはスタジオ内の選手,VIP,観客に目が向いていて,集団災害については少しおろそかになっているのが現状。それに対して救急・災害の関係者からは,「もし何かが起きた時はどうするのだ」という声が大きくなり,全体が動いてきたと理解してよろしいですか。
森村 JAWOCの医事委員会は,FIFAの要請事項に基づいて相当な労力をかけて体制を構築してきたのですし,JAWOCがこれまでしてきたことを単に批判する姿勢は好ましくないと考えます。なぜなら,いままでの本邦の救急医療体制の中に,「スポーツイベントにおけるMass gathering時の集団災害医療体制」という視点が希薄だったことに端を発していると考えられるからです。ただ,Mass gatheringの集団災害医療を行なっていく上で,専門家である私たちと,もっと早期から協議していれば,もう少し早く体制が構築できていただろうとは思います。

■これまでの集団災害発生から日本が学ぶもの

惨事の多くはスタジアム外で起こる

山本 WCの歴史を見ますと,スタジアムの中での傷病よりも,フーリガンの関係する暴動や喧嘩,テロといったものによる負傷のほうがずっと多いと言われています。
藤井 フーリガンばかりがクローズアップされていますが,泥酔した方がきっかけになって暴動が起こる場合が多々ありますし,火災や建造物の倒壊によって多くの負傷者が出たこともあります。
森村 サッカーの試合に関連する集団災害は,1902年にイギリスのグラスゴーで行なわれたイングランド-スコットランド戦の際に,観客の25人が死亡,負傷者517人というのが最初の記録です。
浅井 この50年くらいの間に,サッカーによる集団災害と思われるものは35件ぐらい起きています。ごく最近の例ですと,昨年4月12日に,南アフリカのヨハネスブルグで,40人以上が圧死するという事故がありました。約3万人もの観客が,スタジアム内の席を求めて殺到したため,押し寄せた人が将棋倒しになったことが原因でした。
山本 SAMUのメンバーで,フランス大会のパリの責任者でしたハロウィ先生から日本の関係者へ向けたメッセージがあります。それは,「決して忘れることができないのは,準備万端であった試合中ではなく,大会終了後のシャンゼリゼの群集から最も多くの負傷者が発生したことです」という言葉です。この時には,フランスチームの優勝を祝うパリ市民の中に乗用車が突っ込み80人以上が負傷し,そのうち11人が重傷を負いました。このような事故は,わが国でも考えていなければいけないことの1つではないかと思います。
森村 どうしてもスタジアムの中だけに目がいってしまいがちですが,災害はスタジアムからちょっと外れた場所や,スタジアムからはまったく離れた繁華街で起こる可能性もあるわけで,大会期間中をもっとオーバーオールに考えるべきという,よい教訓ですね。

フランスの集団災害医療プラン

山本 地域によって多少違っていると思いますが,各競技場には医務室と,最低4つの救護室があります。そこにはJAWOCに属している医師2名の他,ナースなどのスタッフが配置されています。ただ,この配置は競技場内の人を対象とした体制であって,チケットが手に入らずに外の大画面モニターで観戦している人も大勢いるわけですが,そういう競技場外については開催地が対策をとることになるわけですね。
藤井 日本では,スポーツイベントの時に大規模な医療体制を整えるということは,これまであまり考えられていません。例えば甲子園の高校野球でも,観客は5万人にもなるわけですが,医務室は1つで,そこには医師1名,看護師2名が配置されているにすぎません。しかもその医療は春夏とも主催者側である新聞社が用意します。日本におけるWCも,そういう考え方の延長上にあったのでしょう。災害体制については考慮されていませんでした。
山本 現状では,競技場内外の責任について,全国組織で考える機関はないわけですね。しかし,災害が起きたり,VIPが何かの事故に巻き込まれた時には,市や都道府県といった開催地だけでは負いきれない部分が当然出てくると思います。過去のWCでは,そのあたりはどのように対応してきたのでしょう。
森村 国によってベースになる救急医療体制がまったく違いますので,一言では説明できません。しかし,前回大会について言えば,フランスでは前々から集団災害医療プランを持っていました。ですから,特別にWC仕様の新しいものを作ったわけではありません。彼らのプランは,警察・消防・医療・大会関係者が1つのテーブルについて,何らかの大災害が起こった時には,警察がゾーニングと誘導を担当し,消防がレスキューをし,医療が現場あるいは病院で診療にあたり,さらに大きな問題が出た場合には軍が出動するというものです。定期的,継続的に訓練を行なっており,もともと長い時間をかけて作成した具体的なプランで,それをWCでは適用したというだけの話でした。学ぶ点は大いにあるのですが,ただ日本ですぐにその体制ができるかというと,非常に難しいと思いました。
山本 それを統括するのはどこですか。
森村 行政です。日本で言えば知事が最終的に統括を図ることになります。現場では警察の長や消防の長,医療の長との間で検討をしますが,そこで混乱しても,まとめるのは行政だという考え方です。
 日本では,よく「どこに責任があるのか」という話になると思います。しかし,彼らがシステムを構築してきた過程では,「責任」はどこという前に「分析」があって,なぜこんなことが起こったのか,災害・事故を起こさないためにはどのような対応が求められるのかを考えて,誰の分担は何,主導すべきはどこ,というステップを踏んでいます。日本で今大会の医療体制の仕事にかかわってきましたが,ずっと,「誰の責任になるのか」「誰がいけないのか」ということばかりが前面に出ることが多かったように思います。
山本 イギリス人と話をしていると,「日本人は非常にresponsibility mindedな国民」と言われるのですが,その根拠として彼らは,18世紀の「振袖火事」(「明暦の大火」の俗称で,江戸前期に起きた死者10万人以上と言われている火事),という,おもしろいたとえを持ち出します。それは「八百屋お七」の話なのですが,その火事の責任を彼女に負わせ,市中引き回しの上磔獄門をして終わった。同じ時代のイギリスの建物も木造でたくさんの火事があった。でも,危険性が高いということで建物に石を使うようになった。しかし,日本は相変わらず木の建物で,磔獄門にしているという話です(笑)。

札幌・大阪における集団災害医療体制

山本 さて,具体的に札幌ではどういう体制をとっていて,現在問題点があるとしたら,それはどのような部分でしょうか。
浅井 札幌の試合開始時間は20時30分ですから,終了は24時近くなるということで,真夜中の集団災害発生を念頭において1年前から準備をしてきました。救急医は,最初はメンバーに入っていなかったのですが,話し合いの上,一緒のテーブルに着くことができました。その中で,最も危機感を持ったのが,イングランド-アルゼンチン戦で,そこをピークに想定した危機管理の構築をしているところです。
山本 災害・医療総括責任者はどこの地域でも必要です。そこを構築しておかないと,いざという時に行動できないだろうと思いますが,藤井先生,そのあたりに関しましていかがでしょうか。
藤井 大阪では,当初は大阪市WC推進委員会も,医療に関しては従来の考え方で,JAWOCにお願いして,スタジアム内できちんとした医療ができていればよし,としていました。そこへ,日本集団災害医学会の意向を受けて,「災害が起こった時にどうするのですか」という問題を投げかけましたら,「大阪府に訊いてください」という話でした。大阪府医師会救急災害医療部は医師会主導型ですので,大阪府医師会に,「もし集団災害が起こった時に,私たち医師がいろいろなかたちで出なければいけないから,そこをちゃんとしませんか」と問いかけました。結果として大阪市WC推進委員会の中に,集団災害対策分科会を立ち上げ,大阪府医師会がバックアップすることになりました。そこでは,スタジアム内・外で集団災害が起こった時にどうするかを検討をしましたが,基本的には大阪府が全面的に協力をし,大阪府の災害医療センターがすべてに対応するという形を作りました。
浅井 札幌では,札幌市や北海道医師会の救急担当医師が非常に熱心で,一緒にやっています。どうしても医師会を抜きにはできません。

■Mass gatheringにおける集団災害医療体制

近年の事故からの反省と教訓

山本 それでは次に,Mass gathering時にはどのような集団災害が考えられ,対応しなければいけないかということで話を進めたいと思います。
 実際には,1000人以上の人たちが,イベント等何かの目的を持って集まってきた時に,例えばそこに泥酔者やフーリガンなどの集団がパニック状態に陥り,出入り口になだれ込んだ結果,下敷きになった人が圧死するなどが,Mass gatheringにおける集団災害と言われるものです。最近の例では,昨年の明石の花火大会での将棋倒し事故と,2年前の札幌市の「YOSAKOIソーラン祭り」での爆発テロがあります。
 浅井先生,札幌市での教訓等がありましたらお願いしたいと思います。
浅井 2000年6月10日の「YOSAKOIソーラン祭り」の事故は,本祭終了直後に起こりました。この祭りは観客を加えますと200万を超す人が集まる大イベントですが,終了後ということで,その場には約50人が残って後片づけをしていました。そこにゴミと一緒に,頭をカットした5cmぐらいの大きな釘を詰め込んだ手製爆弾が爆発し,ゴミの分別作業をしていたスタッフ10名が被災,その中の1人の男子学生は釘が心臓を突き刺すという重傷を負いました。一種のテロ事件ですが,幸い救急救命士が非常に的確な判断をして,速やかに札幌医大救命救急センターに搬送されましたので救命できました。集団災害の際のトリアージがいかに大事であるかという学びがありましたが,この方が亡くなっていたら,おそらく「YOSAKOIソーラン祭り」は続いていませんでした。それくらいのインパクトがあった事件です。
藤井 明石の花火大会の圧死事件は「集団なだれ」という現象で,2001年7月21日に起きた,死者11名,負傷者128名という惨事でした。その反省点は,退避通路など,事故が起こらないようにするための構えができていなかったということです。この教訓から,観客の動線などを十分に踏まえて,各地のWCの開催地では準備を進めていると思います。
 明石の事故では,もう1点,最初の連絡が遅かったこともあるのですが,救急車が現場にほとんど行けなかったという事実があります。WCでも,救護室だけでは対応できないであろうと考えて,各開催地では災害対策本部を独自に置いて,災害が起きた時には,医療班がより早くその場に行ってトリアージをし,きちんとした選別搬送をする体制をとるようになっています。これは,まさしく明石で学んだことの上に構築されたことだと思います。
 また,大阪ではスタジアムを見おろす場所に消防の司令室のような部屋を設置しました。そこには,消防隊員が7人,救急医3名,救命救急センター所属の看護師3名,事務官6名が待機しています。そして,ドクターカーも外のトリアージポストの横に配備させ,各々にスタッフが同乗しています。その上で,災害が発生した時にはすぐに行動を起こし,基幹災害医療センターである大阪府立病院に連絡を取るようになっています。

「if」から「when」へ

山本 Mass gatheringで大きなものは,やはり爆発や火災,玉突き事故,将棋倒しのようなものだと思いますが,今回特に懸念されているフーリガンの暴動は,スタジアムの内外を問わずに起こり得ます。また,昨年,米・ニューヨークで起きた9月11日の同時多発テロ以降においては,わが国でもNBC(核・生物・化学物質)テロのことを考えざるを得ないと思います。
藤井 大阪でもイングランド戦がありますのでフーリガンの暴動,これはイングランドの選手の宿泊場所の近くで起こることも考えられますし,どこで起こるかがまったくわからないわけです。これに関しましては,大阪府では,大阪府地域防災計画の局地型災害マニュアルに従って行動します。したがって,少なくともスタジアムの中とその周辺,最寄駅で災害が起こった時に,被害を最小限に抑えるという姿勢で準備しています。
浅井 札幌は近くに「すすきの」という繁華街がありますので,そこが焦点になります。SAMUの報告ですと,前回のWCの際には1300人の傷病者を診たけれど,その大半は競技場外であったとのことです。
森村 NBCテロ関連で,ソルトレークの冬季オリンピック大会の時には,何時間かおきに空気の成分を測定していましたね。
藤井 NBCテロについては,中央省庁も対策を考えるよう指導をしていますし,むろん警察,消防,保健所等は,NBCテロも考慮に入れた体制を取っています。
山本 日本では,94年に松本で,95年には東京でオウム教団によるサリン事件が起きています。それをきっかけとして,世界的に「if」から「when」(もしも災害が起こったらではなく,いつ災害が起こるか,という態度で対応しなくてはならないという考え方)に変わってきて,欧米ではそのための訓練や対策が取られてきています。ところが,日本はすでに風化し,忘れ去られているようにも思います。
浅井 昨年の同時多発テロからアメリカは,生物兵器攻撃が実際に起こり得るという現実を受け入れたわけです。日本もまったくゼロとは言えないような気がしますし,日本も頭の片隅におかなければいけないと思います。
山本 私は本年3月にCDC(米国疾病予防センター)へ行き,そこの先生方とディスカッションしてきましたが,これから最も問題になるのは天然痘のことです。天然痘は空気感染ですから,2次,3次感染の可能性があることや死亡率が非常に高いという点が強調されていました。そこで大事なのは,26歳以上であれば種痘による抗体がありますから,テロを起こす本人には危険が及ばないという点です。その他にも,肺ペスト,ボツリヌス,野兎病も非常に可能性の高いバイオテロだと言われていました。
森村 日本ではガイドラインやマニュアルに乏しく,現場での指導,あるいは訓練がされていない状況が問題だと思います。これは,学会などの場で早急に解決しなければいけない問題なのではないでしょうか。

■必要な,世界の常識となる医療体制構築

後方医療機関との連携体制が重要

山本 先ほど藤井先生は,大阪では,BCテロについては特別な医療を考えていないというニュアンスでしたが。
藤井 WCのための解毒薬や抗生物質を用意していないということです。大阪の米国領事館で起きた「白い粉」事件に準じた対応レベルで考えていきます。1次除染の準備はしますが,より高度な除染設備のある阪大や国立大阪病院は,大阪と神戸での開催時には全面待機をしてくれます。
浅井 愉快犯によるパニックも考えられますね。WCの会場に来る時に,ポケットに白い粉を入れてきて,途中でパッと撒いたら大パニックになる。しかしそれが本物かどうかはすぐには見分けられないという時ですが。
山本 可能性はあるかもしれませんね。
森村 ただ,愉快犯による犯行については,警察,あるいは警備が対応すべきで,私たちの任務ではないでしょう。しかし,もしもパニック災害が起これば当然私たちの出番はあるでしょうね。
 今回の厚生科学研究班がまとめましたマニュアルは,絶対的なのものではなく,1つのベースとなるものですが,ある程度は各地域に貢献できたのではないかという自負はあります。なお,開催まで数日となりました今,最も懸念されるのは通信体制です。通信連絡体制の確認と,後方医療機関との連携体制の確認をしっかりしておく必要があると思います。
藤井 多くのところでは,5月の中頃までに災害対応のシミュレーションを実施したと思います。今はWC開催時に限定していますが,災害医療体制という点では通常の災害発生時と一緒ですので,地域の災害拠点病院はもちろんのこと,救命救急センターや2次救急医療施設の医師,看護師さんたちには,たいへんお世話になると思います。ぜひ,地域の医師会も含めて,関心を持っていただきたいと思います。

海外からの来日者の問題

山本 WC開催時には日本国内で316万人の移動があり,日本から韓国へは15万人が移動するとされています。
浅井 札幌では,イングランドから約1万人が訪れ,5000人は会場に入れないで外で暴れると言われています。ドクターカーやドクターヘリ,移動式ICU(院外集中治療室)の配備も重要となるでしょうね。なお,札幌ドーム内には,6台の自動体外式除細動器が用意されます。
山本 優先順位というと言葉が悪いのですが,危険性の高い試合については,厚生労働省でも救急の専門医が乗ったドクターヘリを待機させたいと考えているようです。
 その他の問題として,各地で「外国人用診療ガイド」が作成されていると思いますが,来日する外国人の言葉,輸入感染症を疑った場合の取扱い,入院・手術を要する患者の本国帰還・搬送に加えて,医療費支払いといったものがありますね。
藤井 厚生労働省は,「できるだけ保険に入るように呼びかけます」と言っておられます。これ以上の対策は,今からでは難しいのが現状だと思います。
山本 開催までもう数日です。シミュレーションはされたでしょうが,ぜひ医療連携システムとネットワークの調整確認をしていただきたいと思います。それから,特殊災害ですが,つくばと大阪の中毒情報センターの電話番号をぜひ覚えておいていただきたいと思います(下記)。また,都道府県には必ず,その都道府県の感染症の研究所がありますので,そこの電話番号も確認していただきたいですね。
藤井 現場に医師が駆けつけるのは世界の常識です。それが日本では常識になっていません。これを機会に,スポーツイベントのように多くの人が集まる時には,誰が責任を取るべきなのかなどを含めて,きちんとした医療体制を構築するべきだと思います。今までは,医療側が主催者側にこのような働きかけをしてこなかった点は反省すべきですね。そういうことが日本でも見直されてくればよいと思います。
山本 どうもありがとうございました。
(了)

【特殊災害時の情報機関】
◆国立感染症研究所 TEL(03)5285-1111
◆日本中毒情報センター

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TEL(0990)50-2499(有料)
TEL(06)6878-1232(医療機関専用,有料)
●つくば中毒110番(365日9-17時対応)
TEL(0990)52-9899(有料)
TEL(0298)51-9999(医療機関専用,有料)
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