医学界新聞

 

NURSING LIBRARY 看護関連 書籍・雑誌紹介


厚く重い「蓋」をこじ開ける-格闘技的魅力にあふれた1冊

〈シリーズ ケアをひらく〉
病んだ家族,散乱した室内
援助者にとっての不全感と困惑について

春日武彦 著

《書 評》村中峯子(千歳市総務部保健師)

 本書のタイトルを目にした瞬間,あらがえない魅力に引き寄せられた。保健師になって20年。どれほど多くの「散乱した室内」に入り込んできたことだろう。あの家もこの家も,すさまじかった。そうした家々にのこのこと上がり込み,支援という名のかかわりを経てきた。そして,それは時に私にオリのような不全感を残しては過ぎ去った。

いきなり一発かまされる

 精神科医である著者は,その「はじめに」から読者に一発かましてくる。すなわち「家庭や家族とは欺瞞と錯覚に満ちたグロテスクなものであり,屈折したりシニカルでなければ見えてこない事象がある」のだと。
 ここでヒューマニズムにあふれ(学校での成績もよかったであろうと,私が勝手に想像する)善良な読者は,最初からノックアウト気味になるであろう。だからこそ,本当の意味で援助者に役立つ本を書くことを著者はここに宣言する。
 精神疾患や問題をどう理解するのか,具体的にどのようなテクニックを要するのか,援助者側の心と目前の事態のすり合わせをどのように行なえば,無意味な罪悪感や無力感にとらわれずにすむかなど,垂涎モノのオンパレードである。

目からウロコの「好奇心」

 この本を読み終えた時,私は複雑に絡みあった高揚感を体験した。その1つは「もっと早く書いてほしかった!」と,著者にねじ込みたくなるような気分によるものだ。
 個人的なことだが,私は「精神」の支援が苦手なクチだった。にもかかわらず「精神」も業務にある市町村に(そうとは知らず)就職してしまったのであるから,その苦労は言わずもがなである。早く読んでいれば10年は早く救われていたものを,と独りごちてみる。
 著者は綴る。汚い家,得体の知れぬ家々を訪問し,「一筋縄ではいかない家族」をも含めた支援を行なうわれわれを支えるものは,使命感や信念ではなく「好奇心」に他ならないと。
 もちろん,興味本意と同義のそれではない。支援という体験を通し,己の世界が広がる手応えとしての好奇心である。好奇心こそがわれわれの心に余裕を持たせ,その距離が,時に裏切られたような「いやぁな感じ」を残した形での支援終了やペンディングにさえも,援助者が鼻白んだり徒労感や不全感に埋まることを救うのだと。
 そう,この本は,そうした感情が援助者にわき起こるのを肯定するところからして,すでに「目からウロコ」なのである。

チープな理想主義から,現実的で真っ当な感覚へ

 それにしても,およそ私が論旨の要約を試みると,なぜこのようにペラペラと浅近きわまりなくなってしまうのだろうかと,歯ぎしりをする思いがする。加えて,この歯ぎしりにはもう1つの理由がある。
 現場にいれば,曲がりなりにも出会う感覚や現実を,著者は実に見事に論証している。訪問支援を生業の1つとする保健師の側からそれが刻まれず,医師によって先を越された(!?)ことへの歯がゆさを禁じ得ない。
 私たち援助者,少なくとも私はずいぶんとチープな理想主義をいつしか叩き込まれ抱え込み,己の感情をそれに添わせてきた。私がその呪縛から解き放たれたのは,ここ数年である。著者の語る現実的で真っ当至極な感覚に,長い間,厚く重い蓋をしてきた。
 援助者は,もう,えせっぽいヒューマニズムに別れを告げる時期である。心や身体を病む人々と向き合うからこそ,現実の感覚を大切にしたい。でなければ,支援を続けたら「もっと社会性がなくなった」という事例を引き起こしかねないのだと自戒したい。
 精神病の理解実用編など,本書の魅惑は つきない。ストレートでのぞめばジャブで打ち返す,格闘技的魅力にあふれている。それでも,だからこそ闇雲な迎合は控えよう。
 生活に近いところにいる保健師だから見ていることを今一度見据えれば,別な視点と支援を生み出せるかもしれない。そうした可能性という胎児さえも,この本は宿していると私は思う。

A5・頁224 定価(本体2,200円+税)医学書院