医学界新聞

 

連載 これから始めるアメリカ臨床留学

最終回 後輩へのメッセージ

齋藤昭彦(カリフォルニア大学サンディエゴ校小児感染症科クリニカルフェロー)


2474号よりつづく

 約1年にわたり,アメリカ臨床留学のステップを説明してきた。アメリカの整備された研修医教育システムを1人でも多くの人に体験してもらいたい,そう思ったのがこの連載を始めたきっかけであった。私が日本からアメリカに渡り,今のポジションに到達するまでのステップをまとめてきたわけだが,この連載を読んでもらい,医師としての活躍の場が国外にもあること,また,アメリカの卒後教育のシステムがどのようなものであるかを垣間見てもらえただけでも,私の目的は遂行されたと思う。
 今回は最終回ということで,最後に強調しておきたいことを「後輩へのメッセージ」という形にまとめて,この連載を締めくくりたい。

英会話能力の重要さ

 皆さんの中には,臨床留学はともかく,将来なんらかの形で医師として海外留学をしてみたいと思っている人が多いことと思う。私の勤める大学とその周辺にある研究所を含めると,日本からの医師,研究者が200名以上勤務している。各大学,企業から派遣され,選りすぐりの優秀な方々ばかりであるが,彼らが口を揃えて言うのが,英語の会話能力の不足である。書くこと,読むことにはそう抵抗がないようであるが,コミュニケーション能力,すなわち聞くこと,話すことにかなりのプレッシャーを感じているらしい。
 日本の英語教育では,残念ながら,語学の中で最も大切な「コミュニケーションをとる」ということの教育に重きが置かれていない。日本の通常の英語教育を受けてきた人たちは,その能力に劣っていることを素直に自覚せざるを得ない。
 さまざまな領域で日本の国際化が叫ばれて久しい。世界はグローバル化を果たし,世界各国が短時間で結ばれている。また,インターネットの普及により,最新の医療情報の入手が即座に可能となった。机上のコンピュータスクリーンで最新の医学雑誌が読め,録画された学会の講演なども,聴講することができる。そこで使われている共通言語は,すべて英語である。
 医学の世界において,英語の重要性はこれからますます増えていくことであろう。臨床,研究の論文は英語で書かないとその重要性は世界に通用せず,国際学会ではすべて英語での議論である。世界の医学生の使う正書と呼ばれる教科書もすべて英語である。日本では親切にも,多くのものが通訳,翻訳され,英語を使わなくてもよい環境が整っているが,逆に言うと英語の必要性を実感する機会が少ない。多くの日本人医師が外国に来て初めてその重要性を認識するわけである。
 そういう意味でも,学生時代から英語に慣れ親しむ時間を大切にしてもらいたい。それは,英語の正書,論文を読んだり,ラジオ,テレビでの英会話の番組を聞くことから始められるであろう。
 そして,特に臨床のトレーニングを考えている人は,特に会話能力を磨くことに学生時代から真剣にとりかかるべきである。言うまでもなく,アメリカでの卒後研修は,最高の英会話能力を鍛える機会を与えてくれる。

アメリカ卒後研修の長所

 なぜ,「アメリカで卒後研修」なのか。アメリカの卒後研修システムの長所をまとめてみたいと思う。

(1)プログラムの均一化
 アメリカの卒後研修プログラムは,非常に整備されている。各学会から,各プログラムへの監視の目がいき届いており,研修医が必要な教育内容が定められ,病棟,外来などの必要日数はもちろんのこと,当直の回数まで規定されており,どのプログラムに行っても最低限の研修が約束されている。その規定を満たさないプログラムは各学会の認定からはずされ,研修病院として機能できなくなる。最終的に研修後の医師のばらつきが少なく,研修終了後,皆一定のレベルに達することができる。

(2)伸びるものを伸ばす教育
 これは医学教育に限らないことであるが,アメリカの教育システムは,やる気のある人間ほど,その恩恵を受けられるようにできている。高いモチベーションを持つほど,多くのことを学ぶチャンスが与えられる。また外国人という立場でも,一旦研修を始めてしまえば,アメリカ人と同様の平等のチャンスが待っており,しっかりとした仕事ができれば,次の道が必ず開けるようにできている。自分の努力に見合うだけのものが必ず還元されると言っても過言ではない。

(3)身分の保証された研修医
 アメリカにおける研修医は,非常に保護されている。研修医はあくまで一人前の医師になる前のトレーニング段階であり,研修期間はすべて指導医の監督下で働く。毎日行なわれる教育的カンファレンス,コメディカルとの仕事分担による肉体労働の削減,1年に1か月の有給休暇,そして週に最低1日の休みが義務づけられいることなど,研修医には学ぶための整備された環境と,十分な休暇が約束されていた。収入の面でも,日本のようにアルバイトをしないと生活ができないというようなことはない。収入が少ないと言われる西海岸でも,月収で約3000ドル(日本円で約39万円程度)が支給されていた。

(4)マッチング
 医局制度のないアメリカでは,マッチングというシステムによって研修病院が決定される。医学生は書類を提出し,面接試験を受け,希望する病院順にリストを作る。一方,病院側も希望する医学生のリストを作り,それをコンピュータで処理し,自分の研修病院が1つ決まるシステムである。私が以前働いていた大学病院では,同じ大学からの卒業生はわずか2割だけで,残りは全米各地の大学のみならず,世界各地からの医師が集まっていた。各々の受けてきた医学教育が異なるため,皆が集まるとさまざまな医学知識が融合し,お互いの弱点を補充し合うことができる。新しいものが生まれるためには,このシステムはきわめて重要であると認識した。

夢を持って前進を

 私の学生時代の夢は,アメリカで臨床医として働くことであった。ところが現実には,英語の壁,試験の壁,レジデントのポジションの獲得,ビザの問題など,目の前に多くの課題が山積みとなっていた。その当時は,不可能と思えたことも,一度大きな目標を掲げて取りかかると,そのために努力している最中は,1つひとつの山を越えるのに必死で,むしろその過程を楽しめたと言える。
 6年が過ぎた今,思い出されることは,喜びを味わった日のことばかりである。初めてUSMLEの合格通知を受け取った日のこと,ECFMG Certificateを手にした日のこと,マッチングの結果を聞いた日のこと,グリーンカードを手にした日のこと,緊張したレジデント初日のこと,そしてレジデントの卒業パーティのことなどである。
 目の前にある山は高くても,夢を持ってその実現のために一歩一歩登り続ければ必 ず自分の目標に到達できる。夢を実現できるかは,すべて自分の手の中にゆだねられている,そう信じることが重要だ。

師の意見を大切に

 私の医師としての今までの経験を振り返ると,2つの大きな岐路に立った。1つは日本からアメリカへ渡った時,もう1つはアメリカでレジデントを始めた時である。
 アメリカへ渡ったことは,それなりの理由があった。なぜなら,小児感染症という領域は,日本で確立された研修トレーニングが整っておらず,その領域の専門家になりたいのであれば,アメリカに行くのが最も近道だと思ったからである。
 アメリカで小児科のレジデントを始めるにあたっては,日本で行なった卒後研修をもう一度やるという躊躇があったが,実際行なってみるとまったく異なるシステムで多くのことを学ぶことができ,また次の過程への重要なステップを踏むことができた。
 私は,それぞれの岐路に直面した際,すばらしい師に恵まれ,適切な方向へ導いていただいた。
 皆さんもこれからの医師としての人生の中で大きな岐路に立つことがあると思う。多くの人から話を聞き,悩み,そして自分の尊敬できる師の意見を大切にするべきであろう。

 最後に,日本の研修医時代に海外で勉強することの大切さを教えてくださった先生,アメリカに導いてくださった先生,アメリカに渡ってからも適切なアドバイスを送り続けてくれた研修医時代の先輩,励ましの言葉を絶え間なく送ってくれた母校の先生,アメリカで出会った真の指導者,友人,そして,心からの愛情を持って育ててくれた両親,家族に感謝しつつ,この連載を終わりとしたい。