医学界新聞

 

「PHCと看護」研修のフォローアップ

フィジーとインドネシアの現地調査を実施して

森口育子(兵庫県立看護大・教授),
近藤麻理(兵庫県立看護大・附置研推進センター)


●はじめに

 2001年9月4-22日の間,兵庫県立看護大学附置研推進センターにおいて「PHC(プライマリ・ヘルスケア)と看護」研修が実施された(本紙2001年11月26日付2463号,ルポ「PHCと看護」研修,参照)。これは,JICA(国際協力事業団)兵庫国際センターからの委託事業であり,兵庫県をフィールドに,フィジーとインドネシアの看護職者(各国2名)へのPHC研修であった。
 このコースを受講した両国看護職の半年後のフォローアップとして,「PHCと看護」研修を企画・実施した森口育子(兵庫県立看護大教授)と近藤麻理(同講師)が,本年1月26日-2月4日にフィジーへ,2月7-17日にインドネシアを訪問,その後の調査を実施した。
 このフォローアップ調査の大きな目的は,日本での研修終了時に,研修者が帰国後に実践する目的で作成されたアクションプランが,どのように実践されているかについて状況を把握すること,また「PHCと看護」研修が,自国の多くの人々に還元される内容であり,波及効果があったのか等を明らかにすることにあった。さらに,2002年度に実施予定である「PHCと看護」研修(実施期日未定,インドネシア研修員4名を予定)に反映させるべく,現地で具体的な改善案を検討することとした。
 なお,本調査は平成13(2001)年度兵庫県ヒューマンケア研究助成金により実施されたものであることを付記する。

●フィジーにおける成果

 関西空港を飛び立ち,韓国経由で長い時間をかけて,ようやくフィジーの観光地ナンディに到着。しかし,そこから再び国内線に乗り換え首都のスバに向かう。日本の真冬は,フィジーでは雨期にあたるが,気温も高すぎず移動には最適な気候であった。フィジーの年間平均気温は,23-28度とのことである。
 太平洋上に浮かぶフィジーは,300以上の島々を持つ国で,人口は約80万人。首都のスバには南太平洋大学があり,南太平洋の国々から留学生が集いともに学んでいる。しかし,残念ながらこの大学には看護学部はなかった。なお,国の公用語は英語であり,看護学校での教育も英語で行なわれているが,日常は人口の51%を占めるフィジー系はフィジー語,そして44%を占めるインド系はヒンドゥー語を使用している。

*主な訪問先とそこでの話題

 フィジー滞在は短期間であったが,研修員2名(サイ氏,マヤ氏)の職場であるフィジー看護学校(国内にたった1つの看護学校)が中心となり,私たちのために訪問先やスケジュールを調整してくれたため,充実した日程となった。なお,訪問したのは,学生の実習現場である地域保健所や村,病院,さらに保健省(看護課長),関係各施設などであった。
 保健省の看護課長を訪問し話をうかがった。フィジーは,ニュージーランドやオーストラリアの国々とのつながりが深いとの説明があった。しかし,国の政情不安や経済的理由から,看護職が海外へ流出しているため,国内での慢性的な看護婦不足は改善されていない。特に,都市部以外に生活している村や小さな島々での健康問題は深刻になっている,とのことであった。
 なお,日本での「PHCと看護」研修については,「フィジーで地域看護に関わる看護教員への実施は重要なこと」として深い理解と協力が得られた。
 フィジー看護学校は,先にも述べたがフィジーで唯一の看護学校であり,1学年が約150人の3年制の看護学校である。学校は,海が見渡せる小高い丘の上に建っているが,この施設は1987年に,日本の無償資金協力により建設された。また,さまざまな場所から学生が集まるため全寮制である。3年間の看護コースと,卒後専攻科としての助産コース(6か月),保健婦コース(4か月)を設置しスタートした。フィジー看護学校の病院実習場としては,学校の近くに500床規模の総合病院がある。しかし,地域看護実習となると小さな島や,車で2時間以上かかる村に出向かなければならない。したがって,小人数のグループごとに10週間滞在して実習を行なう,とのことである。

*帰国後の周囲への波及効果

 研修員は,帰国後すぐに,同僚であるフィジー看護学校教員への報告会を実施した。また,英文による分厚い研修報告書も作成されており,今後保健省など関係各方面への提出が予定されている。
 これは私たちの印象だが,研修で得られた知識が共有され,学生の地域実習におけるアクションプラン実践への協力と理解が得られていることなどが,フィジー看護学校の教員の様子から感じられた。学校訪問初日には25名近くの教員が集まり,看護教育の現状やPHCを基盤とするフィジーの看護状況など,2時間近くにわたるディスカッションも行なわれた。
 また,保健省看護課長等との昼食会での話から,本研修の趣旨とアクションプラン実行への理解が得られていることがわかった。保健省は,研修員をはじめフィジー看護学校に協力的であることも感じられた。

*アクションプランの実施状況

 フィジーの研修員2名は,日本での研修中に,地域看護実習で学生が村に入り込んで保健活動を一生懸命に行なうのだが,その時は住民も一緒になり活動をするものの,実習が終了し学生がその地を引き上げると,たちまちもとの状態に戻ってしまい,まったくと言ってよいほどに活動が継続されていかない点に注目し,アクションプランを作成した。
 実習をする学生は,村に10週間ホームステイし,ホストファミリーと暮らすこととなる。もちろん入村初日には,「カバの儀式」(村民の一員となるために,「カバ」と呼ばれる樹木の根っこの白い汁を飲み交わすという歓迎の儀式)が行なわれ,学生が村へ入ることが許される。
 私たちが訪問した村では,学生たちが住民とともにグループを作り,ゴミ問題に取り組んでいた。彼らは小さなゴミ焼却場を作ったり,独自にゴミを埋める方法を考えていた。あるグループでは,それまで川に直接ゴミを投げ捨てていた近所同士が自分たちの習慣を見直し,川岸にごみを埋める方法を考えた。それは,古タイヤを利用したごみ箱状のもので,穴を堀り,タイヤを埋め込み,ふたをかぶせる。そして,そこが一杯になったら,同じようにまたその隣に穴を掘るというものだった。多少なりとも,環境改善に役立つ方策であろう。
 このようなアイデアを,自分たちの持てる資源や予算の中で生み出し,より多くの住民が参加できる方法を使って保健活動を実践していた。そして実習10週目には,学生の実習報告会が行なわれる。寄り合い所での報告会には,村の人たちをはじめ,学校の教員,保健所看護職,病院関係者など,この村に関わる人たちが集う。そして,その場では今後の村への継続的支援についても,一緒に話し合われる。
 また,2月中旬には,フィジー看護学校において,学生の地域実習後の9グループによる報告会が,地域の人々,保健所看護職,保健省関係者,学校教員などを招待し実施される。さらに,可能であれば2002年度中に,地域看護指導者向けのワークショップを実施し,学生の実習現場における指導者の理解と一層の資質向上を図りたいとのことである。

●インドネシアにおける成果

 日本から飛行機で6時間あまり,バリ島で観光客を降ろした後,首都ジャカルタに向かう。インドネシアもちょうど雨期にあたる。数日前までの首都は,大雨の影響で洪水が発生し,そのため都市機能は麻痺状態にあったとのことである。
 インドネシアは,2億の人口を抱える多民族国家であり,訪問した時期はちょうど旧正月で,中国系の祭りがそこここで行なわれていた。目的地である南スラウェシ州へは飛行機を利用しての移動となるが,時差が1時間もあった。インドネシアは,1万7千もの島々が東西に長く広がり,国内で3つの時間帯を持つ大きな国なのである。また,イスラム教徒が人口の87%を占めており,訪問期間中に「ハジ」と呼ばれる巡礼に所長が出かけていて不在,という保健所もあった。
 同国は,1997年の経済危機以降,政局も不安定な状態が続いている。また,2001年から地方分権化が実施されたことから,地域保健・地域看護の重要性が今まで以上に増してきているという状況である。なお,今回の調査派遣者である森口は,1984年からこの南スラウェシ州において,地域保健・地域看護の研究を継続している。

*主な訪問先とそこでの話題

 首都ジャカルタでは保健省の事務次官,看護課長などと会合。日本の「PHCと看護」研修について理解を得るとともに,インドネシアにおける行政の地方分権化後の変化,状況,そして看護職が抱える問題などの説明を受けた。
 一方,南スラウェシ州では,州保健局関係者と家族保健課からの研修員(イジャ氏)と会い,同地のハスヌディン大学では,医学部看護学科にて医学部長と研修員(ハリス氏)と会合。そして,学生地域看護実習の場所である南スラウェシ州南部のタカラール県の保健所なども訪問した。また,2002年度の「PHCと看護」研修の内容や,その後のアクションプランの実践についても各所で話し合った。

*帰国後の周囲への波及効果

 イジャ氏のアクションプラン実践は,州保健局内だけでなく州の管轄している県の保健局,そして県が管轄する保健所というように,州全体のシステムを巻き込む形で影響があることがわかった。これは,現在進行している地方分権化の波から,州組織が置き去りにされがちな状態を打破できる可能性もある,と評価されていた。
 ハスヌディン大学は,医学部看護学科が設置されようやく3年目を迎えた。そのため,2001年12月-2002年1月にかけては,3年生を対象とした初の地域看護実習が,ハリス氏のアクションプランをもとに実施された。彼は,大学関係者への研修報告とアクションプランの理解,地域看護実習の中心的役割を果たしつつ,新たに学生が実習する村や地域への協力を取りつけたのである。このように,大学の学生実習を受入れる地域の村や保健所にまで,日本での研修の成果が見られた。

*アクションプランの実施状況

 地方分権化を受けた行政の仕組みの中で,州の指導を離れて県が自治を任されたが,県レベルでは,その役割を上手に果たせていない現状がある。県や保健所が独自に運営を行なうには,まだまだ力不足であり,大学生の地域看護実習への指導も力不足である。
 研修員らはそのことを問題とし,行政と大学が協力することにより,学生の教育と保健所看護職への教育,また地域の村への保健問題の解決に寄与できるようなアクションプランを立案した。
 パイロットプロジェクトの場所となるタカラール県は,JICAの貧困対策プロジェクトも実施されている経済的に貧しい地域である。アクションプランは,この地域の保健所を,ハスヌディン大学看護学科学生の実習場とし,現地で6週間にわたり5つの村でホームステイする。そして,5つの村々の健康問題を明らかにし,村の人たちとともに計画・実践を行なうという内容である。
 この学生実習を前にして,州保健局は県の衛生部の看護職とともに,現場で学生を直接指導する保健所職員(医師,看護職,助産婦,栄養士など)に対し,母子保健に重点を置いた指導を実施した。まずは,現場の指導者への教育を優先し,プロジェクトを開始したのである。
 このように,学生実習を視野に入れ,行政機関(州・県看護職員)を巻き込んだプロジェクトとして,日本での研修で作成されたアクションプランは実施されている。タカラール県でのパイロットをモデルとして成功させ,他県へ,そして他の看護学校の学生も巻き込みながら波及していくことを期待したい。長期的なプロジェクトではあるが,州全体で実施するところまで考慮されており,協力者も非常に多く,これらの要因が成果として現れることになろう。

●フォローアップ現地調査から帰国して

 研修員の作成したアクションプランは,多くの人たちとの関わりの中で,帰国後に確実に実践されていた。PHCを基盤とする看護学生の地域看護実習が,一時的な実習の場としての意味を持つだけでなく,村の人たちと一緒に考えたPHCの実践活動が,学生の実習終了後も継続されること。そして,保健所の看護職などを巻き込み,看護学校・大学,地域の保健所,村の住民が協力して,PHCを地域に広げる活動となることが期待できる。それらが,今回の現地調査から汲み取れた。
 そして,研修員の知識向上,アクションプランを作成し帰国後に実践することを目的として行なわれた「PHCと看護」研修が,それ以上の成果をあげていたこともわかった。このアクションプランは,学生実習を通して看護教育者と地域看護職,住民という3者が,今まで以上の協力関係を築き上げるきっかけになったことが,今回の訪問から見えてきた。
 2002年度の「PHCと看護」研修は,インドネシアからのみ研修員を受入れることが決まっているが,日本で作成したアクションプランの実施は,数年間にわたり改善されながら繰り返されていくものである。そのためフィジーについても,帰国した研修員と学生実習に関わる教員や指導者への継続したフォローアップが,インドネシアと同じように今後も必要であると考える。
 日本で実施される研修は,途上国からの研修員が帰国してから成果が現われるものである。企画・実施側としては,フォローアップを行なうことを前提としての研修が望ましいと考える。そして,研修で描かれたアクションプランは,夢のような計画ではなく,研修で学んだ知識と体験に基づいて現実化すること。その国や地域にとって役立ち,また看護職の質的向上につながるものであることが重要である。このように,日本での「PHCと看護」研修を実施することの意義やその責任の重さも痛感し,今回のフォローアップ調査を終えた。
 最後に,今回のフォローアップ調査にあたりJICAフィジー事務所,JICAインドネシア事務所ならびに関係者から多大なご協力があったことに,深く感謝をする。