医学界新聞

 

 〔連載〕ChatBooth

 人間の資格

 栗原知女


 失業率が好転しない。不況,デフレの出口が見えない。働く人の将来はどうなるのか――。
 大手有名企業で人事部長を務め,今は関連会社の社長職を退いて顧問を務める方に尋ねたところ,「危機感を持っている」との意味深な回答が返ってきた。
 「私たちの親の世代は,農家や自営業者などの“家業”を営む人がほとんどで,原材料の仕入れから代金回収に至るまでの事業の流れ,お金のやりくりの大変さを身近に見て,子どもの頃から事業の成り立ちを理解できた。ところが今では親も自分もサラリーマンという人が大半。毎日会社へ行って,そこそこ働けば給料をもらえるのが当たり前だと思っていて,子どもに対して自分の仕事の内容も仕事に対する誇りも説明できない」。
 言わば,「組織の歯車としての生き方」にどっぷり浸かっている。終身雇用の崩壊,大競争時代という事態を迎え,「会社に依存するな。自立せよ」と突然言われても,そもそも自立とは何かが体感的にわかっていないから,身動きが取れないのだ。そのくせプライドだけは高い。リストラされた大手企業出身者に,「あなたはどんな仕事ができますか?」と尋ねると,「部長の仕事ができます」という回答が返ってくる。
 「今までと同じような部長の仕事には絶対に就けません。どのような中身の仕事ができるのか,あなたのキャリアを棚卸して言語化してみてください」と,再就職支援会社の人に促されても,途方に暮れるばかりだ。
 このハードルを超えても,さらに大きな難関が立ちふさがる。中小・零細企業の管理職としての求人はあるが,年収半減という現実を前に足がすくんでしまう。職と人材のミスマッチということが言われるが,ここではプライドとのミスマッチが起きている。組織を出て初めて,自分のプライドを支える中身が薄っぺらだったことを知るのだ。
 医療・看護職の方々には他人事であろうか。いや,「勤め人」である限り,組織依存のメンタリティと無縁ではないはず。医療ミスを隠そうとする土壌もここにある。牛肉の原産地を偽る人,恫喝されて簡単に信念を曲げて不正に加担する人……。企業人,組織人としては優秀なのかもしれない。組織へ過剰に適応しようとするあまり,魂を売り渡してしまっている。
 人間はどこへ行ってしまったのだろう。私たちは,「女として」「男として」「○○会社の社員として」「△△病院の看護婦として」などという適格性を問われることが多く,それに縛られがちだが,一番大事な「人間としての資格」を問われることは少ない。今のその行為は,その決断は,「人間として」ふさわしいかと自らに問い,また他者にも厳しく問うことを抜きにして,構造改革も何もあったものではない。日本という「組織」は変われないだろう。