医学界新聞

 

インタビュー

変貌する米国の臨床技能教育
-なぜペイシェント・シミュレーションなのか?

ジョン・シェーファー氏(ピッツバーグ大学医学部ヒューマンシミュレーションセンター・ダイレクター)


 医学生や研修医が十分な臨床技能を習得するためには,どのような教育が必要か? 新しい臨床技能教育法の開発に携わるジョン・シェーファー氏に,米国医学教育界の最新事情を聞いた。


―――米国では臨床技能教育がどう変わりつつあるのでしょうか?
シェーファー 医師や看護婦,医学生などは,患者に対するケアの方法を学ばなければいけません。従来型の教育方法では,本を読み,症状的な対処法を学び,実際の患者にあたっていくという形でそれは展開されていました。しかし,実際の患者を診る前に,ペイシェント・シミュレータ(患者を模した訓練用のマネキン)を使用した訓練を行なおうというのが,最近強調されるようになった教育の考え方です。
 例えば,私たちが航空機に乗った場合には,パイロットは経験豊かな人であってほしいと思うわけです。これは,医療においても同じことであって,経験の乏しい医師に診てもらいたくないのが患者の本音です。そこで,せめて,医師は,シミュレーションによって擬似的な臨床的訓練を十分に積んだ上で,実際に患者さんを診療すべきであるとの考えが出てきました。ご存じのように,航空業界ではパイロットの育成に航空シミュレータが活用されていますが,医療にも同じことが必要だということです。

「ミスを10回すれば患者へのよいケアができるようになる」

―――米国の臨床教育を象徴する言葉として「See one, do one, teach one」ということが言われてきました。しかし,今日では,そのような即席教育のあり方が反省され,シミュレータを活用した訓練というステップを患者を診る前の段階に入れ,より患者の安全確保を強化しようということでしょうか。
シェーファー おっしゃる通りです。学生・患者双方の観点から話ができると思います。「See one, do twenty, make ten mistakes, and then take good care of your patient」という言葉がありますが,ミスを10回すれば患者によいケアができるようになるということです。学習するということは,常にミスを伴うもので,これはすべてに言える本質であると思います。学習にはミスが伴う,ミスを重ねながら学ぶというのは,1つの普遍的な学習のプロセスです。
 しかし,医学の場合にこれをやってしまいますと,患者が苦しい思いをするわけです。ですから,教育と同時に患者の安全性も考えなくてはなりません。学生にしても,患者を傷つけたくないと思っているわけですし,患者も傷つきたくない,安全でいたいと思っているのです。学生も患者が期待するような能力を備えて,患者自身が安心してかかれるような診療ができるようになりたいと考えているわけですから,それがどうしたら可能かを考えた時に,ペイシェント・シミュレータのようなツールを使うということが1つの有効な解決策であると考えたのです。
 また,教科書で読んだ薬物の使い方を,シミュレータを使って試してみることで理解が促されることがあります。
 シミュレーションという概念は,医学教育に関しては新しいものかもしれませんが,他の産業ではそうではありません。これまで多くの産業の中で組み入れられてきたものです。

米国の教育施設で導入進むペイシェント・シミュレータ

―――ペイシェント・シミュレータとは具体的にはどのようなものですか?
シェーファー 患者さんを模したマネキンですが,私たちが開発したものでは,コンピュータのインターフェースを介し,さまざまな症例結果に基づいた患者の状態変化のシナリオを設定できます。そこには,具体的な生理的症状が送り出されます。たとえば,息,呼吸であれば胸が上下に動き,心音を聞くことができ,脈拍も触れることができるわけです。正常な状態であっても,異常な状態であっても,「生きている」という徴候サインを組み込むことができるものです。ですから,心疾患や喘息などを組み込むこともできます。手技の習得はもちろん,各症例への対処法から医療チーム全体の評価まで,総合的な模擬臨床訓練が可能です。

連邦政府が患者の安全性を高める取り組みを強化

―――米国において,ペイシェント・シミュレータを使った訓練は,卒前・卒後の医学教育でどの程度普及しているのでしょうか。
シェーファー 5年以上前から,医学生・研修医の教育にシミュレーションを用いる必要性が言われるようになりました。現在のところ,すべての医学部に配置されているわけではないのですが,5年前には5-10であったのが,今日では100以上の施設で導入しています。
―――急速な普及ですね。何か,理由があるのですか?
シェーファー 現在,2つ動きがあります。1つは,医学部や研修施設の教育内容を評価する認証機関が,医師としての能力を高めるためにシミュレーションが必要だと考え,これを広めようとしています。また,もう1つは,連邦政府による「患者の安全」という領域での研究助成です。これはAHRQ(医療リサーチ・クオリティ庁)を通して資金を与えていくということで,その中にシミュレーションというプログラムがあります。昨年,既に5300万ドルがNIH(国立衛生研究所)で使われ,今年も同じ金額を使うということです。
 連邦政府がそのような方向に向ったきっかけは,99年に米科学アカデミー医学部会がまとめた「To err is human」と題する報告書にあります。この報告書では,「医療事故,医療過誤が米国医療の大きな問題であり,米国の主要な死因の4位から8位の間に位置する。乳がんやエイズで亡くなる患者よりも医療過誤で亡くなる患者のほうが多いのではないか」と指摘していたわけです。そこで,連邦政府は患者の安全性を高めるための取り組みを強化しはじめたわけです。
 米科学アカデミーの報告には,患者の安全確保のためのさまざまな提言が盛られていますが,その中にチームでの訓練を行なう必要性が述べられており,その部分にシミュレーションの適応ということが記されています。シミュレーションによって安全性を,例えば,他の産業,航空産業などのように高めていくことを考えているのです。

能力評価を重視する医学教育改革

シェーファー また,米国で進みつつある医学教育改革も影響しています。医学生や研修医の必須能力を管理する団体(第3者機関)は,必須能力(コンピテンシー)をベースにした訓練プログラムを求めています。これは,シミュレーションを用いた技能訓練を標準のカリキュラムに組み入れることを求めているということです。つまり,医学生や研修医が十分な能力を獲得したかということを評価して,示す方向に,教育が向いているのです。これは昔とは決定的に違っています。
―――教育のあり方が変わってくると,教える側も新しい教育の方法を勉強しなければなりません。いわゆる「ファカルティ・デベロップメント(教員の再教育)」が必要になると思うのですが,そのような動きについて,教えてください。
シェーファー おっしゃる通りです。教える側もどのように教えるかという方法を訓練しなくてはなりません。実際のところ,研究者であって教授であるというような,非常に優れたポジションにある人でも,よい指導者であるとは限らないわけです。
 最近,実際にどのように教えるか,あるいは,教える背後にある理論や実践などにに的を絞ったワークショップが開かれています。教育というのは,1つのアート,技術であり,医学部で十分に教えられるものではありません。特に新しい技術の登場により教育手法が変わる際には,どうしても教員側の再教育が必要になります。
―――本日はありがとうございました。